戦場の軍師

 光輝と志穂は刑事課のデスクで情報を整理していた。詐欺事件は一課の担当ではない、とメールの内容をある種達観していた光輝だったが、蓋を開ければ殺人事件にまで発展してしまった。今回光輝に届いたメールに入っていた情報は田中と名乗る詐欺師のみだったため、そのメールから大島にたどり着くことはできなかった。事前に防ぐ手立てはなかったといえばそれまでだが、後味が悪い結末だ。二課の取り調べの合間に一課が田中に大島殺害について話を聞くも、彼は何も知らないの一点張り。その様子から、嘘をついているというわけでもなさそうだった。



 「なんか檜山さんにメールを送った人は、最初からこうなることがわかってたみたいな感じがしません?」


 「どういうことや?」


 「言い方は悪いですけど、単なる詐欺なら一課の刑事に密告する必要なんてないやないですか」


 「まあ、そりゃそうやな」



 志穂が言いたいことはわかる。詐欺事件は一課が決して関わることのない類の犯罪だ。それを光輝に伝えたところで、彼は何もできない。そのはずだったのに、田中の詐欺事件は共犯者の大島が殺害されるという光輝が関わる最悪の事件に発展した。


 大島が自宅の玄関先で刺殺されたその事件について、捜査は急展開を迎えた。室内のテーブルにあった封筒に入っていた一千万円。その後二課が田中の取り調べを続けて、田中が大島から騙し取った金額が一千万円であることがわかった。共犯だと考えられたふたりは、実は主従関係にあった。大島が復讐のために田中の事務所を襲って金庫から現金を奪ったと推測するも、それはないとの結論に至った。


 大島は田中に盗られた一千万円を取り返すためにうまくコントロールされ、詐欺の片棒を担いだ。事務所に散らばっていた田中の悪事の証拠、大島があんな証拠を用意できたとすれば田中の言いなりになる必要はない。証拠を突きつけて金を返せと言えば、警察に捕まりたくない田中は応じたはずだ。こんな方法で金庫から強引に現金を奪う選択はしない。何より田中の事務所が襲われた時刻、大島は飲み屋で呑気に酔っ払っていたことがわかっている。


 また、田中の証言では金庫の中には合計で三千万円ほどが入っていたという。金庫内のすべての現金は盗まれて、空になっていた。残りの二千万円はどこに消えたのか。


 様々な要因が複雑に絡み合っていて、考えることに疲れた光輝はデスクに額を落とした。



 「あー、考えれば考えるほどわからん」


 「ちょっと休みましょう。檜山さんは普段あんまり頭を使わんタイプの刑事ですから」


 「人をアホ呼ばわりすんな」


 「そんなこと言ってませんよ。はい、糖分」


 「お、饅頭。しかも粒あん」



 頭はショートしかけても、志穂の言葉にツッコミを入れることはまだできるらしい。これも関西人としての性か。それをするのは京都の人ではなく、どちらかといえば大阪の人のような気もするが、細かいことはなしだ。


 思考を一時停止させた光輝は志穂が引き出しから取り出した饅頭を幸せそうに頬張った。身体が大きく威圧感のある先輩も、甘いものを前にすると乙女モードに入る。そんな先輩だからこそ、志穂は時々彼を弄って楽しむのである。



 「休憩中に悪いな。ちょっとええか?」



 光輝が饅頭を堪能しているところに、課長の高津が現れた。突然の登場に光輝は喉に詰まりそうになった餡をコーヒーで流し込む。せっかくの甘さがブラックコーヒーのせいで台無しだ。かつての先輩だった課長に対して細やかな怒りが生まれたものの、それをコーヒーと共に飲み込んだ。



 「なんです?」


 「二課からの情報や。大島は田中に金を盗られて自分の損失を補填するために詐欺を手伝わされたらしい。やけど、大島が実際に詐欺行為を働いたのは一回だけ。その被害者の名前がわかった」


 「つまり、大島に騙されたその人物が殺人犯ってことですか? 田中による口封じやなく、詐欺の被害者が騙された復讐で殺したと?」


 「まだ可能性の話や。動機としては十分やろ」


 「ええまあ」



 光輝と志穂は一枚の書類を高津から受け取った。それは、田中が持っていたとみられる詐欺被害者のリストだった。まるで会社の営業資料のように、名前と住所などの個人情報が並んであった。これらの人物について事前に調べておいて、いわゆる営業をかけることから詐欺は始まる。


 金を持っていないことも辛いが、持ちすぎても悪い虫が寄ってくることになる。何事もほどほどが幸せなのかもしれない。



 「休憩が終わったらその住所に当たってきてくれ」



 高津は颯爽と刑事課を去った。ヒラ刑事として光輝と一緒に組んでいた頃は現場一筋だったが、管理職に就いた今となってはマネジメントが彼の仕事になった。どんな組織でも当然なのだろうが、当時ふたりで革靴の底がすり減るまで歩き回って捜査をした日々が懐かしく思える。今は隣にいる志穂が光輝の相棒。かつて高津がしてくれたように、今度は光輝が彼女を立派な刑事に育てることが高津への恩返しになる。



 「鴻池、行くか」


 「出陣じゃ」


 「お前、時々おかしくなるよな」


 「それは聞き捨てなりませぬぞ」


 「もうええわ。疲れる」


 「えー、息抜きにいいと思ったのにー」



 なぜか戦国武将モードに入った志穂を引き連れて、光輝は敵の首を取るために城を出立した。

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