第33話



 あれから何分、否、何時間たったのだろうか。

 守の襲撃で背中を負傷、恵流に庇われ命からがら“書天堂”に逃げ込んだ。今も息を殺して本棚の陰に潜み続けている。

 諦めてくれたのだろうか。流石さすがにそれは楽観的過ぎる。恐らく獲物を変えたのだ。自分達から明日香、あるいは春明に。


「ごめんね。結局、守ってもらっているのは僕の方だ」


 隣で身を寄せる恵流に、小声で申し訳なく吐露とろする。


「私がいなかったら、殺されていたでしょうね」


 安路だけなら、とっくに金属バットの錆びになっていただろう。

 か弱い乙女のために戦うのが本来の立ち位置。しかし、蓋を開けてみればこの有様。あべこべである。


「でも、それでいいの。あなたは頭脳担当。悔やむ暇があったら脱出の手段を考えなさい」


 責めるだけでばつが悪かったのか、恵流は付け足しのように命令した。


「……」

「……」


 沈黙の時間が流れていく。

 書店奥に位置する成人本コーナーの一角。一糸纏いっしまとわぬ女性が描かれた漫画や雑誌、教師と児童が組んずほぐれつのBLボーイズラブ本。

 むせ返るほどのピンク色に囲まれた空間で、女子高校生と二人きり。

 ドキドキと胸の鼓動が激しくなるが、背徳的シチュエーションに戸惑っている場合じゃない。

 これからどうするべきか。

 安路は頭を静かにむしる。

 書店外の状況は不明だが、良好とは程遠いのは明らかだ。その内誰かがやってくるはず。春明や明日香はまだしも、守に遭遇したら今度こそ逃げられない。鉢合はちあわせすれば死の運命が確定する。

 ずっと隠れるのも問題だ。こちらは依然丸腰、武器の一つでもなければ抵抗すらままならない。今のうちに隠しアイテムを探す方が良いかもしれない。


「あのさ、武器を探しに行こうと思うんだけど」


 沈黙を破り、安路は小声で提案をする。


「アテはあるの?」

「それは、ないけど……」


 既に判明しているクロスボウ以外、目星は全くない。そもそも、まだ隠しアイテムがある、という想定自体希望的観測だ。すでに売り切れソールドアウトで無駄骨の可能性もある。

 また、恵流をどうするか、というのも問題だ。十八禁コーナーから出るのは、彼女を危険の渦中に飛び込ませると同義。かといって、一人残すのも危険極まりない。安路がいなくなった後、入れ替わりで守がこの場所にやってくれば、一巻の終わりである。

 動くべきか、留まるべきか。

 優柔不断にも迷っていたところで、


「いいわ。行きましょう」


 恵流がすっくと立ち上がった。


「逃げ回っているだけじゃ、デスゲームを生き残れないもの」


 きりりとした瞳、固く結ばれたくちびる

 戦う覚悟を決めた恵流は、目もあやな姿を現していた。

 ゲーム開始からおおよそ六時間前後。

 二人は書店の暖簾のれんを潜り抜け、血で血を洗う危険地帯へと舞い戻った、のだが。


「うっ」


 通路にはみ出した惨状に、安路は思わず顔をしかめた。

 衣料品店から中央の部屋に向けて伸びる三つの赤、血のわだちほのかに薫ってくる鉄錆と肥だめの臭い。近づくほどに悪臭は強まっていく。

 何が起きたのだ。

 そっと衣料品店を覗くと、店内は大災害を受けたと見紛みまごうほど。ハンガーラックは倒され洋服が散乱、そこかしこに血と体液が塗りたくられている。まるで屠殺とさつ場かまぐろの解体ショーだ。無論、畜産も大型魚類もいないこの場において、何を解体したかは自明の理。想像もしたくない。

 では、血の轍はどうだ。

 血をしたたらせる何か――言わずもがな死体を運んでいった。伸びる先は中央の部屋、椅子と門が備え付けられた始まりの間だ。

 となると、死体は椅子に座らされたのだろう。

 轍は全部で三つ。ならば運ばれた死体も三つ。織兵衛を除く六人の内、安路と恵流以外の四人から死体の数を引けば、あとは一人だけ。

 身を隠している間に、生存者はぐっと数を減らしていた。

 全員で生き残ると意気込んで、現実は御覧の通り。

 安路はつめが食い込むほど拳を握りしめ、弾かれたように中央の部屋へと駆け出す。

 失われた命は戻ってこない。

 だが、惨劇を生き残った者が一人いる。

 何もかも遅いかもしれないが、それでも、共に脱出する道を諦めたくなかった。

 もっとも、目の前に拡がる最悪の景色に、淡い希望は音を立てて崩れ去るのだが。


「……あ」


 コンクリートで囲まれた四角い部屋。等間隔で設置された無骨な椅子に、四人がくくり付けられている。最初に死亡した織兵衛に加え、目鼻が潰れ陥没した玲美亜に顔が腫れ上がった明日香、そして全身血みどろの守だ。

 死体まみれの凄惨せいさんな室内で、一人たたずむのは春明。どうやら無事なのは彼だけ――いや、明日香もまだ息があるらしい。顔が腐りかけの果実のようにどろどろだが、微かに震えて自身の生存を知らせている。

 生きたまま椅子に縛り付けられて、好き放題春明に殴られていた。

 しかも、とどめとばかりにナイフの切っ先が向けられている。散々いたぶった挙げ句、殺すつもりなのだ。


「瀬部さん、やめて下さい!」


 無意識だった。

 相手が刃物を持っているとか、自分が丸腰で脆弱ぜいじゃくな人間だとか。勝算や損得勘定抜きに「止めなくては」と、口から叫びが飛び出していた。


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