目玉商品

 徳之間を湊ひとりで開店することは珍しい。店主である隆治が不在の状況で業務をしていると、普段は当たり前に過ぎていく時間が少しばかりか長く感じる。意識していなくても、それだけふたりでいることが当然になっているということだろう。


 まだ客はひとりも入っていない。開店前から客が並んでいることもあるものの、今日はいまだにひとりも客が入っていない。もちろんそういう日もあるが、今日に限ってはある事情が関係しているのかもしれない。隆治が不在であることで、串が提供できないから。こだわりが強い隆治は焼き台を他人に触られることを嫌う。それは、ずっと一緒にいる湊でも例外ではない。


 焼き鳥屋に来て串がないのは中華料理屋の餃子が売り切れている状況と等しい。だから開店時に店の入り口に串が提供できないことは張り出しておいた。


 扉の向こうに人の気配があるが、それはすぐに消える。張り紙を見て日を改めようと考える人が多いようだ。


 隆治がいない理由はアッシュディーラーの依頼を遂行するため。詳しくは聞かされていないが、高校生の虐め関連だという。その話を聞いて隆治が自分でやると言ったことに合点がいった。彼がもっとも嫌うことは弱い者虐めだ。人情に熱い隆治のことだ。下手をすれば虐めをしている連中は二度と立ち上がれないほどの恐怖を味わうことになるかもしれない。


 湊はふと隆治に出会ったときのことを思い出した。あのときの彼は一目で危険な人物だとわかるほどのオーラがあった。それに比べたら、今は随分と丸くなったものだ。



 「もう三年か」



 誰もいない徳之間を見渡して時の流れの早さに思いを馳せた湊だが、すぐ我に帰って客が来たときのためにできることをやっておこうと業務に戻った。


 それから十分ほどして扉が開いて、本日最初の客が来店した。


 これまで見たことがない一見の客で、三十代半ばに見える女性だった。店内に客がいないので入りづらそうにしている彼女に湊は声をかける。



 「いらっしゃい。今日は焼き鳥が出せないんですけど、それでもいいですか?」



 張り紙をしておいたが、見ていない可能性を考えて事前に確認しておいた。



 「そうなんですね。でもせっかくなので少しお邪魔してもいいですか?」


 「ええ、喜んで」



 その女性はカウンターの端の席に座り、店内をぐるりと見渡した。



 「このお店のことを教えてもらって来てみたんですけど、おすすめはなんですか?」


 「親子丼が人気です。ビールと一緒にどうです?」


 「それでお願いします」



 面と向かって話していると、知らない人のはずなのに懐かしい感覚がした。なんとなく香代に似ている。だが、目の前にいるのは顔がまったく違う別人。湊は首を振って親子丼の調理に専念した。ジョッキにビールを注いで先に提供するも、彼女は口をつけずに湊が調理する姿をずっと眺めていた。湊は背中から彼女の視線を感じながらも手際よく調理を続けた。



 「若いのにお店を持って立派ですね」


 「いや、店主は別におって、今日は用事で任されてるんです」


 「だから串が出せないんですか?」


 「おっさんのこだわりが強いんでね。まだ任せてもらえんのです」


 「頑固親父、みたいな?」


 「仕事に対して熱があるというか。普段は適当なおっさんです」



 女性はくすっと笑って視線を落とした。その間に親子丼の鶏に火が通り、玉子は半熟とろとろの状態になった。湊は丼に盛りつけたご飯の上に、完成した具材を滑らせる。そのままカウンターに丼を置き、女性は微笑んで受け取った。


 おいしそうなものを目の前にすると人は自然と笑みが溢れる。



 「いただきます」



 礼儀正しく両手を合わせてから割り箸を割って一口。そのままビールを口に運んだ。湊はその様子を眺めて、女性の感想を待った。



 「あーもう最高!」


 「え?」


 「あれ、何か?」


 「いや、なんでも」



 店に入ってからここまでしとやかな雰囲気を保っていた彼女が、突然豪快に話すもので湊は驚いてしまった。


 湊は表情を引き締めて気づかれないように深呼吸をする。



 「なんでだろ。懐かしい味がします」


 「さっき話したおっさんが作った他にはない味のはずなんやけど。まあ、どこかに似てる味があってもおかしくはないか」


 「どこで食べたかは思い出せないけど、すごく好きな味です」


 「それはよかった」



 女性はまた親子丼を食べてはビールを飲んで、珍しく静かな徳之間でひとり食事を楽しんだ。串があればさらに満足してもらえたのだろうが、それを理由にまた来てもらえるかもしれない。



 「ごちそうさまでした」


 「また来てください。今度は自慢の串が出せると思うから」


 「はい、必ず」



 その女性は会計を済ませて出て行った。彼女がいなくなった店内はいつもに増して寂しい光景が残った。



 「うーん、やっぱり香代さんに似てるわなあ。今度来たときは徳さんも会えたらええんやけど。このまま常連さんになってくれるかな」



 俺も串が焼けたらなあ、と焼き台を眺める湊だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る