コイン

ウラ

新生活

 午前八時三十分、快晴の空。古都と呼ばれる京都だが、市内は大きな通りに近代的な建物が並んでいて生まれ育った大阪から移ってきても新鮮味はなかった。


 広幡ひろはた宇海うみは本日から京都支店に勤務することになっていた。大学を卒業して入社した株式会社レイテストアイテムは雑貨や文房具を販売する店舗を関西に展開している。新卒で入社した従業員はまず現場に配属される。彼女もまた例外ではなく、店舗従業員、店長として経験を積んだ。


 そんな彼女には目標があった。それは、この会社の商品企画部で自ら立案した商品を世に出すこと。そのためには店舗従業員として成長し、顧客とのコミュニケーションの中でどのような商品が求められるのかを知る必要があった。入社から四年、宇海は目標にしていた部署への異動が認められ、京都支店に転勤した。


 ずっと大阪の実家でいた彼女にとって、人生初の一人暮らしであり、新たな生活が始まる日だ。不安がないわけではないが、彼女にとって成長の機会となるこの異動は期待が大きいものだった。


 心機一転、美容室でふわふわのパーマとナチュラルブラウンのカラーを施し、オフィスカジュアルの新たな服を買った。中身はこれから磨く必要があるが、少なくとも印象はよくしておきたい。


 周囲の通行人もこれから仕事に向かう人たち。この流れの中にいると、自然と勇気が湧いた。


 宇海は京都支店が入る京都市内のオフィスビルに到着した。建物の前から見上げると、実際の高さより遥かに高くそびえ立つそれにひとつ深呼吸をした。今日からこの場所で活躍する人材になってみせる、と心の中で意気込んで建物の中へと歩みを進める。


 株式会社レイテストアイテム京都支店は七階にあり、宇海はエレベーターで目的の階を目指した。扉が開き、廊下をまっすぐ進んだ奥に在籍する会社名の表札を発見した。


 この扉を開けると、そこが私の居場所になる。


 宇海は四回ノックをして、ゆっくり扉を開けた。顔を覗かせると、オフィスの奥に座っていた女性が駆け足でこちらに向かってくる。長身でスタイルのいい彼女は一目見ただけで、できるキャリアウーマンだとわかった。


 宇海はオフィスに入ると扉を閉めて、自己紹介をして一礼した。



 「本日からお世話になります、広幡宇海と申します」


 「はじめまして。商品企画部リーダーの犬養いぬかいです。今日からよろしくね」



 彼女が首から提げたネームプレートには犬養なぎさと描かれた社員証が入っていた。リーダーはこの部署の長にあたる役職であり、渚の噂は異動前から聞かされていた。まだ三十代後半であるが、彼女が企画した商品はたくさん店頭に並んでおり、宇海が今後目標にすべき人物。彼女の仕事を間近で見られることは、成長への近道となる。


 京都支店には商品企画部の他にカスタマーデスクがある。いわゆる顧客満足度に対する調査やクレームの対応を行う部署だ。メンタルが強くないと続かない仕事だという。


 渚に連れられて商品企画部の島に進むと、彼女によって宇海が紹介された。この部署にいる社員は四名。宇海が加わることで五名の部署となる。まず初めに、宇海のために用意されたデスクの横にいる三十代の男性が自己紹介をした。



 「サブリーダーの鳥居とりいです。困ったことがあったらなんでも聞いて」


 「よろしくお願いします」



 親しみのある笑顔の彼はサブリーダーの鳥居恵介けいすけ。彼はこの部署のナンバーツーで、他のメンバーも見ると全体的に平均年齢が若い部署のようだ。


 次に宇海のデスクの向かいに座るふたりが挨拶した。チーフの木田きだ哲也てつやは恵介と年齢が近そうだ。恵介とは対照的に表情が固く、真面目な性格が垣間見える。哲也の隣にいる小柄な佐藤さとうしずくは自然な笑顔だった。


 雫は役職がなく、この中では宇海に次いで若い。年齢が近い分いろいろと相談してほしいと親しみやすい人柄であることがわかった。



 「今日から商品企画部は五名になるから、みんな広幡さんのサポートよろしくね。広幡さんも、わからないことがあったら遠慮しないで聞いて。一日も早くあなたの商品がお客様の手に渡るよう育てるから」


 「よろしくお願いします」



 職場環境の大部分は人間関係で決まる。宇海がやってきたこの場所は、恵まれている環境であることがわかって安心した。


 初日は基本的な業務から教わった。商品企画部は一定期間で新たな商品を企画書にまとめて本社に報告するノルマがある。質と量の両方が求められるものの、実際に店頭に並ぶのは一握りだ。顧客からの要望を受けて形にする使命があるため、この京都支店ではカスタマーデスクの社員から密に情報を得ることが重要な業務となる。


 初日は時間が進むのが非常に早く感じた。気が付けば定時が迫っているほどに。教わった業務を遂行していると、リーダーの渚が声をかけてきた。



 「広幡さん、この後時間ある?」


 「はい」


 「じゃ、歓迎会しましょうか」



 渚が言うと、恵介は「じゃあ、徳之間とくのまですね」と嬉しそうに他の社員たちと目を合わせる。雫が「やったー」と可愛らしく両手を突き上げ、哲也は表情を変えずに頷き、定時と共に彼らは業務を終えて京都支店を後にした。

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