第35話



 安路と恵流はすたこらさっさと逃げていった。

 この狭い施設内、すぐに再会出来るだろう。焦る必要はない。

 明日香の胸よりバタフライナイフを引き抜く。途端、鮮血が吹き出した。動脈を切ったのだろう。春明は身をよじって血を避ける。

 この一刺しが効いたらしく、明日香はもう動かない。やかましい女だったが、やっと静かになったのだ。

 さて、そろそろ追いかけよう。

 春明はグリップを閉じ、ナイフを胸ポケットへ。右手に手斧、左手には鎌。持ちきれないので、金属バットは置いていく。

 これだけの装備、そして己の肉体があれば、ひ弱な日本人二人など造作もないだろう。両者共に聡明な頭脳を持つが、知性など暴力でごり押せばいい。

 だが、一抹の不安が残る。

 最年少の参加者、恵流。肉体的にはただの小娘だが、彼女はデスゲームの知識があるらしい。また、冷静つ的確な判断も厄介だ。慢心すれば足をすくわれるだろう。

 ここはもう一つ、強力な武器を増やしたい。

 春明は“シュラ・La・ランド”に立ち寄る。目的はUFOキャッチャーに鎮座するクロスボウだ。無料でプレイ出来るが、難易度が高く入手不可能の代物だ。

 さて、春明はどうクリアするつもりなのか。

 答えは至って単純明快。ゲーム筐体きょうたいを叩き壊すのだ。

 手斧で一撃、硝子ガラスケースにひびが入る。激突した点を中心に、白い線が蜘蛛くもの巣状に拡がった。

 ガッ、ガツッ、ガツンッ。

 透明だったケースは白く割れ目を走らせていき、やがて――バリンッと砕け、欠片がキラリと飛び散った。直径三十センチメートルほどの穴が空く。景品が取り放題だ。春明は躊躇ちゅうちょなくクロスボウを奪い取る。矢筒やづつをたすき掛けに、鎌はズボンに差し込んで、代わりにクロスボウを握った。


「盗むするのは久しいぶりですね」


 窓硝子を割って侵入。それがいつもの手口だった。

 脳裏に蘇るのは、まだ春明が社会の歯車だった頃――前科者になる前の姿。

 溢れる希望を胸に来日したのだが、派遣された先はブラック企業。給料未払いが横行し、食べる物もなく道端の草すら食べて過ごした。

 外国人だから、非正規労働者だから。それだけではないだろう。共に働く者は皆、馬車馬の如く働かされていた。“人材”の字の如く、会社のための材料であり所有物。そんな扱いである。

 何度、上司を殴り殺そうと思ったか。失敗を押し付けて、逆に手柄は横取りする。中身がない奴に限って世渡り上手で出世していく。祖国と変わらぬ、弱者を食い物にする汚い仕組みが構築されていた。

 劣悪な環境。

 それなのに何故、日本人は反抗せず上の者に従い続けるのか。きばを抜かれた家畜、自由意志を失った奴隷どれい反吐へどが出るほど腑抜ふぬけた根性をしている。挙句“自己責任”の言葉に囚われ、自分を責めて自殺する。なんと下らぬ最期だ。

 と、周囲の醜態しゅうたいさげすむも、春明自身反抗出来ない同類のまま。搾取さくしゅされるばかりの日々を堪え忍んでいた。

 しかし、空腹ばかりはどうにもならない。人間の三大欲求を理性で抑えきれるはずもなく、我慢はするだけ無駄だった。

 春明は、盗みに手を出した。

 祖国では、生きるために度々犯した罪。今更躊躇ためらう理由がない。

 最初は近所の畑から野菜や果物を盗んだ。祖国とは違い防犯意識が低く、侵入防止用の柵がないので楽々踏み込めた。

 日本での盗みに慣れてくると、次第に食べ物に対するこだわりが出てきた。野菜や果物の丸かじりでは野生動物と同じだ。文化的な料理が食べたくなる。しかし、ラーメンやカレーライスは畑に実らない。欲しいのなら、人の物を奪う他ないだろう。

 深夜、丑三うしみどき

 住民が寝静まった頃合いに、春明はそっと不法侵入。窓硝子にガムテープを貼ると金槌かなづちで静かに叩き割り、穴から手を差し込みそっと解錠。冷蔵庫を探し当てると、食べられる物を手当たり次第に漁った。金目の物を盗むと足がつく、という祖国における経験則から、食料以外には手を付けず。被害が少なければ警察も捜査に本腰を入れない、という打算もあった。

 何件ほど盗みに入っただろうか。もはや仕事帰りの日課になっていた。

 警察の注意喚起もあるはずなのに、無防備な家庭は必ずどこかにいるもので。「自分は大丈夫」と根拠のない安心感を持つ者が多いのだろう。おかげで食事に事欠かなくなり、春明にとって幸運の連続だった。

 しかし、それは突然終わりを告げる。


「今日はここにする、ですね」


 夜の闇に紛れて住居へ侵入。今回の獲物は四人家族の子育て家庭だ。

 冷蔵庫はどこかと抜き足差し足忍び足。物音を極限まで削り移動する。

 一歩踏み出す度に、床がきしんで心臓に悪い。

 頼むから、そのまま眠っていてほしい。食事をしたら帰るから。

 心の中で何度も祈りながら廊下を進むと、不意に眼前の扉が開いた。

 用を足そうと起きたのか、それとも不審な物音で目を覚ましたのか。

 一家の主とばったり鉢合はちあわせてしまった。


「だ、誰だあんた!?」


 筋肉質で引き締まった体格の、好みど真ん中の男性だった。

 強い男を屈服させたい。

 春明は一瞬舌舐めずりするも、首を振り、すぐに邪念を振り払う。

 ムラムラしている場合ではない。

 騒がれたら大事だ、空腹が辛い、顔を見られてしまった、仕事先は解雇、捜査線に浮上してしまう、野宿確定、ろくに食事出来なくなる。

 危機に陥った脳内は、あらゆる懸念が渋滞の玉突き事故。

 その結果、導き出した答えは――金槌で殴りつける、だ。

 後先考える余裕もなく、思い切り殴打。

 咄嗟とっさの行動、それが全ての歯車を狂わせる。

 気絶させるつもりが、当たり所が悪かったのだろう。くずおれた男性の耳や鼻から赤黒い血がこぼれ出す。つぅ、とフローリングの溝を伝い、足元をじわじわ染めていく。

 男性はまんじりともせず、否、むしろ永眠だ。目を開けたまま死んでいる。

 不運にも、一撃で人を殺してしまったのだ。

 ずっと食料目的だけで、証拠を残さずうまくやってきたのに。たった一度のミスで全てが水泡すいほうした。この国で殺人を犯せば逃げ切れない。警察が威信を賭けて、地の果てまで追ってくる。

 なんたる失態だ。

 しかし、不運は終わらない。一度悪い方へ傾くと、次々歯車は噛み合い、事態を最悪へと導いていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る