本音の吐露

 宇海は徳之間を訪ねた。


 今日は仕事が休みで特に用事はなかった。だから開店する前の早い時間にこの場所にやってきた。というのも、これは宇海が勝手にやってきたわけではなく、湊に呼び出されたから約束の時間にこの場所に来たにすぎない。


 客がいないガラガラの店内は見慣れていない。カウンターで掃除をしている湊がひとり、隆治はいないようだ。今日は店を開かないと聞いていたから、湊がひとりで掃除をしていたのだろう。


 湊があのとき救ってくれた仮面の男であることはもうわかった。だからすでにお礼は伝えたし、当初の目的は果たした。


 しかし、人間というものは欲深いもので、ひとつの目的を達成したら次のゴールを目指したくなる。宇海にとってのそれは、理由だった。どうして湊は自ら危険を冒してまであんなことをしているのか。正義のヒーローだとか、困っている人を救いたいだとか、何も見返りなく他人のためだけに行動できるものだろうか。それも自分と深い関係のない他人のために。



 「休みに呼び出してごめんな」


 「ううん、大丈夫。暇してたから」


 「なんか飲む?」


 「それじゃあ、お茶を」



 湊はポットから熱い緑茶を湯呑みに注いでカウンターに置いた。宇海が出されたお茶に口をつけると、掃除を止めて湊が隣の席に腰掛けた。



 「今日は店長さんは?」


 「用事があるって。だからゆっくり話せる」


 「話って、あのこと?」



 湊は宇海の顔を見て頷いた。宇海から話を切り出さなくても、知りたいことは彼の口から聞けそうだ。


 湊はこれから話すことは誰にも言わないでほしいと前置きしてから彼の過去について打ち明け始めた。



 「徳之間で働く前、別の会社に勤めてて、そこである女の人と出会った。その人は俺にとって特別な人やった」


 「恋人、とか?」


 「いや、そんなんやない。俺にとってはその人は仕事の先輩で、よう面倒見てくれてお世話になった人」



 湊が言う大切な人が恋人ではなかったことを知り、宇海は安堵した。湊の話には色恋の話よりもっと重くて深い何かがありそうだ。



 「香代さんって言って、仕事の悩みを聞いてくれたり、プライベートで困ったことがあっても相談に乗ってくれた。俺にとっては姉みたいな存在で、すごい頼りになる人やった。香代さん自身も昔いろいろ苦労したみたいで、親身になって俺の話を聞いてくれた」


 「本当にいい人やったんやね」


 「うん。あんな人、これまでの人生で他に会ったことないわ」



 そう言って香代を思い出す湊の表情は穏やかで、とても優しい笑みを浮かべていた。その表情から香代がどんな人物で、湊がどれだけ彼女に感謝しているかを計り知ることができた。



 「本当は今頃、香代さんは徳さんと夫婦やったのに……」

 

 「徳間さんって、店長さん?」


 「そう、ふたりは結婚を前提に交際してて、同棲もしてた」



 そこで初めて湊と隆治の関係を宇海は知った。ふたりは単なる職場の雇い主と従業員だと思っていたが、プライベートな繋がりがあったようだ。


 湊が今徳之間で働いていることも、仮面を被って秘密の仕事をしていることも、すべては香代がきっかけなのだろう。


 宇海は湊の話が止まったところでもう一度お茶を口へと運んだ。これから彼が話す内容はきっと暗い過去。その前に心を落ち着けておきたかった。



 「突然、香代さんはいなくなった。あれから三年経っても、どこにいてるかわからん。徳さんの前では言わんようにしてるけど、生きてるかもわからん」


 「そんなことがあったんやね。全然知らんかった」


 「このことを話すのは宇海ちゃんが初めてや。他に知ってる人はおらん。まあ、事件を担当した刑事くらいか」



 その刑事というのは徳之間の常連である光輝と志穂だ。宇海は光輝と仮面の男の件について話すためにカフェで会ったことがある。そして、この徳之間でも何度か顔を合わせた。



 「香代さんを見つけるために、あんなことしてんの?」


 「そのあたりは俺もようわかってない。徳さんは何か知ってるんかもしれんけど、詳しいことは俺にも話さんから。でも、徳さんにもこの三年世話になったし、香代さんとまた会いたいのは俺も一緒やから、そのために手伝ってる」


 「そっか。相波さんがやってることは、人助けなんよね?」


 「どうなんやろか。正しい方法とは言えへんかもしれん。それでも、誰かに苦しめられた人が復讐を望むなら、俺はそれを叶えたい。暴力は褒められたことやないけど、人は殺したことないからそこは勘違いせんといてな」



 そんなこと言われなくても、湊が人を殺せるような性格でないことはもうよくわかっている。この世には理不尽なことがたくさんある。きっと湊の行動によって精神的に救われた人はいる。



 「わかった。このことは誰にも言わへん。もちろん、あの刑事さんにも」


 「ありがとう。本当は適当な話作って同情してもらおうと思ってた。そしたら、刑事さんには黙ってくれるかなって。でも、それは徳さんに止められた。自分の利益のために他人と上部の付き合いはすんなって」


 「徳間さんは、相波さんにとって師匠みたいな人なんやね。私は相波さんが本当のこと話してくれてすごく嬉しい」



 一体この気持ちはなんなのだろう。


 隣に座る湊を見ていると宇海の胸は締め付けられるように苦しくなった。

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