不慣れな駆け引き

 湊と宇海はどこかゆっくり話せる場所はないかと目的地が定まらないまま薄暗い京都の道を進む。すでに徳之間の開店時間は過ぎているが、隆治の気遣いなのか話が終わってから出勤すればいいと言われこの時間はひとりで店を回している。その親切心の奥にどんな狙いがあるのか、それは湊にはわからなかった。



 「このカフェでいい?」


 「はい」



 湊が宇海に提案したのは、彼女が仕事帰りに利用することがある例のカフェだった。この場所でコーヒーを買って散歩をしたあの日、宇海は事件に巻き込まれた。そのときに救ってくれた人は仮面を被っていてその正体は今でもわかっていないが、隣にいる彼に声や体型が似ていた。


 ふたりはカフェに入ってそれぞれ好きなドリンクを注文し、その代金は強引に宇海が支払った。今回は湊に助けてもらった礼を伝えるために来たのだ。それはティーチの件ではなく、酔っ払いに絡まれたときの分。彼が仮面の男の正体であればその分もお礼をしたいのだが、きっとそう簡単に認めることはない。仮面で顔を隠しているのは、正体を隠すためだろう。


 湊と宇海は混み合っている店内で唯一空いていたテーブルを確保した。向かい合ってふたり用の小さな席に座り、湊は一口コーヒーを飲んで訊ねた。



 「で、話って?」


 「助けてもらったお礼を言いたくて」


 「ああ、あれくらい大したことないのに。偶然通りかかって困ってるみたいやったから身体が勝手にな。むしろ彼氏のふりなんかして迷惑やったよな」


 「いえ、私京都に来てから友達もいなくて、助けてくれる人がいてほんまに嬉しかった」


 「最近は変な人多いから、夜は特に気いつけや。いつでも助けれるわけやないし」


 「もう二回も助けてもらって」



 湊はコーヒーを飲みかけてその手を止めた。宇海の二回という言葉に反応したらしい。結局彼はコーヒーに口をつけることなくテーブルに置いた。



 「二回?」


 「そのときは仮面を被ってたけど、あれは相波さんですよね?」


 「仮面? なんの話?」



 やはり湊は認めない。だが、お礼を伝えたい以上に宇海には事実を知りたい理由があった。それは、光輝だ。刑事が動いているのであれば、知っていることを隠し通して大きな犯罪に繋がることも考えられる。何が正しくて何が間違いってるのか、それを確かめるためには真相を知る必要がある。



 「私が人質に取られたとき、その人は私を助けて傷の手当てもしてくれました。だから、それが相波さんだったらお礼を伝えたいと思って」


 「正義のヒーローみたいやな。そんな人がおるんやね」


 「その人の声が相波さんにそっくりで、徳之間で嗅いだ醤油に似た香りがしたんでもしかしたらと思ったんですけど、違いました?」


 「それ俺やないわ。そんな強ないし」


 「酔っ払いから助けてくれたときは堂々としてて強く見えましたよ」


 「あれはそう見せたら相手も諦めるかなって思って。喧嘩になってたら手引っ張って逃げようと思ってたわ」



 湊は悪戯に笑ったが、宇海のある一言でその笑みは消えた。



 「実は刑事さんが私のところに話を聞きに来て……」


 「刑事?」



 宇海はドラマの刑事のように細かい駆け引きをして相手が隠したい事実を聞き出すことはできない。しかし、そんな素人に近い宇海でさえ湊の反応はわかりやすく、動揺が簡単に見えた。加えて、宇海が話した事件のことは、何も知らない人からすれば状況が想像しづらいはず。


 宇海の人質に取られたという非現実的な突然の言葉に、湊は表情を変えずに助けてくれた人をヒーローみたいだと語った。宇海が話を聞かされた側であれば、人質に取られたという出来事についてもっと反応を示すだろう。まるで湊は自分が仮面の男のことは一切知らないと強調したいような口ぶりだった。宇海はさらに続ける。



 「私が人質に取られたとき犯人を追っていた刑事さんが私のところに来て、話を聞かせてほしいって。今はその仮面の男を探してるみたいです」


 「へー。なんかドラマの世界みたいな話やな」


 「やから、相波さんが仮面の男かもしれんと思って、それを刑事さんに伝えようか迷ってたんですけど」


 「あんまり面倒なことに首突っ込まん方がいいよ。それでなくてもトラブルに巻き込まれやすいみたいやし」



 話が一区切りついたところで湊はコーヒーを再び手に取って口をつけた。もし許されるなら、目の前にいる彼に嘘発見機を装着して心を覗きたい。ここまで来たら、宇海は真相を知らずにあの事件を忘れることなどできない。自分でも理由がよくわからないほどに固執しているらしい。



 「よかったら今度、時間があるときに食事行きませんか?」


 「うーん、食事かー。ふたりきりは緊張するな」


 「私が奢ります。お礼の気持ちです」



 湊はしばらく考えた後、渋々了承した。彼の心の中は見えないが、きっと刑事が追っているという話が気になっているはずだ。



 「連絡先を教えてもらえますか?」


 「わかった」



 湊はポケットからスマホを取り出して宇海から聞いた電話番号に発信すると、宇海のスマホに登録されていない電話番号が表示された。

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