運命の分岐点

 今日もよく働いた。


 隆治は徳之間のカウンターでひとり酒を嗜んでいた。仕事終わりのこの時間が彼にとっては嗜好のものであるが、この後に待つのはもうひとつの仕事。願わくばこのまま気持ちよく眠りに落ちたいと願うものの、彼にはそれを続ける意味があった。



 「さて、そろそろ行くか」



 酒の瓶をカウンター内に置くと、ほろ酔い気分で店の奥へと歩みを進める。その先にある扉を開け、一切の光すら届かない闇の中に入った。そこにあるのはパソコンが一台、視界に頼ることなく電源を入れると、画面の眩しさに目を細めた。


 セキュリティが施されたシステムは、隆治に理解できないアルファベットと数字と記号の羅列によって形成される。その後に現れるのは、いつもの男。左目が白く正体不明の怪しい人物だが、この人物がいるからこそ裏の仕事が成り立っている。



 「こんばんは。本日も気持ちよくお酒を楽しまれたようですね」


 「焼き鳥屋も大変なんや。これがあるからこそ、お前と話す気になれるってもんよ」


 「そんなに私との時間は苦痛ですか? 残念です。私は徳間さんと一度さかずきを交わしたいとさえ考えているのに」


 「それは断る」



 何度誘われても隆治はこの男と対面で酒を飲むことを受け入れない。そもそもこの男が現実世界で隆治の前に姿を現したことはほとんどない。本当に存在するのかとさえ疑問に思うことがある。


 さっさと話を終わらせよう。日付も変わり、今日もまた徳之間がいつも通りに客を迎え入れるために準備をしなければならない。



 「早速本題に入ろうや。もう眠いわ」



 隆治が欠伸をしたところで画面の向こうの男がひとつ深呼吸をして本題に入った。彼が与えるのは誰かの恨みを晴らすための依頼。執行人が依頼人と関わることはないが、この世界のどこかで悪人に苦しめられて復讐したいと願う誰かがいる。そんな思いに応えるのが執行人の役目だ。



 「今回のターゲットは詐欺師です。自らを田中と名乗っているようですが、それは偽名。本名は……まだ調べがついていません」


 「珍しいな。いつも警察より正確に調査すんのに」


 「名前なんてどうでもいいんですよ。その存在は確認されていますし、隠れ家もすでに特定済みです。田中は起業コンサルタントとしてセミナーを開いて顧客を集めています。言葉巧みに夢見る人々から金を集め、最終的にはうまくいかなかったとでも言って持ち逃げです」


 「起業や投資なんてもんは絶対に成功するわけやない。金だけ奪って失敗したことにすれば詐欺の立証は難しいってところか。警察も証拠がないと動けんわな」


 「ええ。さすがビジネスを成功させる人は鋭いですね。徳間さんがコンサルタントをしたら、詐欺じゃなくビジネスができるのではないですか?」



 隆治は画面の中の男の言葉を鼻で笑い飛ばした。小さな店の店主である隆治は、お金を求めてこの仕事をしているわけではない。失踪した大切な人が、また戻ってきてくれるのではないかと期待して、一緒にやっていこうと約束したこの店を守っているだけ。



 「それで、今回は何をしたらええんや?」



 小噺に付き合う気がない隆治に落胆の色を見せ、オッドアイの男は依頼内容を伝えた。



 「田中の事務所にある金庫から現金を奪ってください。回収できなければ報酬はありません。逆に回収した額によっては、報酬がいつもより大きくなることもあります。そうですね……徳間さんの取り分は三割でどうでしょう?」


 「実際にリスクを負うのは俺らやろ? なんでお前が七も取るんや」


 「依頼人が盗られた金額を保証しなければならないので、我々もある程度確保する必要はあるんですよ。三千万円回収したら九百万円ですよ? かなり大きいと思いませんか?」



 こいつの例え話はいつも現実になる。つまり、田中の事務所には三千万円が保管されているということだ。ならば、三割でも十分な報酬だといえる。



 「失敗したら何も得るものがない。それどころか、自腹で依頼人に金を払わなあかん。これだけのリスクを負っても依頼を受ける理由があるんか?」


 「その場合はそちらもタダ働き。さらに依頼成功率が下がる。痛み分けです」



 決して面白い話ではないが、男は画面の中で笑った。この男の感情はまったく読めない。だが、試してみるだけの価値はある、と隆治は感じた。今はひとつでも多くの依頼を受けておく方がいい。そして、いつか真相を知りたい。



 「乗った」


 「そう言ってくれると信じていました」


 「田中って詐欺師は警察に渡してええか?」


 「構いませんよ。警察は絶対に私の尻尾を掴めませんから。詳細は追って連絡します。今回も依頼の成功を祈っています」



 通信が終わって室内は再び光のない暗闇に戻った。警察は尻尾を掴めない。その言葉通り、警察はアッシュディーラーに近づくことさえできない。



 『もし、絶対に許せない誰かに復讐ができるなら、隆ちゃんはどうする?』



 あのときの問いは、小説や映画の話だと思った。だから、隆治は冗談混じりに「復讐するかもな」と答えた。


 あのとき隆治が違う答えを伝えたら、彼女は今でもそばにいてくれたのだろうか。

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