秘めた素顔
平日でも夜の駅前は人通りが多く、スーツを着たビジネスマンや学校帰りの学生、飲み屋のキャッチをする若者で賑わう。宇海はその中に待ち合わせをしている人物を発見した。相波湊は焼き鳥屋『徳之間』の従業員で、彼との出会いは京都への転勤のために上司や同僚が開いてくれた歓迎会で訪ねたことがきっかけだった。それ以来定期的に彼の親子丼と店主の焼き鳥を目当てに訪れるようになったが、今回湊とプライベートで待ち合わせをしたのは、偶然彼が宇海を危機から救ってくれたからだった。別に構わないと言う湊に対して、何かお礼をしないと気が済まないと半ば強引に食事に誘ったのだ。
「お待たせしました」
「お、仕事お疲れ」
宇海は湊との約束のために定時で仕事を切り上げてこの駅まで電車でやってきた。早い時間に会わないと、彼の仕事は夕方から始まる。今日は店主の隆治に頼んで出勤時間を遅くしてもらったそうだ。
「あれ以来トラブルには巻き込まれてない?」
「ちゃんと夜道には気をつけてます」
「そっか。よかった」
目的の洋食屋に向かう道中、ふたりは友人のように会話をしながら歩みを進めた。まだ友人といえるほどお互いを知らないが、他愛もない話をすることで少しずつ関係が構築される。
今回の洋食屋は先輩の雫に勧められたお店だ。宇海が突然そんなことを訊ねたことで湊と食事をすることが知られてしまい、さらに変な勘繰りをされることになったのだが、そこにやましいことなど何もない。あくまで宇海は助けてもらったことに対してお礼がしたいだけだ。
雫に勧められてインターネットでどんな店か確認はしていたものの、実際に来てみるともっと華やかで明るい雰囲気に思えた。煉瓦造りで
「すごいな。こんな店あるの知らんかったわ」
「先輩に教えてもらって。私も初めて来たんです」
和風な焼き鳥屋で働く湊にとって、日本という和の文化から離れた空間は新鮮だったのかもしれない。店員に案内されたテーブルでメニューを広げ、湊はどれにしようかとページをめくっていく。しかし、彼の決断は早かった。一目惚れしたのか彼はオムライスを注文したので、宇海はあえてパスタにしておいた。
「本当にあのときは助けてくれてありがとうございました。相羽さんが通りかかってなかったらと思うと今でも怖いです」
「ほんまに偶然やったけど、よかったわ」
「二回も助けてもらったから、今日は好きなもの食べてくださいね」
「二回?」
「ほら、私が人質にとられたとき、助けてくれたやないですか。あのときは仮面被ってましたけど」
「仮面? 何その漫画みたいな話」
これは宇海にとっては勝負の一手だった。そう簡単に認めるはずがないとわかっていながらも、こちらが確信しているふうに自信満々に話していれば諦めるのではないかと考えた。宇海にはすでに正義の使者が湊であることは確信に近いものがあった。あとは、彼自身が認めればそれは絶対に変わる。
「ああやっていつも人助けしてるんですか?」
「いや、なんのことやら。人違いやわ」
「そうですか? 声も背格好も似てたし、歩き方も同じなんです」
この店までの道すがら、彼の動きを観察してみると、記憶にあるあの人物と非常に似ているように感じた。特に癖などはないが、その癖のなさがまた共通している。
「あと、言葉のアクセントっていうんですかね。関西弁やったんです」
「まあ京都やしな。基本みんな関西弁やろ」
「ほら、関西の人って標準語で話そうとしても関西弁が出るでしょ? 昔友達と標準語ゲームとかしませんでした?」
「そんなこともやったっけな。あんまり覚えてへん」
やはりそう簡単にボロは出さない。宇海は最後の切り札に手をつけることにした。
「そのことで刑事さんが話を聞きにきて」
「刑事?」
湊は表情を変えて宇海の話に食いつくかと思われたが、すぐに平静を取り戻して前に出た姿勢を正した。
「警察はその人を追ってるみたいです」
「とにかく、俺は仮面の人やないよ。ほら、こんなこてこての関西人が標準語なんか喋るわけないやろ」
「その人が標準語やったとは言ってないですよ」
「いや、話の流れでそう思っただけ」
湊はわかりやすく咳払いをした。どうして仮面を被って宇海を救ってくれたのか。そもそも宇海を救うためではなく、あのティーチと呼ばれる男を襲うために現れたのか。答えは不明だが、結果的に宇海は彼によってその命を救われた。だから、ただ事実を知って本当に湊があのときの人ならば、感謝の気持ちを伝えたい。それだけが願いだ。
「私も市民なので、捜査には協力する義務がある。やから、刑事さんには気づいたことがあったら連絡するって言いました。もし、相羽さんが何かの事情があって正義の使者をやってるなら、私は刑事さんに黙ってます。それが私にできる恩返しやから」
「恩返しか」
相羽湊はその日、初めて仮面の奥の素顔を他者に見せた。
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