不穏な匂い

 シルバーのセダンが道路の端に止まった。助手席にいる檜山ひやま光輝こうきが気怠そうに頭を掻いて暗い路地の方を覗き込むと、運転席にいる鴻池こうのいけ志穂しほも彼と同じ場所に目を凝らした。



 「何か見えますか?」


 「わからん。降りて確認するか」



 光輝はドアを開けて車両から降りると、両手を高く突き上げて凝り固まった身体を伸ばした。捜査のために車両での移動が多く、背中を痛めやすい。できるときに伸ばしておく必要がある。


 スーツを着て革靴を履いて、どうして刑事は動き回る仕事の割に活動に適さない服装を強いられるのか。普段から身体を鍛えて人より筋肉質であるが、その分ストレッチは欠かせない。


 後輩の志穂はまだ若く華奢だが、男勝りの体術を身に付けている。これまでふたりで犯人を追っていると、ほとんどの人間は志穂なら倒せると判断して彼女に襲いかかった。そのうち九割は返り討ちにあって逮捕された。残りの一割は光輝が逮捕した。体格のせいで動きが遅いと思われがちだが、光輝は百メートルを十一秒台で走ることができる。


 すでに夜の京都の路地は闇が深く目が暗闇に慣れてもよく見えなかった。


 彼らがこの場所に来た理由は通報があったからだ。通行人がこの路地で倒れている若い男をふたり見かけたというものだが、おそらくはただの酔っ払いが寝落ちしたのだろう。事件性がなくても泥酔状態では自力での帰宅が困難であるため、警察としては安全のために彼らを保護する義務がある。



 「いませんね」


 「デマか」



 と、光輝が舌打ちをしたとき、彼の足が何かを蹴った。ライトで足元を照らすと、青いスーツ姿の金髪の男が眠っていた。そのすぐ近くで壁にもたれかかって眠るもうひとりの男を志穂が発見した。


 デマじゃなかったようだが、それはそれで面倒なものだ。特に酔っている人間は話が通じないことが多い。



 「ったく。大丈夫ですか? 警察です」



 光輝は舌打ちをしてその場に屈んで男に呼びかけるも、泥酔して熟睡しているのか反応はなかった。こんなことで警察が動いていては税金の無駄だと言われても反論できない。



 「檜山さん、こっちも起きません」


 「とりあえず署に連れて帰るか。このまま放っとくわけにもいかんし」


 「そうですね」



 光輝は男をひとりずつ志穂と協力して車両に乗せた。身体の力が抜けた人間ほど重く感じさせる荷物はない。本来なら応援を呼ぶべきなのかもしれないが、酔っ払いふたりに警察官を呼ぶのも無駄な気がした。


 意識のない男を後部座席に乗せて車両は警察署に到着した。事前に無線で連絡を入れてあったので、他の刑事が男を下ろすために裏口で待機していた。目が覚めるまで警察署で保護をして帰すことになるのだが、これでは無料で宿泊できるホテルのようなものだ。


 光輝はそのまま車両を降りて、志穂は車両を止めるために駐車場に向かった。保護した男のことは若い連中に任せて、光輝は本日の報告書をまとめるためにデスクに着いた。記載する内容は酔っ払いの保護、なんとも平和なことだ。


 光輝がノートパソコンに向かっていると、志穂が刑事課に入ってきた。彼女はまっすぐ彼のデスクに歩いてきて、眉間に皺を寄せる。



 「なんだ?」


 「さっきのふたり組、探れば何かありそうです」


 「ホストか遊び人にしか見えんかったが」


 「ぼったくりバーに女性を連れ込んで法外な金額を請求、払えなかったら違法な店で働かせるってあったやないですか。被害届出てるやつ」


 「あー、あったな。それがあいつら?」


 「っぽいです。お手柄ですね」



 意図せず犯人を確保したらしいが、どうも腑に落ちない。最近こういった偶然から犯人を検挙することが何度かあった。それも、決まって匿名の通報があってその場所に向かうと人が倒れている。そして、連れ帰ると何かしらの事件の容疑者であった。



 「匂うな」


 「レディに対して失礼な」


 「鴻池やないわ」


 「でも、最近こんなこと多いですよね」


 「ああ、裏でなんかが糸引いてんのかと疑うほどにな」



 志穂は「考えすぎでしょう」と光輝の邪推を笑い飛ばしたが、決して冗談で言ったわけではない。光輝は背もたれに深く背中を預けて、天井を仰いだ。



 「報告書、はよ出さんと課長に怒られますよ」


 「代わりにやってや」


 「私は私の仕事があるんで」



 志穂が自分のデスクでノートパソコンを開いたので、光輝も負けじと姿勢を正して書きかけの報告書の続きを入力した。ただの酔っ払いだと思っていたふたりは、悪事を働いた犯罪者でした。これは私の手柄なので、ご褒美をください。と書くことができたらどんなにいいだろうか。


 志穂がキーボードを叩いていると、お腹の虫が鳴いた。一日外に出ていたので、食事は摂っていても消費が激しい。



 「終わったら徳之間行きません?」


 「俺も同じこと考えてた」


 「決まりですね」



 志穂の指が先ほどまでの倍の速さで動き始めた。


 徳之間はこの付近で有名な焼き鳥屋で、居酒屋としてだけでなく食事処としての評価も高い。予約は受け付けておらず、開店前から並ぶ客がいるほどに人気の店だ。


 刑事にも常連が多く、光輝と志穂はその中でも重度のリピーターだった。疲れたときに尋ねる徳之間は最高だ。


 早く報告書を書き終えよう。

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