理不尽と戦うには
本当に願いが叶うとは思っていなかった。覚悟を決めてホームセンターで購入した包丁を手渡したあの人は本当に復讐のために力を貸してくれるらしい。
すでに日が暮れてから数時間が経過し、京都の街は暗闇に包まれた。ここはまだ比較的都会の風景が広がる場所であるため、夜でも街灯や建物の灯りが視界を確保してくれる。
垣内純平は昼に再会したあのスーツの男から指定されたビルの屋上へと続く階段を上がった。何度も折り返して屋上へと続く階段は鉄で作られ外に取り付けられたもので、防護柵も低い。飛び降りようとすれば誰でもその命を投げ出すことができる。きっとあの人との出会いがなかったら、この場にいる純平はその身を遥か下にある地上に投げ捨てることを選んでいたかもしれない。
だが、今はそんな気の迷いはない。この階段を上り切った場所には、この地獄から救い出してくれる正義のヒーローがいるはずだ。
とはいうものの、その人物が善人だとは限らない。元来人を傷つけることが趣味で、復讐という大義名分のために虐めっ子どもを殴れるからという理由で依頼を受けた可能性がある。であれば、これから会う人物は純平を苦しめてきたあいつらと同じような性質の人間であることも考えられる。十分に用心しておかないと。
純平は階段を上り切り、屋上へと辿り着いた。あまり面積が大きくないビルの屋上は狭く、周囲に網状のフェンスがあるだけの簡素な造りだった。純平がいる場所の反対側、フェンスに背中を預けてこちらを見ている人影がある。シルエットしか見えないが、細身で背が高く、おそらく男だろう。
「お前が依頼人か?」
「は、はい。そうです」
その男はフェンスから離れてゆっくりこちらに近づいてくる。純平は反射的に身構えた。
その男は珍しいデザインの仮面を被っていて、素顔を確認することはできない。純平は虐めを受け始めてからというもの、こちらに向かってくる人間は全員が敵だと考えるようになった。それがたとえ見ず知らずの通行人でも、かつて友達と呼んでいて厄介な不良に目をつけられた途端に離れていった偽善者でも、本来は問題を解決しなければならないのに面倒ごとに巻き込まれたくないと知らぬふりをする教師どもでも。
「ほらよ」
その男は純平に手が届く距離までは近づかずに何かを彼の前に投げた。それはぱしっと軽い音を立てて地面を滑る。
「その中にお前が虐められた証拠が入ってる。どう使うかはお前次第や」
男が投げたそれはA4サイズの茶封筒だった。中には数枚の書類とUSBメモリが入っている。詳細を確認しようにも、この暗闇の中で文字を認識することは非常に困難で明るい街も屋上まではその光を届けることはなかった。
「この世には理不尽なことがいっぱいある。どうしようもないことの方が世の中には多い。それでも、弱音だけ吐いてても人生は負け続けるだけや。本当に強くなりたいんやったら、お前自身が相応の対価を支払ってでも自分の人生変えてみろ」
「対価……。あの人も同じこと言ってましたね。確かに僕は弱かった。虐められても誰かに助けてもらおうとするだけで、自分で戦おうとしてなかった。でも、もう違います。自分にできることやったらなんでもする」
「お前にできへんことは俺に任せろ。実行は明日。この場所にお前を虐めてきた五人を呼び出せ。あとは俺がこの世の理不尽をそいつらに叩き込んだる」
男の言葉に強い希望の光を見出した純平は頷いた。ようやく一歩踏み出すことができた。これから進む道は決して易しいものではない。自分の人生も大きく変わることになる。それでも、果てしない暗闇の中を変化も感じずに進んでいくだけの人生ではない。
「ちょっと訊いてええか?」
危険だと警戒していた人物は思ったより人間らしく、普通の男のような気がした。長話をする気はなかったが、純平はこの人ならまともな会話ができるだろうと「なんですか?」と返事をした。
「何がきっかけで虐められるようになったんや?」
純平は俯いて記憶をたぐり寄せた。いつから虐められるようになったかは覚えているが、そのきっかけがなんだったかは一才記憶になかった。
「なんでかは僕もわかりません。気がついたら虐められてて、それが当たり前になってました」
「虐められる側にも原因があるなんて聞いたことあるけどな、どんな理由があっても人が人を殴って許されることなんてない。こんなことやってる俺が言っても説得力ないけどな、お前は常に正しい方法で生きていけや。その封筒の中にあるものはそのための武器になる」
純平は手に持っている封筒を強く抱きしめた。
「じゃあ、どうしてあなたはこんなことをやってるんですか?」
「個人的な理由や。簡単に言うたら、世の中の理不尽を跳ね返すには、こっち側も理不尽を武器にせなあかんから、か……」
「うーん、難しいですね」
「まあ、お前は一生わからんでええ」
純平は明日この場所に復讐したいやつらをこの場所に呼ぶことを約束して、二度と会わないであろう仮面の男に深くお辞儀をした。振り返って階段を駆け下りる純平の足音から重みは消えていた。
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