第35話
※
安路と恵流はすたこらさっさと逃げていった。
この狭い施設内、すぐに再会出来るだろう。焦る必要はない。
明日香の胸よりバタフライナイフを引き抜く。途端、鮮血が吹き出した。動脈を切ったのだろう。春明は身を
この一刺しが効いたらしく、明日香はもう動かない。
さて、そろそろ追いかけよう。
春明はグリップを閉じ、ナイフを胸ポケットへ。右手に手斧、左手には鎌。持ちきれないので、金属バットは置いていく。
これだけの装備、そして己の肉体があれば、ひ弱な日本人二人など造作もないだろう。両者共に聡明な頭脳を持つが、知性など暴力でごり押せばいい。
だが、一抹の不安が残る。
最年少の参加者、恵流。肉体的にはただの小娘だが、彼女はデスゲームの知識があるらしい。また、冷静
ここはもう一つ、強力な武器を増やしたい。
春明は“シュラ・La・ランド”に立ち寄る。目的はUFOキャッチャーに鎮座するクロスボウだ。無料でプレイ出来るが、難易度が高く入手不可能の代物だ。
さて、春明はどうクリアするつもりなのか。
答えは至って単純明快。ゲーム
手斧で一撃、
ガッ、ガツッ、ガツンッ。
透明だったケースは白く割れ目を走らせていき、やがて――バリンッと砕け、欠片がキラリと飛び散った。直径三十センチメートルほどの穴が空く。景品が取り放題だ。春明は
「盗むするのは久しいぶりですね」
窓硝子を割って侵入。それがいつもの手口だった。
脳裏に蘇るのは、まだ春明が社会の歯車だった頃――前科者になる前の姿。
溢れる希望を胸に来日したのだが、派遣された先はブラック企業。給料未払いが横行し、食べる物もなく道端の草すら食べて過ごした。
外国人だから、非正規労働者だから。それだけではないだろう。共に働く者は皆、馬車馬の如く働かされていた。“人材”の字の如く、会社のための材料であり所有物。そんな扱いである。
何度、上司を殴り殺そうと思ったか。失敗を押し付けて、逆に手柄は横取りする。中身がない奴に限って世渡り上手で出世していく。祖国と変わらぬ、弱者を食い物にする汚い仕組みが構築されていた。
劣悪な環境。
それなのに何故、日本人は反抗せず上の者に従い続けるのか。
と、周囲の
しかし、空腹ばかりはどうにもならない。人間の三大欲求を理性で抑えきれるはずもなく、我慢はするだけ無駄だった。
春明は、盗みに手を出した。
祖国では、生きるために度々犯した罪。今更
最初は近所の畑から野菜や果物を盗んだ。祖国とは違い防犯意識が低く、侵入防止用の柵がないので楽々踏み込めた。
日本での盗みに慣れてくると、次第に食べ物に対する
深夜、
住民が寝静まった頃合いに、春明はそっと不法侵入。窓硝子にガムテープを貼ると
何件ほど盗みに入っただろうか。もはや仕事帰りの日課になっていた。
警察の注意喚起もあるはずなのに、無防備な家庭は必ずどこかにいるもので。「自分は大丈夫」と根拠のない安心感を持つ者が多いのだろう。おかげで食事に事欠かなくなり、春明にとって幸運の連続だった。
しかし、それは突然終わりを告げる。
「今日はここにする、ですね」
夜の闇に紛れて住居へ侵入。今回の獲物は四人家族の子育て家庭だ。
冷蔵庫はどこかと抜き足差し足忍び足。物音を極限まで削り移動する。
一歩踏み出す度に、床が
頼むから、そのまま眠っていてほしい。食事をしたら帰るから。
心の中で何度も祈りながら廊下を進むと、不意に眼前の扉が開いた。
用を足そうと起きたのか、それとも不審な物音で目を覚ましたのか。
一家の主とばったり
「だ、誰だあんた!?」
筋肉質で引き締まった体格の、好みど真ん中の男性だった。
強い男を屈服させたい。
春明は一瞬舌舐めずりするも、首を振り、すぐに邪念を振り払う。
ムラムラしている場合ではない。
騒がれたら大事だ、空腹が辛い、顔を見られてしまった、仕事先は解雇、捜査線に浮上してしまう、野宿確定、ろくに食事出来なくなる。
危機に陥った脳内は、あらゆる懸念が渋滞の玉突き事故。
その結果、導き出した答えは――金槌で殴りつける、だ。
後先考える余裕もなく、思い切り殴打。
気絶させるつもりが、当たり所が悪かったのだろう。
男性はまんじりともせず、否、むしろ永眠だ。目を開けたまま死んでいる。
不運にも、一撃で人を殺してしまったのだ。
ずっと食料目的だけで、証拠を残さずうまくやってきたのに。たった一度のミスで全てが
なんたる失態だ。
しかし、不運は終わらない。一度悪い方へ傾くと、次々歯車は噛み合い、事態を最悪へと導いていく。
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