旧知の仲
「ったく、身体が痛え。歳はとりたくねえよな」
閉店後の徳之間でひとり愚痴をこぼしカウンターで日本酒にありつく隆治は、最近さらに老化の影響を受けるようになった。
虐められた垣内純平の依頼で虐めっ子どもを成敗して病院送りにしたまではよかったが、その後に彼を襲ったのは筋肉痛と関節痛だった。まだ四十歳は世間的にそこまで歳をとったとみなされるものではないのだろうが、やはり二十代の湊と比べるとこの身体は容易く故障する。
少しずつ酒を注ぎながら煽っていると、戸が開いて男が入ってきた。湊はすでに退勤し、この場所にいるのは隆治のみ。彼が訪ねてくるのは事前に知っていたので、酒を嗜んで待っていたのだ。
こんな深夜まで店に残るのは、奥の部屋でオッドアイの男と商談するときか、彼が訪ねるときくらいのものだ。
くたびれたスーツを着た男は、隆治の隣の椅子に腰掛けた。隆治は無言でグラスに酒を注いで彼の前に置いたが、彼がそれに手を伸ばすことはなかった。
「仕事がまだあるから今日はやめとく。ちょっとだけ話せるか?」
「真面目な話かいな」
「至って真面目な話や」
「身体だけやなく頭も疲れさす気か」
隆治は一度酒を止めて手に持っていたグラスをカウンターに置いた。
隣にいる男は高津陽大。刑事課の課長を務める彼は、隆治と学生時代の同級生。この徳之間の常連である光輝と志穂は彼の直属の部下にあたる。
隆治はカウンターに肘をついて頬を手に乗せた。頭を支える首が疲れて、こうしていないと気絶してしまいそうだ。
「ついさっきまでお前の部下ふたりがここにおったわ」
「あいつらよう来てるみたいやな。隆治の飯がうまいことは俺がよう知っとる」
高津の言葉を隆治は鼻で笑った。
「お前は滅多に食べに来んやろうが」
「表立って動くと問題になるかもしれんやろ」
「なんや真面目やな」
「最初から真面目な話やと言うとるやろ」
そうやった。高津は真面目な話をするためにここに来た。酒を飲んでいたせいか記憶力と集中力が欠けていたらしい。
「檜山にメールで誘導してアッシュディーラーの仕事を追わせてみたが、特に新しい情報は見つからんかった」
「今回の仕事であいつらに姿を見られてしもうたわ。やけど、これで湊が追われることはないやろう。俺とあいつは背格好も体型も全然違う」
高津が匿名で送信したメールを見て光輝はアッシュディーラーの存在を追うことになった。これはすべて隆治と高津が計画したことだ。
先入観なしで物事を外から客観視することで違った世界が見えることがある。そう考えての策だったが、大きな成果は得られなかった。だが、光輝と志穂にはアッシュディーラーの存在が薄らと見えてきている。結果的に彼らを動かしやすい状況になったことは収穫だ。
「香代さんが失踪してから三年か。長いようで短かったな」
仕事があるから酒は控えておくと先ほど言った高津だったが、彼は隆治が酒を注いだグラスを手に取った。実際に飲むことはないが、何かを手にしていないと落ち着かないようだ。
「そういや、最近夏夜っていう名前の客が常連になった。夏の夜で夏夜。顔も姿もまったくの別人のはずやのに、なんでか香代を思い出した」
「ほう。他人の空似ってやつか」
「いや、似てはないんや。でも、なんていうか、雰囲気というか、オーラというか、そんなのが似とるんや」
「一度会ってみたいもんやな」
高津は隆治と旧知の仲として香代に会ったことがある。学生時代の交友関係というものは余程強固でないと時間と共に消え去ってしまう。だが、このふたりは四十代に入った今でも交流が続いている。高津は隆治が幸せになることを心から祝福してくれた。
そんなある日突然彼女は姿を消した。そのときになって初めて隆治は彼女の過去を知った。それも、彼女が生きてきた環境は非常に辛く、孤独なものだった。
虐待を受け、奴隷のように扱われ、何度も死を覚悟したことだろう。それでも彼女は生きて隆治と出会った。そして、隆治の境遇を知った上で、彼と一緒に生きていきたいと言ってくれた。
そんな香代の過去を何も知らず、彼女がいなくなってやっと彼女の苦しみを知った隆治は、三年経ってもなお香代を想い、探し続けている。恋人だったら、楽しいことや幸福だけでなく、嫌なことや暗い過去だって共有したかった。
「自分を責めるな。お前は悪くない。お前の人生をこんな風に変えたのは俺のせいや」
俯いて香代を思い出している隆治の横顔を見ていた高津が手に持っていたグラスを隆治に差し出した。一口も飲んでいない酒を隆治は一気に喉から腹へ流し込む。
「よくも悪くも俺の人生は陽大が変えた。それでも、俺はお前が友達でいてくれてよかったと心から思っとる」
「なんや真面目に言われると気持ち悪いな」
「今日は真面目な話をしに来たんやろうが」
「そうやったな」
まだまだ先は長い。アッシュディーラーを調べるためにどれだけの時間がかかるかはわからない。
わからなくても、諦めるつもりはない。香代が見つかるまでは。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます