1
雨の音だ。
ザアザアと、かなりの勢いで降っている。
どしゃ降り。マジかよ、学校行くまでには止むかな。
ただでさえ憂鬱な通学が、さらに重くなる。
ショウタはいつもの右を下に、丸く眠る。
眠る時はこの格好が、一番落ち着く。
幼虫のように丸くなり、布団を被って自分だけの世界になる。
布団の中には、雨も学校、も入ってこない。
夢を見た気がする。
それにしても、妙にリアルだったな、と思い返す。
多分、三途の川だったんだろう。
小ぶりの木製の舟、白い着物の少女。
そして、落ちた自分。
夢とはいえ、マヌケな話だ。
三途の川。
渡ろうとしたけど引き留められて一命を取り留めた、などは定番の話だ。
あのまま渡れば天国行きだったのか、それとも地獄だったのか。
――俺は天国行きだろう、多分。
これといった犯罪もしていない。
小さい罪はたしかにあるかもしれない。
幼い頃に嘘をつけば、閻魔様に舌を抜かれるよ、とよく祖母に叱られたものだ。
しかし自分の罪など、世の中に溢れる犯罪に比べれば許容範囲だろう。
まぁ、その判定は受ける事はなかった訳だが。
三途の川、途中で落ちても生き返るのかな。
現に自分は死ぬことはなく、こうして眠っている。
まぁ、そもそも死んだはずがないのだ。
布団の感触を確かめようと、左手で触れる。
しっとりと、湿っていて柔らかい。
――ん?
おかしい。
雨の音が、勢いを増した気がする。
ショウタはふいに冷たさを感じた。
瞼や額、肌の露出してる部分にピシャピシャとした水の感覚。
――うぜぇ。
それから、水の匂いと、プン、とした土の匂いを感じた。
布団はない。
そして、鳥の声。
「ピィーーー」
流石に一気に身体を起こす。
「どこだここーー!?」
思わず叫ぶ。
滝だ。
ザァザァ、と激しく音を轟かせる瀑布。
広がるのは緑と、露出した岩肌、落下する水の流れ。
滝口はかなり上部にある。落ちた水は勢いよく岩肌に当たり、白い水飛沫を上げながら目前の滝壺に流れ込む。
上がった水飛沫のせいか、辺りは白く霞んでいる。
滝壺は白い泡をゴボゴボと上げながら、キラキラときらめいて見えた。
雨だと思ったのは、この滝の水の流れの音だったらしい。
ショウタは滝壺にせり出した、苔むした岩の上にいた。
さっき触れたのは、滝からの水をたっぷり含んだ苔だったようだ。
水分を含んだ苔と岩は、滑りそうで足場としては少し不安定だ。
一歩間違えれば、またドボン。
流石にそれは避けたい。
恐る恐る、岩から降りる。
改めて、辺りを見回す。
滝と、露出した岩肌。
あとは木、木、木、木、滝壺をぐるりと囲む大小それぞれの岩。
自分の立つ地面の土。あと草。
滝壺の透き通った水が、波紋を描きながら小川に流れ込む。
小川はずっと向こうまで続いているようだった。
木も様々な種類や、苔生したもの、太いものあればヒョロヒョロと頼りなさそうな若木もあった。
根の間からのぞく草も、ぼうぼうと好き勝手に生えている。
人の手の入っていない自然の森。
夜は明けていた。
木々の間から、柔らかな日の光がさしこむ。
何これ…。
もうずっと、状況の理解ができない。
あの川から落ちたのは夢じゃなかったのか?
だとしたら天国?
歓迎とか案内とかありそうだとは思うけど、見当たらないのはイレギュラーな訪問だからか?
服装もあのときと同じパーカーにジーンズ、スニーカー。
滝の水飛沫で多少は湿った感じはするが、ずぶ濡れではない。
また、ピィーと鳥の鳴き声がした。
ガサ、と木の葉の揺れる音、と同時に飛び立つ鳥を視界に捉える。
スズメ位の大きさの、スズメじゃないやつ。
白地に黒の斑模様の羽に、長い真っ赤な尾をはためかせて、飛んでいく。
現実味のない光景だが、夢にしては感覚がリアルすぎるんだよな。
あの舟の上でも感じたが。
湿って顔に張り付いていた髪をかきあげる。
ふと、もう一つの可能性を思いつく。
――異世界。
アニメなんかでよくみるアレ。
心臓が、さっきまでの緊張感と違う音ではねた。
そうだとすれば合点がいくのでは?
説明のつかない移動、謎の少女。
しかし、とすれば。
お約束では、チート的な特殊能力に目覚めているはずだ。
手の平を突き出す。
とりあえず思い付いた呪文を唱えてみた。
「ファイアボール!」
しーん。沈黙。
いや、滝の音が響いているが、その音も虚しく感じる。
何も起きなかった。
一人とはいえ、恥ずかしい。
ショウタは取り繕うように手の平をジーンズで擦った。
なんだろう。
陰鬱な日々を抜け出して、楽しい異世界ライフ。
期待してたやつと違う。何もかもが唐突すぎる。
もっと説明とか、ギフト的な特殊能力とかあってもいいだろう。
あの少女。異世界への案内人だったのかもしれない。
話をする前に別れたのが駄目なのか。
いや無理だっただろう、状況的に。ちょっと怖すぎだったし。
何となく、気分が落ち込む。
と、ふいに足元の土がゾゾ、とうごめいた気がした。
「…うわ、何だ?」
生き物かと飛び退く。
何もいない…と思ったが、今まで立っていた地面が動いたのを、今度は確かに見た。
正確には、その表面にいた「何か」が動いた。
小さな「何か」が、群れになって波のようにうごめいている。
「虫…?」
ちょっと気持ち悪い。
しかし虫というより、砂粒が群れを成しているように見える。
青みがかった褐色の砂粒たち。
ゾゾゾ、と大きく波打ったかと思うと、今度は2、3個のこぶし大くらいの塊をつくる。
塊は、ぐるり、と回ったかと思うと、形を変えながらぴょこ、とそれぞれ2本ずつ触覚のようなものを生やした。
「何これ、ナメクジ…?」
いやメチャクチャ気持ち悪い。
拳大の、ナメクジのような生物が数匹。
忙しなく触覚を動かしながら、褐色がかった色から青みが増し、エメラルドグリーンのような色に変化していく。
「いやスライムなのかな…っていうか、ウミウシっぽいななんか」
襲ってくる気配は、ないようだ。
触ってみようか…毒とかはないだろうか。
「おにーさん、ミサキ憑きの人です?」
「わ、ァァーッ」
突然の声に、ショウタは驚く。
向けば、木々の間から声の主がぴょこ、と顔を出した。
人だ。
「アハハ、びっくりしすぎですー」
ニコニコと笑いながらこちらに近づいてくる。
背の高さは頭2つくらい下だろうか。10歳前後の女の子だ。
笑われてしまった。確かに、自分よりずっと年下の女の子に驚いて、ショウタは少し恥ずかしくなる。
「んんー、変な格好だし地味…?」
「いやイキナリ失礼だろそれ」
危険はなさそうだ。
変な格好、といえば少女の方がよっぽど変だ。
簡素な上衣に、スカート。
だが作りやデザインは、見た事がないものだ。
腰に小刀と竹筒のような物を下げている。
ショウタは密かに心の中でガッツポーズをとる。ヨシ。
やっぱ異世界だろコレ。ショウタの落ち込んだ気分が、少し上がる。
特殊能力も、これから目覚めるのかもしれない。
まずは情報収集だ。
幸い、言葉は通じるらしい。
「ええと…俺、日下晶太っていうんだけど」
名乗ってみる。
危険はなさそうだが、警戒されても困る。
「クサカ…?」
「晶太、ね。晶太、俺の名前。君は?」
「ショウタ、さん、ですね。はい、竹矢は竹矢ですー」
たけや、というらしい。
あまり警戒はされてないようだ。
竹矢は、高い位置で結った髪を揺らして首を傾げながら、大きな目を楽しそうにキラキラと輝かせる。
いろいろ聞いても大丈夫そうだな、とショウタは感じた。
「さっきのミサキツキ?って何?」
ミサキツキ。さっき竹矢が言っていたはずだ。
この世界の勇者的なニュアンスなら、YESと答えていいのかもしれない。
「あとこれ…ウミウシっぽいの、こういう形のスライム?モンスターなのか?」
ショウタは足元を指す。
「スラ…?もんすたー?何です?」
あまり聞き慣れない言葉らしい。
テンプレ西洋ファンタジーとは違うのか。
竹矢の服装もまぁ、それっぽくはない。
「この子たちはですねー、竹矢のイズナたちですよ」
「イズナ…?」
今度はショウタが聞き慣れない言葉で返される。
「はい、竹矢はミサキ使いですから。イズナは竹矢のミサキですー」
「はぁ…」
よくわからない。
竹矢は腰に下げていた竹筒をとり、ぽん、と蓋を開ける。
すると、うごうごとうごめいていたウミウシたちは、最初見た砂粒の群れに戻り、竹筒の中に吸い込まれていった。
おおー。よくわからないけど、なんかすごい。
「ミサキ憑きは使い主がいないなら、場合によってはぶっ殺しますー」
竹筒の蓋を閉めながら、竹矢は物騒な言葉を吐く。
「その小刀、ぶっ殺す用かよ」
安易にYESと答えなくて良かった。
相手は子どもとはいえ、危なかったかもしれない。
「ん、ショウタおにーさん、ぶっ殺す方がよい人です?」
「いやいやいや、違う違う!」
全力で否定する。
「え、何、ミサキ?よくわかんないけど、俺は違う!」
「ミサキは死体に憑いたりしますー、ショウタおにーさん、死んだです?」
「いや、死んでない…」
死んでない…?不安になる。
あれ、あそこ、三途の川だったか、とショウタは思い返す。
実は死んでいたのなら。
知らぬ間に、「ミサキ憑き」というのになっていたとしたら。
――ぶっ殺されちゃう対象なのか?
せっかくの異世界なのに!
「んん?何か、あやしいですねー」
「い、いや違う、はず…」
何となく、自信がなくなる。
じりじり。さっきのキラキラおめめから一転、訝しそうに竹矢は詰め寄る。
「あ、竹矢いたー!もー、早いのよ。少し待ちなさいよ!」
と、そこにもう一人、姿を表す。
川の向こうには行かない とゐ @mememe101
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