詐欺師

 某ビルの一室でそれは開催された。この会場にいる人々はみな一攫千金を狙う。別にそれが悪いことではない。人間誰しも欲があり、その最たる例がだ。労働の対価は報酬、生きていくためにそれは必ず必要になる。たくさんあればあるほどゆとりのある生活を送ることができる。


 しかし、中にそれを手に入れるために邪な考えを抱く者がいる。やつらは時に他人を犠牲にしてでも己の欲を満たそうとする。


 湊は起業セミナーと呼ばれる怪しい会合に参加した。田中と自己紹介した男がプレゼンテーション用の資料をスクリーンに映しながらこの場にいる者たちに希望を抱かせることをぺらぺらと話している。その表情は自信に満ちていて、人前で話すことに随分と慣れている様子だ。室内の参加者はざっと五十を超えているが、湊のような社会経験が少ない若者でさえこんな話を信じようとは思わない。それなのに、周囲を見渡せば田中が発する言葉を真に受けて目を輝かせる者がちらほら。その雰囲気は宗教じみた不気味さすら放っている。


 きっと彼が身につけている高級なスーツや腕時計に洗脳されているのだ。これから先自分たちが田中の養分になることなど疑いもしない。過程など気にせず、結果のみを得ようとして理想の蜜に誘われる。



 「ここにいる皆様に成功する可能性があります。そして、私を信じてくだされば、その可能性を限りなく百パーセントに近づけることができます。私と一緒に明日の夢を掴みましょう」



 田中はプレゼンの締め括りをそんな言葉で結んだ。そして、会場を覆い尽くすほどの拍手が空間を支配した。詐欺師とは本当に言葉がうまいものだと感心しながらも、湊は馬鹿馬鹿しいと心の中で嘲笑しながら周囲の空気を読み拍手する。


 湊に課せられた今回の任務はこの詐欺師から現金を奪い取ること。セミナーが終わると田中の周りに参加者が集まって我先に成功者に近づこうと卑しい心を見せた。こんなことで誰もが成功するのであれば、この国の半数以上の人間は富豪になっている。冷静に街中であたりを見渡してみれば成功している人間などほんの一握で、そのほとんどがここにいるような凡人たちの犠牲の上に成り立つ虚空だというのに。


 湊は他の参加者と別の方向に進み会場を出ると、ソファに腰掛けた。硬い椅子に座っていたせいで腰が痛くなり、やっと解放されたという快感は背中を伸ばすことでその強度を増した。金持ちになるセミナーならせめて高級な椅子を準備してほしいものだ。少なくとも田中は金を持っているのだから。


 湊はスマホを手に取って今回の任務を再確認した。田中を尾行して事務所に乗り込む。金庫を開けさせて現金を回収する。田中はその場で拘束して警察に引き渡す。警察を現場に派遣するのはいつも隆治の役割だが、どのように警察を操っているかは不明だった。気になるのは、アッシュディーラーの件で登場する刑事はいつも光輝と志穂であること。彼らは徳之間の常連であり、隆治と裏で取引でもしているかもしれない。だが、それに関して湊は関与する気はなかった。やるべきことをして報酬がもらえればそれ以上何も詮索する気はない。


 それにしても、どうして警察はアッシュディーラーの存在に気づかないのだろうか。これまで犯罪者を警察に引き渡したことは何度もあり、そのすべてにおいて犯罪者は拘束された状態だった。何者かが裏にいることは警察でなくとも分かりそうなものだが、ましてや捜査のプロが気づかないはずがない。


 湊がソファでそんなことを考えていると、会場から参加者たちが出てきた。田中との交流が終わって満足したのだろう。ここで冷静になって引き返すか、そのまま掴むことがない大きな夢に投資をするのか。最終的に決断をするのは本人だ。


 隆治のように金儲けよりも客を満足させるために商売をしている人間は、非常に珍しいのかもしれない。そして、湊もまた隆治の考えが好きだった。そんな彼がアッシュディーラーで任務を受ける理由はひとつ。三年前に失踪した恋人を探すため。もう諦めたと話す隆治だが、それが本意でないことは湊がよくわかっている。何がきっかけでアッシュディーラーに執着するかはそれとなく聞いてみてもうまく誤魔化される。


 湊がソファで静かになった会場を見ていると、田中がブランド物のビジネスバッグを持って廊下を進む姿が目に入った。湊はソファから立ち上がり、田中が進んだ方向へと歩みを進める。



 「任務開始」



 ビルを出て夜道を進む背中を追う。数々の被害者を出している人間としては無防備だ。いつ命を奪われるか警戒するものだと想像していたが、田中に限ってそれは一切ない。呑気にコンビニでお酒とつまみを買って袋を提げて歩く男を追い、とうとう事前に知らされていた隠れ家があるマンションに辿り着いた。尾行されているとは夢にも思っていないようで、田中は周囲を確認することもせずに扉を開けて箱の中に消えた。


 暗闇に姿を眩ませたまま湊は白黒の仮面を被る。一歩進むごとにその姿は次第に輪郭をはっきりと見せて、口角を上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る