死んだ不死鳥
香代と出会ったことでこんなに大きく人生が変わることになるとは。
隆治は引越しを終えたばかりの部屋で段ボールの荷物を整理しながら彼女の背中を見た。これから始まる生活は、きっと幸せなものに違いない。
ずっと自分の時間を犠牲にして桐島組のために尽くしてきたが、桐の不死鳥と恐れられた彼も最後はひとりの女のためにすべてを捨てた。隆治を知る人間は笑うことだろう。不死鳥だった頃は、体裁を保つためにそれを許さなかったが、今は自分がどう思われるかなんて興味がない。
守りたいのは自分ではなく、目の前にいる香代。彼女さえいてくれれば、後は何も望まない。
彼らは結婚を前提に交際を開始し、ようやく同棲のための新居に入居した。
「隆治さんの荷物開けるよ?」
「ああ、適当に置いといてくれや」
香代は自身の荷解きを早々に終えて、隆治の荷物を開けていた。隆治もあまり物を持たない性格だったため、比較的量は少なかった。自分の部屋でゆっくりすることはほとんどなかったせいか、趣味がなかった。
ふたりのデートは基本的に食事をしてからバーに行くことが多かった。隆治なりに大人のデートを心がけたつもりだった。
その中で、お互いの過去の話をしようとしたのだが、香代はあまり多く語りたがらなかった。その話はほとんどが隆治のことで、彼女から質問を受けては答えるという流れができていた。
ただひとつ、香代は親を亡くしてから非常に辛い思いをしてきたらしい。両親は不慮の事故で亡くなり、その後の人生は惨めなものだったという。具体的にどこでどう暮らしてきたかは知らない。
誰にだって語りたくない過去のひとつやふたつはある。だから、彼女が話さない限り無理に知りたいとも思わなかった。
「ねえ、これからのことなんやけど」
「ん?」
荷解きを終えて新居のソファでふたり並んでいるとき、香代は未来の話を始めた。結婚するのであれば、これから先どう生きていくのか、お互いの意見を共有しておくことはとても重要になる。この擦れ違いが離婚に繋がることだってあるのだ。
「焼き鳥屋やってみいひん?」
「焼き鳥? なんでまた」
突然香代が焼き鳥屋を開きたいと言い出したことに隆治は困惑した。これまでふたりとも飲食関係で働いた経験はないし、特に焼き鳥が好きなんて話を聞いたことすらなかったからだ。
「香代、焼き鳥好きやったんか?」
「うん、おいしいやん?」
「そりゃおいしいけどな……。俺は焼き鳥のことなんかなんも知らんぞ」
「ここから始めたらええやん」
隆治は裏社会から足を洗ったことで新たな仕事を探していたが、一度道を踏み外せば一般社会に戻ることは容易くない。転職をするのとは訳が違う。
ひとりで店を開いて焼き鳥屋を始める方が障害は少ないとはいえ、ノウハウがまったくない世界でやっていけるだろうか。
「まあでも、香代が言うならやってみるか。本気で勉強するわ」
「一緒にやっていこう。収入面は私が仕事続けてなんとかするから」
「悪いな」
「ええんよ。私がしたくてしてることやから。それに、私が辞めたら湊くん寂しがるからさ」
「そうか。弟のことも大事にせんとな」
このときの香代はとても幸せそうで、未来に希望を抱いていた。そう見えていたのは、隆治だけだったのかもしれない。
──突然、香代はいなくなった。
自宅は荒らされ、血痕が見つかった。その血は香代のもので間違いなかった。強盗に入られたという見方が強かったが、犯人を特定する証拠は何も発見されなかった。
警察は全力で香代を探すと言った。特にこの事件を担当した檜山光輝は強い信念を持って捜査に当たってくれた。しかし、何も成果はないまま時間だけが過ぎた。
もう何もかもどうでもいい。香代がいない世界で生きていく意味はない。
隆治は酒を飲み、目的もなく裏路地を歩いた。その周辺で桐島組を知らない者はおらず、どこの店でも丁重にもてなされたものだが、もう不死鳥はどこにもいない。別の組がこの島を仕切っている。
向かいから男が近づいてくる。ハットにトレンチコートの長身の男が。
隆治はその男に興味を示さずに歩みを進めた。ちょうどふたりが擦れ違うところで、その男は隆治に声をかけた。
「大切な人を失うことは辛いですよね』
「あ?」
香代の顔が浮かんだ隆治は睨みを利かせてその男を見た。彼はこちらを振り返らずにその場で立ち止まる。
「私はあなたのように心に傷を負った者を救っています。ご協力いただければ、あなたの目的に協力しましょう」
得体の知れない存在。だがしかし、他に頼るものもない。隆治はこの男に不思議な魔力を感じた。
だから、こう訊ねた。
「俺は何をしたらええんや?」
「執行人になって依頼を遂行してください。アッシュディーラーのために。あなたのような人を救い、あなた自身を救うのです」
アッシュディーラー?
この男に協力すれば香代が見つかるのか?
ただ利用されているだけやないか?
そんな疑問が一瞬で頭をぐるりと巡り、隆治は言った。
「わかった」
大切な姉を失った湊と一緒に、ここからふたりの終わりなき旅は始まった。
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