満たすため

 光輝は宇海との話を終えてカフェを出て、小腹が空いたので徳之間に向かうことにした。空きっ腹にコーヒーを入れたせいで胃が気持ち悪い。何か食べてそれを紛らわせたい。


 宇海から聞いた話は正直信じ難かった。どんな内容でも、と思っていたものの、仮面の男に救われたという話を素直に鵜呑みにしていいものだろうか。その男が正義のヒーローのように女性を救い、ティーチを拘束してその場を去った。しかし、その後ティーチは見つかっていない。だとすれば、その仮面の男には仲間がいて、拘束したティーチを別の人間が連れ去ったということになる。何か大きな力が裏で働いているのかもしれない。


 徳之間の前まで辿り着くと、まだ早い時間だということもあって店前には順番を待つ客が数名いた。普段なら時間をずらすか諦めるのだが、今回はその必要がないらしい。順番待ちの列の先頭に志穂がいたから。別に頼んだわけでも、この場所に訪ねることを伝えていたわけでもないが、相棒として考えを読まれていたのであればなんだか恥ずかしい。光輝が来たことに気づいた志穂はわかりやすく鋭い視線でこちらを威嚇した。


 光輝はすっと志穂の隣に移動して、約束していた相手が遅れて到着した風を装う。



 「どこ行ってたんです?」


 「そんな睨むなよ。野暮用や」


 「課長に怒られたんですよ。檜山さんを単独行動させるなって。なんで後輩の私が檜山さんのことで怒られんとあかんのですか」


 「すまん。ここ奢るから勘弁してくれ」



 志穂には何も伝えずに行動していたため、彼女は時間を持て余して署にいたのだろう。そして、課長の高津に光輝の居場所を訊かれて答えに詰まり、目をつけられていた光輝への不満のベクトルが彼女に向けらることになった。それは申し訳なく思う。



 「それよりなんでここにおったんや? 偶然か?」


 「なんとなく檜山さんは今日ここに来そうと思っただけです。別に来なくてもひとりで親子丼食べるつもりでしたけど」


 「さすが相棒」


 「チェンジで」


 「まあ、そう言うなや」



 ふたりが仲のいい姿を見せていると、暖簾の奥にある扉が開いて湊が顔を出し、光輝を見て驚いた表情をした。



 「あれ、檜山さんも?」



 先ほど湊が確認したときは志穂がひとりでいたから、ふたりになっているとは思っていなかったのだろう。



 「ちょっと仕事で遅なった。もうすぐ入れそうか?」


 「カウンターでも大丈夫?」


 「むしろその方がええわ」


 「わかった。もうちょい待って」



 扉を閉めた湊は賑やかな店内に戻った。それから少しして食事を終えた客が二名扉を開けて店を後にした。彼らと入れ替えで光輝と志穂が入れるようだ。扉の向こうで手際よくカウンターを片付けている湊の姿が容易に想像できた。


 彼はとてもよく働くし、愛想がよくてこの店になくてはならない存在だ。この徳之間が開店した当初から店主の隆治と湊との二人三脚で店を切り盛りしてきた。人気になっても初心を忘れないためか店を大きくすることはなく、彼らふたりだけで客を満足させることだけに集中して営業を続けている。あの失踪事件がきっかけで隆治はこの店を開いた。きっとまだ、隆治は失踪した恋人がどこかで生きていると信じているはず。



 「お待たせ。どうぞ」



 湊に声をかけられて光輝と志穂は暖簾をくぐった。ちょうどカウンター席の端がふたつ空いていたので、ふたりは何も言われずともいつも通り席についた。決して広くない店内だが、満席でとても賑やかな空間だった。



 「いらっしゃい」



 カウンター越しに隆治が調理をしながらこちらに目配せした。彼はどれだけ忙しくても客をよく見ている。刑事になれば活かせそうなほどに優れた観察眼を持つ男だ。水をふたつ持って湊が注文を取るためにやってきた。湊は志穂が来るといつも親子丼を注文することを知っている。



 「いつもの?」


 「うん、親子にする。あと、ももと皮を塩で」


 「俺も同じので」


 「了解。混んでるからちょっと時間もらうかもしれへんけど、平気?」


 「暇やから大丈夫よ。檜山さんが野暮用に出れるくらい」


 「なら京都は平和ってことやな。ちょいお待ちを」



 湊はすぐに親子丼の調理に向かった。隣に座った志穂は高津から苦言を呈されたことを根に持っている。光輝は目の前で焼き鳥に集中する隆治を見て、夢に見た彼を思い出した。隆治と高津は古い付き合いで、彼らは学生時代同級生だった。ふたりは大人になってからも交流があり、今でもたまに酒を飲む仲らしい。高津は隆治が恋人の香代を忘れて新たな人生を歩み出したと言っていたが、きっと隆治の心の底にはまだ彼女がいるはずだ。



 「なんや、俺の顔になんか付いてるか? いくら腹減ってても、焼き鳥はそんなはよ焼けんぞ」



 隆治は光輝が自分を凝視していたことに横目で気づいた。本当に恐ろしいほどに視野が広い。




 「まだ、どこかで生きてますよね?」



 その一言で誰の話かを悟った隆治は一瞬だけ目を大きく開いたが、それ以上の反応は示さなかった。親子丼を調理している湊もこちらに振り返ることはなく、隣にいる志穂は光輝を見た。



 「さあな。もう会えんでも、どっかで生きてるならそれでええ」



 この会話を聞いていたのは、四人だけ。周囲はまるで別世界であるかのように、明るく光っていた。

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