憧れの的
「疲れたー」
宇海は仕事の休憩時間をよき先輩であり友人である雫と共に休憩室で過ごしていた。この仕事にも慣れてきて、以前は学習することで精一杯だった彼女も新たな景色が見えるようになった。
とはいえ、まだまだ半人前であることは否めない。いつも優しいリーダーの渚も宇海のミスに厳しく注意するようになった。声を荒げて叱責されることはないが、渚は常に論理的になぜミスが起こったのかを分析し、どのように改善していけばよいかを宇海自身に考えさせて再発防止、また課員を成長させることに徹している。
渚は自身が行動して会社に貢献することを目標としているが、直接成果を上げるのは部下の役割だと思っている。彼女は常にそのサポートに回って、部署の主役は全員であるという考えのもと業務に従事している。
結果的にそれが渚自身の負担を軽減することにも繋がっているため、実に理に適った方法だ。
「宇海ちゃんもだいぶこの仕事が板についてきたんじゃない?」
「まだまだミスばかりですけどね。でも、来た当初に比べたら確かにできるようになってきた実感はあります」
「お、自己評価高いね。いいじゃん」
「自信を持つことが大切って渚さんに言われたので」
「うん、大切。宇海ちゃんはできる人だから」
宇海と雫は自動販売機で購入した飲み物を手に束の間の休息を楽しんだ。この後は残された業務がたくさんあるので、本日もおそらく残業になるだろう。それもできることが増えたからであり、残業はあまりしない方がいいとはいえこの部署の戦力になったことが嬉しかった。
希望した部署に異動し、期待していた通りの業務ができて、人間関係は良好、それ以上に何を望むことがあろうか。
「で、相波くんとの関係は進んだの?」
「あ、えーっと……。友達、になりました」
「やっと友達かあ」
「いろいろ大変やったんです」
「まあそうだよね。私も相波くんと知り合ってから結構経つけど、浮いた噂が全然なかったから。渚さんとは仲良いけど、プライベートで会うことはないし」
雫には隠し事ができない宇海は、湊とふたりで会うことを伝えていた。本題は仮面の件であったが、そのことはさすがに伝えられなかった。だから、雫は宇海と湊がデートをしたと思っているのだ。
宇海の言ういろいろ大変だったという言葉は文字通り湊から本当のことを聞くために、駆け引きをしたことが大変だったという意味だ。
宇海は湊からすべてを聞いた。なぜ、彼が仮面を被ってあのような危険な人助けをしているのか。それは、徳之間の店主である隆治に協力するため。
湊が過去に仕事でお世話になった先輩である香代が失踪し、その香代の恋人であった隆治は、彼女のことをずっと探している。湊は姉のように慕った香代を探すため、香代を幸せにしたいという目的を共に持つ隆治のため、ある組織に所属して人助けをしている。
湊と隆治は単なる雇用主と従業員ではなく、もっと深いところで繋がった関係だった。表向きはどこにでもいる店長と従業員、裏では人生の道筋を共有する関係。それを知ることで気が済むと考えていたが、結局彼らの目的が達成されるのかが知りたくなった。
宇海は幼い頃から好奇心が強く、様々な質問で親を困らせた。やはり天性のお節介はいくつになっても変わることがないらしい。
「おーい、宇海さーん。聞いてますかー?」
「あ、はい。聞いてます。いや、聞いてませんでしたが、今は聞いてます」
湊との会話を思い返していた宇海はひとりの世界に閉じこもっていた。雫の問いかけで我に帰り、彼女との休憩室に帰還した。
「何か困ってるなら話聞くよ?」
「いや、本当に何もないですから。仕事もプライベートも順調です」
「そうなの。いいことじゃない」
宇海と雫の会話の中に突然別方向から言葉が飛び込んできた。見るとふたりからは見えにくい位置に座る渚がいた。
渚は確かリーダーとして定期的に出席するミーティングで席を外していた。数年前まではエリアに分かれて会議室を用意し実際に顔を合わせていたらしいが、最近は各々の職場からオンラインで参加する方法が主流になりつつある。
渚はいつもミーティングの時間だけビルの中にある時間貸しの会議室を抑えてタブレットで参加していた。さすがに他の課員がいるオフィスでミーティングに参加するわけにもいかない。
「ミーティング終わったんですか?」
「ええ、予定より早く終わったから休憩しようと思ってここに来たら、おふたりさんが仲良く話してたから聞いてたの。雫ちゃんにも後輩ができて、仲良くやってるようで安心したわ」
渚は缶コーヒーの最後の一口を飲み干した。彼女は宇海と雫が想像するより長い時間この休憩室にいて、ふたりの会話を聞いていたらしい。
「私先に戻ってるね。ミーティングの資料まとめないと」
「私たちももう少ししたら戻ります」
リーダーは大変な役職だ。いつか宇海も任されるようになるのだろうか。全然自信はないけれど、宇海が渚に思うように、自分を憧れてくれる部下を持ちたいと思った。
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