タイム

カコ

素敵な世界

 空は茜色に染まり、今日もまたあの場所に帰らなければならない。学校が楽しいとは特に感じたことはないが、あの場所にいるくらいなら学校にいる時間の方が幾分いい。


 セーラー服を着たどこにでもいる高校生の私は、ほとんどの学生が持っていない悩みを持っている。公園のブランコで時間を潰しているのも家に帰りたくないから。いつまでこんな日々が続くのだろうか。


 塾に行かず勉強は自力でなんとかするしかない。それも最低限高校を卒業するためのもので、進学という選択肢はない。それは経済的な理由が大きい。だけど、裕福であってもその選択はしない。勉強が好きなわけではないし、特にやりたいこともない。


 本当なら高校が終わればまっすぐ帰宅して宿題をして、楽しいことに時間を費やしたい。でも、あの場所に私が自由になる環境はない。鎖で縛られたように、すべての行動を監視する存在がいる。



 「はあ……」



 自然と漏れたため息。私の人生が狂ったのは過去のある出来事が原因だった。二年前、両親が交通事故で帰らぬ人となった。飲酒運転をした若者が制限速度を大幅に超えて信号無視をし、そこに偶然両親が乗った車両が通りかかった。横から突き刺さるように突撃された車両は横転し、懸命な救命も実を結ぶことはなかった。


 両親が他界してひとりになった私を引き取ったのは叔父夫婦だった。彼らには私と同い年のひとり娘がおり、何をするにも彼女が優遇される。もちろん居候の私が実の娘と同じだけの愛情が注がれることなどないと割り切っていた。


 しかし、私の扱いは実に酷いものだった。家事はすべて私の仕事。炊事、洗濯、掃除、すべてをひとりでこなさなければならない。夜は家事を終えてから深夜まで勉強する。その時間はすでに彼らは眠っているため、物音を立てることは決して許されない。朝は朝食の準備のために誰よりも早く起きる。その時間はまだ彼らは眠っているから、でるだけ物音を抑えなければならない。


 最低限の生活費のみを渡されてそこから食費を捻出、私の小遣いはそこから残った僅かな金額のみ。節約のために質素な食事を提供すると、もっといいものを出せと小言を言われる。ならばもっと金を寄越せとは口が裂けても言えない。


 別に物欲はないから大金がほしいとは思わないけれど、将来を考えると蓄えは必要になる。だからといって自分で稼ぐためにアルバイトをすることも許可されない。家事が疎かになると彼らが困るから。


 実の娘は将来成功するようにと高額な授業料を注ぎ込んで進学塾に通わせ、模試を受け、一流大学に入学させようとしている。そんな恵まれた環境の娘は、勉強で忙しくて大変だ、お前は期待されていなくて羨ましい、などとなんとも贅沢な愚痴を言ってくる。その手に刃物があれば衝動的に刺してしまいそうなくらいに腹が立つ。


 私が何をしたと言うの?


 毎日を平穏に幸せに暮らしていたのに、身勝手な飲酒運転で両親を失い、引き取られた先の家族には疎ましがられ、奴隷のような扱いを受ける。


 誰か私を救ってくれないかな。


 小学生ほどの女の子がふたり、公園の前の道路を歩いている。高らかに笑いながら、今夜のテレビで有名な俳優が出るから絶対に見ようと共通の推しについて話す。まだ高校生の私だって、こんな話を友達としながら部活をして勉強して、恋もしていたかもしれない。


 自分の力ではどうにもならない理不尽な現実がすべてを台無しにしてしまった。私の代わりに彼らを消してくれる人はいないだろうか。それも、証拠を残さず、なんならそもそも存在していなかったかのように綺麗になかったことにしてくれる人は。



 「そんなことあるわけないのにね」



 自分の浅はかな考えを嘲笑して私はブランコから立ち上がった。あざになった腹の傷が痛む。そろそろ帰らないと、また傷が増えてしまう。


 それでも私は諦めない。


 いつか私が大人になって、前向きに毎日を生きてさえいれば、こんな私でも大切に愛しく想ってくれる人が現れるかもしれない。高校を卒業してしまえば自分の意志で働いて、ひとりで生きていくことだってできるようになる。


 幸せな日々が必ずやってくる。そう信じていれば、こんな日々でも耐えられた。


 だけど、もし私の前に悪い人が現れて、彼らに復讐することができるならば、自分の幸せより彼らに苦しみを与えることを優先してしまうかもしれない。


 因果応報。自らの誤ちを無視して生きていくことは、人として許されない。それを成し遂げてくれる人がいるとしたら、どれだけ悪い人でも私にとっては英雄になるだろう。


 私がもっとも嫌いなもの、夕方のチャイムが街に響き渡る。これを聞くと夕飯だと当たり前の毎日を過ごしていた頃の私はもういない。子供たちはまた明日と別れの挨拶を交わしてそれぞれの自宅に帰っていく。


 帰ったら夕飯の準備をして、彼らが食べ終わるまでに風呂を沸かし、食器を洗って洗濯をして、自分の時間はその後。


 まともに睡眠時間はないのに、そんなに眠くなることはない。身体が命を守るために私を助けてくれているのかもしれない。


 茜色の空が端から青く染まっていく。


 帰ろう。

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