タトゥーの男

 街は暗闇に包まれた。執行人はいつも夜に行動する。正体を知られてはいけないので、闇の世界で活動する方が目撃されるリスクは低い。とはいうものの、考え方は執行人によって異なるらしい。


 今回のターゲットは半グレ集団に所属する男、通称ティーチ。隆治からの情報では、高校生を轢き逃げして今も平然と生きる犯罪者。警察は捜査を続けているものの、おそらく犯人に関する手掛かりは何も掴むことができていない。毎回不思議なのが、アッシュディーラーはどのようにして警察ですら見付けられない犯罪者を特定できるのか、ということだ。隆治の話では、アッシュディーラーの規模はわからず、組織には様々な人間がいるそうだ。警察より優秀な捜査官がいるのかもしれない。


 湊は得た情報をもとに半グレ集団がよく見かけられるという路地にいた。この場所は治安が悪く、真面目に生きる人間なら自ら近寄ることはない。それも彼らが理由だろう。


 湊が執行人になったのは隆治と出会ったことがきっかけだった。三年前に起こったある事件、それからの彼らは腐れ縁だった。大切なものを失った隆治と、恩人のために湊はこの仕事をしている。


 いつか必ず成し遂げなければならないことがある。


 物陰からある建物を観察する湊は、スマホで送られてきたティーチの情報に再び目を通した。隠し撮りされたと思われる彼の写真には、明らかに人相が悪い若い男が睨みをきかせていた。左頬にはナイフで切られたような古傷があり、首から下は派手なタトゥーが見える。きっと服で隠れた上半身にもタトゥーが一面に広がっているのだろう。


 人は見た目で判断してはいけない、と幼い頃に教わったが、きっと容姿は人を判断する上で大切な要素だ。体型や顔の醜美ではなく、清潔感や身に付けるもので人となりがわかることもある。その点でティーチはネガティヴな印象を与える。



 「結局世の中は、好き勝手してる人間が得するんやな」



 被害に遭った高校生のことは何も知らないが、真面目に勉強やスポーツに打ち込んできた青年であることだけは教わった。たった一瞬の出来事で人生が大きく狂うことは往々にしてあることだ。だが、それを運命なんて一言で片付けることはできない。誰かの幸せを奪った人間には、相応の裁きを受けてもらう必要がある。


 半グレ集団が溜まり場として使っている建物を見張っていると、ティーチとして記憶した人間と同じ顔が出てきた。街灯に照らされた男は、鋭い目付きで街へと繰り出す。



 「任務開始」



 湊は執行人の証であるマスクを被った。左側が白、右側が黒、グラデーションのように色が混ざり合い、正面はグレーになっている。これは顔を隠すためのものだが、目的はそれだけではない。アッシュディーラーの理念を表現する正義のマスクだ。


 湊は物陰から物陰に移動しつつティーチの後を追う。犯罪を犯した自覚がないためか、それとも警察が自分を見つけることはできないと確信しているのか、彼は堂々とゆっくりとした足取りで道路を進んだ。いずれにしても、悪を悪だと思わない人間には制裁が必要だ。


 タイミングを見て人がいない場所でティーチに奇襲をかけて、彼を拘束することで任務は完了する。ターゲットがどんな悪人であっても、感情に任せて仕事をすればどこかでミスが出る。だから、マスクを被った後は心を無にするようにしている。


 ティーチが狭い路地に入ったところで湊は距離を縮めようと足を速めた。この場所なら任務を何の障害もなく達成できる。湊が路地に入ったととき、ティーチの前に人影が現れた。すかさず湊は隠れて様子を伺うことにした。薄暗い路地に照明はないため、ティーチの前に現れた人物の姿はよく見えない。大きな身体つきから推測すると男である可能性が高い。


 邪魔が入ったせいで予定を変更しなければならない。もし、現れた人物が仲間であれば厄介だが、突然ティーチは暴れてその人物を突き飛ばして走り出した。壁に背中をぶつけた人物は苦痛に満ちた声をあげる。その声は間違いなく男のそれだった。ふたりは仲間ではないらしい。数秒怯んだその男は、「待て!」と叫んでティーチの後を追いかける。


 警察はまだティーチに辿り着いていないはず。であれば、個人的な恨みで命を狙われているのか。これでもし、ティーチをその男に殺された場合は執行人として任務を失敗するだけでなく、ターゲットを目の前で殺害された汚名を着せられる。信用を失えば仕事ができなくなるため、それだけは避けたい。


 湊は素早く路地を駆け抜けたが、その先の通りに通行人がいた。仕方なく怪しまれないようにマスクを外して同類の通行人を装うことにした。ティーチと男の姿はすでに見えなかったが、異変に気づいた通行人たちが同じ方向に視線を向けていたので、彼らの行き先に迷うことはなかった。


 早く追いつかないと手遅れになる。


 湊はジョギングをしているふりをして、その方向に駆け出した。楽に終わる仕事だと考えてこの場所にやってきたが、もしかしたら裏で何かが動いているのかもしれない。


 成功報酬は弾んでもらわないと割に合わないな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る