最後の依頼

 今日も疲れた。


 隆治は徳之間を閉店してカウンターで酒を嗜んだ後、例の部屋に足を踏み入れる。湊はすでに退勤して、この屋内にいる人物は彼ひとりのみ。酒が体内で悪戯をするせいで足元が少しだけおぼつかないが、慣れた部屋に入るくらいであれば特に大きな問題はなかった。


 真っ暗な部屋に入ってパソコンの電源をつけると、ぼやけた視界に隆治の脳を覚醒させるほどの眩い光が現れた。いつもと同じようにアルファベットや数字の羅列が目では追えないほどの速度で流れていき、画面が黒く染まるとオッドアイの男が現れた。かれこれ三年アッシュディーラーの執行官として活動しているが、この男の正体はいまだにわからないまま。それでも、こいつはきっと何かを知っている。こちらが下手に動けば何をされるかわからない怖さがあるため、従順な犬でいることが最適の選択であることはわかる。


 オッドアイの男の言葉遣いは丁寧であるが、その裏には鋭い刃が控えている。衣服は縫製された後に検針されてから出荷される。それは、針が残ったまま消費者に届かないようにしているから。だが、この男はその作業がされないままに出荷された。



 「こんばんは。お時間をいただき感謝します」


 「悪いけど今日は手短にしてくれや。歳のせいか疲れが溜まって仕方ねえ」


 「晩酌を楽しまれていたようにお見受けしますが……」


 「疲れた身体に染み渡る酒が最高なんや」


 「まあ、ほどほどになさってくださいね。酒は百薬の長。飲み過ぎは毒になりかねませんから」



 この男は他愛もない話をしているようで、腹の中を探らせないように牽制している。いつかまた会いたいと願う人の行方をこの男は知っているのかもしれない。それどころか、この男が彼女を抱えている可能性すらある。それを訊ねようにも素直に答えることはない。



 「早速本題に入ります。今回の依頼者はある高校二年生の男子生徒です。日常的に同級生から虐めを受けており、担任の教師ですら彼の苦しみを知っていて何もしようとしない。彼はすべてに絶望しており、この状況を打開するために復讐がしたいとのことです」


 「虐めか……」


 「徳間さんは嫌いですよね。弱いもの虐め」


 「好きなやつなんているかよ」



 昔も今も変わらず虐めというものは存在する。それはこれから先も決してなくなることはないだろう。それの何が楽しいかと訊ねても虐めをしている本人ですら答えられない。自らの鬱憤を他人にぶつけて自分が生きているという実感を得るための下衆な行為。



 「どうすればいい?」


 「目には目を。歯には歯を。痛みには痛みを与えることで復讐は成し遂げられる。依頼人が彼を虐める同級生五人をある場所に呼び出します。そこで彼が受けている苦痛と同じ苦しみを与えていただきたい。人間は恐怖を覚えることでしか自らの愚かさを見ようとしませんから」


 「担任は?」


 「それは依頼人の仕事です。我々はすでに虐めの証拠と教師がそれを見て見ぬふりをしている確証を掴んでいます」


 「そいつで教師人生を終わらせるってことか」


 「ええ、その通りです。そして、依頼人にも相応の対価を払っていただきます」


 「依頼人の人生を壊すようなことはすんなよ」


 「私が壊すわけではありませんよ。ただ、彼にとっての人生はすでに崩壊しかけている。それを止めるために依頼を受けたのです。命があればいくらでもやり直せます」



 その担任教師に同情する気持ちがないわけではない。自身のクラスで望んでもいないトラブルが起こり、頭を抱えているのは事実だろう。だからといってその事実から目を背けることは教師としてあってはならない。たとえどれだけ教師という仕事が激務であっても、自ら望んでその職業を選択したのであれば覚悟を持って生徒と向き合う責任がある。だから、隆治は下した結論をオッドアイの男に宣言した。



 「今回の依頼は俺がやる」


 「おや、相羽湊くんには任せられないので?」


 「虐めをするようなやつの根性を叩き直すならあいつより俺の方が向いてる。あいつは優しいからよ」


 「確かに、本職の方に出てこられたら不良も怯みそうですね」


 「な」


 「おや、これは失敬」



 隆治も三年前アッシュディーラーに関わり始めた頃は自ら受けた依頼を遂行していた。しかし、ここ最近は執行人として動くのはすべて湊だった。だが、今回の依頼は隆治が動く必要があった。近々この日常が狂うくらいの大きな何かが起こる。それが隆治の直感だった。



 「では、詳細は追って送ります。決行は近いうちになると思いますので、そのつもりでいつでも対応できるようにしておいてください」


 「了解」



 パソコンの画面からオッドアイの男が消え、室内は再び漆黒に包まれた。湊には後で説明をするが、隆治が依頼を受けるとなると報酬が入らないと文句を言われるかもしれないが、金がほしいならいつものお返しに分け前を与えるくらいなんとも思わない。


 この依頼は俺がやる。


 最後にもう一度、仮面を被ってその姿を見せなければならない。この命があるうちに。

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