繋がる感情

 宇海は仕事を定時で終えて湊と待ち合わせをしているカフェに早足で向かった。


 彼からの電話を受けて仕事を終えるまで、彼のことで頭がいっぱいになって仕事が手につかなかった。連絡を受ける前に企画書を完成させておいて本当によかった。


 湊から会いたいと連絡が来るなんて今までなかった。初めは彼からの突然の誘いに心が躍ったが、よくよく考えてみれば日常的ではない何かが起こったのだ。人は普段経験しない異常な出来事が起きると途端に不安になる。


 恋路を応援してくれている渚と雫は、湊から呼び出されたことがいいことだと考えているのだろう。今日は普段よりも定時で仕事を切り上げるよう計らってくれた。


 上司と先輩の心遣いは非常に有り難く感謝すべきものである。それはわかっていても、宇海の思考から不安が消えることはなかった。


 湊に早く会いたいと思うのは、素直に宇海の育っていく彼への愛情と、そんな特別な人である彼によからぬことが起こっているかもしれないと予感する不安がかけ算になっているからだ。


 宇海は約束のカフェに到着し、急いで来たことで荒くなった呼吸を一息整えてから扉を開けた。湊の姿は探すまでもなく、店内の偶然視線が向いた壁際のテーブルに彼は座っていた。その姿はいつも徳之間で接客をする彼とは違っているように見えて、やはり何かよくないことがあったのではないかと勘繰ってしまう。


 ゆっくりと彼が座る壁際の席まで移動し、宇海は向かいの席につく。焦点の合わない目でテーブルを見つめていた湊は、宇海が到着するとその視線を上げて彼女の顔を見た。



 「急に呼び出してごめん。来てくれてありがと」


 「私は暇してるから大丈夫。何かあった?」


 「その前に飲み物買ってくるわ。何がいい?」


 「アイスカフェラテにしようかな」


 「わかった。ちょっと待っててな」



 湊は席を立って注文待ちの列に並ぶ。その背中はいつもより小さく頼りない。


 仮面を被った彼の姿を見たとき、宇海にはその存在が何よりも頼もしく強く見えた。徳之間にいる彼は明るく元気で、誰からも好かれる好青年。今ここにいる彼はまるで別人のようだ。


 注文を終えた湊は同じアイスカフェラテをふたつ持って席に戻った。宇海がお金を出そうとしても、「来てくれたお礼やから」とそれを受け取ることはなかった。


 ふたりはカフェラテに口をつけて、同じタイミングでテーブルに置いた。湊はこれから何を語るのだろう。宇海は彼に悟られないように深く息を吸って準備を整える。



 「徳さんから串焼いてみろって言われてな」


 「それって、いいことやないの? 信頼されてる証拠やん」



 湊は「まあ、そうなんやけど」と言ってから一呼吸置いた。


 店主である隆治だけが扱うことのできる串料理。これまでずっと湊は手をつけなかった。いや、正しくは隆治がさせなかったのだろう。そんなとき、突然串を任せると言われたら、何かあったのではないかと疑う気持ちは理解できる。



 「串は徳さんのこだわりでさ、絶対に任せてくれんかった。焼き台の掃除すら俺はやったことない。でも、急に焼いてみるかって。なんか嫌な予感がして。うまく言葉にできへんのやけど、ほら、俺らがやってることって常に危険と隣り合わせやからさ」


 「うーん、どうなんかな。湊くんが言うこともわかる気はするけど、深く考えすぎなんちゃうかなあ?」


 「やったらええんやけどさ。なんとなくやけど、裏でなんかが動いてるような、そんな気がするんよな」


 「なんか?」


 「いや、よーわからんけど。胸騒ぎがするって言うんかな」



 湊は考え事に疲れたのか、テーブルにあるカフェラテを手に持って二口目を含んだ。宇海は彼のタイミングに合わせてカフェラテを飲む。こういうときは、相手のペースに合わせておけば、同じ感情を共有しやすくなる。


 あくまで気持ちの問題であるが……。



 「まあ、考えすぎやと思うけど」



 湊はぎこちない笑顔を作って、無理に自分を納得させようとした。本当に悩んでいるのであれば、それは一時的な気休めにしかならないことを宇海は知っている。だから、こう言った。



 「徳間さんは湊くんにとって大切な人なんよね。心配するのは当然やと思うし、無理になんでもないって自分に言い聞かせて笑う必要はないと思うよ」



 湊は驚いた表情を見せて、その顔から笑みは消え去った。彼が明るく元気なのは、きっと本来の自分を隠すためでもある。そうやって他人に迷惑をかけないようにして、無理に自分は強いと暗示をかけているのかもしれない。だとしたら、宇海の前では飾らない素の相波湊でいてほしい。


 だって、湊の表と裏、両方の顔を知っているのは、隆治以外では宇海だけだから。心に秘めた不安を吐き出す相手を求めて、彼は宇海に連絡をしたのだ。そして、宇海は湊にとって他の誰にも打ち明けられない話ができるたったひとりの友人でありたいと願う。



 「ありがとう。宇海ちゃんに会えて、本当によかったわ」


 「いつでも話聞くよ。私でよかったら」



 湊に笑顔が戻り、ふたりはカフェラテを飲み進めた。それがなくなるまで、まだ猶予はある。

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