中継地点

 光輝と志穂は刑事課のデスクでそれぞれの業務を遂行していた。


 光輝は腹に受けたあの痛みを思い出し、思わず表情を歪める。今はもう痛くないのだが、記憶というものはなかなかに優秀だ。


 ようやく仮面の男に会うことができたというのに何もできず、圧倒的な力の前に屈した。広幡宇海から聞いていた男の印象とはあまりにも違っていて、本当に同一人物なのかと疑うほどだ。


 宇海にとって仮面の男は正義の使者、しかし光輝が見た仮面の男はまるで悪魔のような存在だった。ビルの屋上で横たわる五人の高校生たち。彼らは高校で同級生に卑劣な虐めを行い、その結果報いを受ける形になった。


 全員志穂が手配した救急車で病院に搬送されたが、彼らに同情する声は一切なく、むしろ虐めをして楽しんでいたことが世間に知られて罵倒されている。


 インターネットではすでに特定班と呼ばれる者たちが彼らの正体を突き止め、指名手配犯のような扱いを受けていた。被害生徒の担任教師、菊間もまた事実を知りながら巻き込まれることを恐れて何もしなかったとして学校の対応や管理の不行き届きに対して連日学校宛の抗議の電話が鳴り止まないそうだ。これから先、関係者には辛く暗い日々が訪れることだろう。


 光輝はデスクにあるスマホを手に取ってメールの受信箱を開いた。そこに保管されているのは三通のメール。誰がどういう目的で送信したものかはわからないが、それらのメールの内容に関する事件を扱うことになったのは紛れもない事実だ。


 すべてに共通することは、被害者がいる事件と報復を受ける加害者。悪事を働いた者はすべからく不幸な最後を遂げた。そして、謎の仮面を被った男がその復讐を行なっている。


 なぜこのメールを送信した者は光輝に対して送って来るのだろうか。その先に光輝が知るべき秘密があり、その結果得をする人物がいるというのか。どれだけ考えても光輝がすべきことは変わらない。仮面の男の正体を追い、事実を知ること。



 「鴻池、垣内淳平の家に行くぞ」


 「私たちの担当やないですよ」


 「気になって他のことが手につかんわ」


 「課長にどう説明するんですか」


 「後で考える」



 席を立つ光輝、やれやれと根負けしてそのあとを追う志穂。刑事課から去るふたりを高津は横目で見て、ため息をついた。


 すでにこの件を担当する刑事が純平を訪ねているだろうが、むしろこのタイミングなら光輝が勝手に話を聞いても誰にも知られることはない。先に訪ねて後から来た誰かに「またですか?」と言われようものなら問題になるから、あえて時間を空けて待ったのだ。


 自宅に到着してインターホンを鳴らすと純平本人が在宅だった。彼はすでに高校を退学しているので、今は何もすることがないのだろう。


 想像通り、彼は「まだ何かあるんですか?」と呆れたように言って光輝と志穂をリビングに通した。刑事が来た割に落ち着きのある純平は冷蔵庫から取り出した麦茶をカップに注いでテーブルに置いた。


 こちらが「お構いなく」と社交辞令を伝えるほどに、彼は自立している印象だ。ひとりで虐めと戦ううちに、精神は強くなったのかもしれない。


 純平は光輝と対面する形でソファに座って「なんでしょうか?」と両手を合わせて膝の上に置く。



 「単刀直入に聞く。全部、君が企んだことか?」



 光輝の言葉に隣の志穂は右手で額を押さえて俯いた。証拠もない状況で担当でもない刑事が大勝負に出た。犯人扱いされたと警察にクレームを入れられたら、志穂も含めて処分を受けることになる。


 光輝は信憑性のなかったメールが連続して事件と関わったことで、すでに三通目のそれは事実だと疑ってすらいない。目の前にいる青年が仮面の男に依頼して自身を苦しめた五人に復讐を実行した。そして、担任教師や学校にも社会的な制裁を加えて退学した。


 これは純平にとってほぼ捨て身の復讐劇。



 「そうですよ。全部僕がやりました」


 「認めるんか」


 「はい、本当のことですから。目を逸らして逃げるやつらと同じにはならない」



 想定外の事態に光輝は無表情で純平を見ていた。対照的に志穂は動揺を抑えようと静かに深く呼吸を繰り返す。



 「仮面の男は何者や?」


 「仮面? なんですか、それ」


 「惚けるな。お前が頼んだんやろ?」


 「知りません。あいつらは悪いことしてましたから、天罰が下った。それだけやないですか」



 純平が企んだこと。それは認めるが、仮面の男については何も語ろうとしない。やはり、口止めをされているのか。もっとも憎む相手が同じ苦しみを味わえば、それ以上関わることはない。むしろ話すことで危険な人間に目をつけられることになる方が厄介だ。


 高校を退学した純平の人生はすでに狂っているが、苦痛に耐えるよりは全然いい。



 「これからどうするつもりや?」


 「さあ、どうなるんやろ。今はまだ何も考えてません」



 純平は憑き物が落ちたような清々しい笑顔で答えた。光輝はやりきれない思いを抱え、麦茶を一息で飲み干した。


 復讐を終えた彼の人生は、辛くともここから再び進む。今はしばらく羽を休めて、飛び立つその日まで。

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