ふたつの世界

 「楽しんでる?」


 「はい。すごく楽しいです」



 渚に話しかけられた宇海は雫と一緒にビールを飲んでほろ酔い気分になっていた。渚が主催するホームパーティーは、商品企画部の課員五名が集まるだけで規模は大きくないが、普段から気心の知れているメンバー同士で無礼講の席だった。


 渚の自宅はマンションの一室。彼女は独身で一人暮らしをしているが、リーダーという職に就いているだけあって宇海が契約している賃貸よりは遥かに広い家賃もそれなりに高そうな部屋に住んでいる。いつか宇海もこんな生活ができるだろうかと期待を膨らませるほどに。


 インターホンが鳴って渚がモニターで来客を確認すると、そこに立っているのは湊だった。



 「宇海ちゃん、相波くんが来たから出てあげて」


 「あ、はい」



 渚の部屋への来客なのだが、気を利かせて宇海に出迎えさせてくれた。他の課員がこちらに微笑んでいるところを見ると、全員が宇海と湊の関係を応援してくれているらしい。まだそこまで深い関係でもないし、ぎりぎり友達と呼べるほどの仲だが、当初より仲良くなったことは否めない。


 宇海は長い廊下を進んで玄関の扉を開けた。湊は手土産の袋を持って「お待たせ」と宇海の背中を追ってリビングへと歩く。


 リビングに入ると渚が湊を出迎えた。徳之間でよく顔を合わせていても、プライベートの時間に会うことはそうそうない。会社の仲間だけで開かれたホームパーティーに参加することは今回が初めてだ。



 「相波くん、いらっしゃい」


 「お邪魔します」


 「あれ、何か持って来てくれたの? 気を遣わなくてよかったのに」


 「手ぶらってわけにもいかんからさ。徳之間の出張焼き鳥」



 袋から仕込まれた串と秘伝のタレを取り出した湊に渚が拍手を送った。酒が回ってきた恵介と木田も歓声を送った。これ以上に酒に合うものはこの世に存在しないと言えるほどに、隆治の串は人気だ。



 「キッチン借りていい? 徳さんほど上手に焼けるかはわからんけど」


 「跡継の腕前拝見ね」



 湊がキッチンで作業を始めると、宇海は彼を手伝うため隣に立った。ふたりが並んで協力する姿を見て満足する渚と雫だが、当の本人がそれに気づくことはなない。



 「徳之間は店長さんひとりで大丈夫?」


 「俺も徳さんが不在のときはひとりでやってたから大丈夫やろ」


 「そもそもあの店をふたりだけでやってるのがすごいよね」


 「そう? ずっとふたりでやってきたからなあ。もうなんとも思わんわ。このパーティーに参加するか考えてたら、店は気にせず行ってこいってさ」


 「信頼してるんやね。店長さんのこと」


 「まあ、腐れ縁みたいなもんやな」



 湊はフライパンの上に網を乗せると、等間隔で串を並べていく。鶏肉から脂が落ちてキッチンに徳之間でいつも食欲を唆る魅惑の香りが広がった。それは換気扇に吸い込まれていくが、溢れ出す香りは次第にリビングにも進出していき、渚たちの脳を刺激した。



 「自分の部屋で徳之間と同じ感覚になるのは新鮮」


 「出張してくれるなら、毎回パーティーに来てもらいましょうよ」


 「それはいい」



 湊は串の香りで喜んでいる渚たちを見て微笑んだ。きっと彼は誰よりも隆治の腕を信頼して、彼の串が人を喜ばせることを自分のことのように喜んでいる。


 宇海は皿を準備すると、焼き上がった串を港がそれに並べていく。秘伝のタレをかけて渾身の串は完成した。宇海は湊に言われてその皿をリビングのテーブルに置いた。最初に渚が串を一本取ると、恵介、木田、雫と年功序列で一本ずつ手に取った。


 宇海と串を焼き上げた湊も一本ずつ手に取り、全員が同じタイミングで鶏肉をひとつ加えて串を引く。湊は隆治の技術に遠く及ばないことを自覚しながらも、この場でみんながおいしいと笑っている姿を見ることができて満足だった。


 宇海が湊にお酒を注いで、準備されていた料理、湊が焼いた串と共に時間は過ぎていった。ほろ酔い気分で脳内がふわふわしてきた頃、雫が湊に話しかけた。



 「ベランダからの夜景が綺麗だよ」



 湊は「へえ」としか言わなかったが、酔っている雫によって半ば強引にベランダに出された。その夜景は確かに綺麗だったが、京都の夜景ならもっと綺麗に見える場所がある。


 雫は次に宇海の手を引いてベランダに誘導した。彼女は宇海の先輩、友人として恋路を応援しようとしている。それがわかったから、その努力に報いるために宇海はベランダに出た。


 扉が閉められ、ふたりだけの空間はリビングと隔たれた。酒を片手に夜の世界を眺めるふたり。



 「これからも仕事を続けるの?」



 こんな最高のムードの中にいるのに、宇海から出た言葉は現実的なものだった。リビングにふたりの会話は聞こえない。宇海にとって湊は大切な人、だから、彼が危険を冒すようなことは避けてほしい。



 「徳さんが諦めない限りは」


 「無理はせんでね。これからも友達でいたいから」


 「うん、ありがと。いつかすべてが終わったら、俺も自分の生き方を見つけられるかな」


 「うん、きっと」



 湊が夜景を見ながら微笑む横顔を見て、なぜか体温が上がる宇海だった。

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