修羅への通知
「なんなんですかね。私たちだけ呼び出されるなんて」
「嫌な予感しかせんな」
「檜山さんが暴走するからですよ。止められんかった私も一緒に処分になるかなあ」
「そのときは俺が守ったる」
いや、あんたのせいやろ。
とは口が裂けても言えない志穂は、先輩刑事でありパートナーの光輝と警察署の廊下を重い足を引きずって進んだ。
というのも、突然課長の高津から呼び出しを受けた。それも、他に誰もいない会議室へ。
間違いなく深刻な話をされるのだろうが、それが処分である可能性を否定できないほど最近の行動は組織の輪を乱すものだった。そもそも先輩の暴走を後輩が止めるというのもおかしな話だ。
光輝は指定された会議室の扉をノックしてから開けると、予想していたよりも遥かに真剣な眼の高津が最前列の席に座っていた。
「失礼します」
光輝と志穂は恐る恐る高津がいる席へと歩みを進め、その間も彼はふたりをじっと見つめる。まるで蛇に睨まれているような感覚に陥った。
高津は単刀直入にふたりに訊いた。
「最近、何を調べてるんや?」
「事件ですよ。自分が優秀やとは思ってませんが、励んでるつもりです」
光輝は高津に無難な返事をしたが、本音を言えばこれまで受け取ったメールについて正直に打ち明けたい。今は管理する側になった高津は、かつて先輩として仕事のいろはを教えてくれた人物だ。隠し事はしたくない。
志穂は隣で光輝の出方を待つことにした。迂闊に話して問題をさらに大きくすることは避けたい。
高津はふたりの顔を見てため息をついた。
「あのな、俺は課長として捜査員の指揮を執る立場や。その前は現場でずっと檜山を見てきた。なんか隠してることはわかる」
「いや、隠してることなんて……」
「三年前、東香代さんが失踪する直前、彼女の叔父夫婦が消えた」
「なんですか、いきなり」
「その叔父夫婦は不慮の事故で両親を亡くした香代さんを引き取って、奴隷のように扱って虐待してた」
「ええ、そうでしたね。酷い話です」
志穂はそのとき初めて香代の過去を知った。光輝がこの事件をずっと追い続けていたことは知っていたが、詳しくは聞かされていなかった。
「偶然、とは考えにくい」
「香代さんが復讐したと?」
「隆治はそう考えた。ただし、直接手を下すことなく」
「まさか、復讐を代行する組織に依頼したと?」
光輝はこれまで関わってきた事件の裏には人間の感情が隠れていたことに気づいていた。それも、理不尽に被害を受けた人たちの苦しみ、それを利用してビジネスとして成り立たせている組織があるのかもしれないと。
「アッシュディーラー。その組織はそう呼ばれとる」
「アッシュディーラー……」
「依頼を受けると加害者に対してあらゆる制裁を加える。依頼人のもっとも大切な何かを対価としてな」
「対価は、お金?」
「いや、もっとも大切な何かだ。ある人にとっては金かもしれんし、あるいは金より大切な他のものかもしれん」
「香代さんが失踪したのは、対価を払うため?」
「これから隆治と新たな人生を歩んでいれば、彼女の人生は大きく変わってた。その未来を、差し出したのかもしれん。あの失踪事件は手がかりがまるでなかった。強盗に襲われたとして、誘拐されても身代金の要求もない。殺害されていたとして遺体が見つからん。こんなに綺麗に人が消えるとは考えられん。それこそ、顔を変えて別の誰かとして生きる以外には」
高津と光輝の間で進む話はあまりにも現実離れしていて、志穂は複雑な思いを抱えたまま話を聞いた。アッシュディーラーによって救われる人がいることは間違いない。
何もかもを失った人間は、最後に自らを苦しめた誰かに復讐したくなる。香代のような境遇であれば、月日が彼女の恨みを晴らしてくれることもないだろう。
「アッシュディーラーは命を奪うことはないが、あるときは未来を奪われた高校生のために半グレを襲撃。あるときは詐欺にあった人間のために金を取り返し、あるときは虐めで苦しむ高校生のために加害生徒を同じ目に遭わせる。そして、対価を受け取る」
「ちょっと待ってください。これまで関わってきた事件は全部アッシュディーラーの仕業なんですか? どうしてそれを高津さんが?」
光輝の質問に対して、高津は答えようとしなかった。彼は警察組織の一員であり、刑事課を任された責任ある立場の人間。独断で動いて問題を起こせば、彼だけが処分を受け入れて済む話ではない。
彼の上司や、それこそ光輝や志穂のように、彼の指示で動く部下たちにも大きく影響する。
光輝はポケットからスマホを手に取って、その画面を高津に向けた。志穂の位置からは見えないが、おそらくその画面に表示されているのは彼が何者かから受け取ったメール。
「これを送ったのは、高津さんやったんですね。アッシュディーラーを俺らに調べさせるために。課長の立場ではそう簡単に動かれへんから、俺らを使ったんですか?」
「ああ、隆治と連絡を取り合ってお前らを動かしてた」
「徳間さんと? あの人もアッシュディーラーを知ってるんですか?」
「あいつはアッシュディーラーの人間や」
静かな空間に現れた高津の言葉は、光輝と志穂を混乱へと誘った。
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