第8話



 玲美亜は嘘をついていた。


 “六名の罪を悔い改めし者が座する時、残されし最後の者が光を臨める”


 モニターに映し出された一文から、集められた者は全員罪人なのでは、という疑いが浮上した時。必死に否定する安路の側につき、玲美亜は「自分にも覚えがない」と弁解した。

 しかし、それは真っ赤な嘘だった。


「何よ、何よ、何よ。あんな軽薄そうな男が、なんで家庭なんか持っているのよ!」


 ペットショップを覗いてみれば、そこには金属バットを手にした守。てっきり襲われるかと、反射的に悲鳴を上げてしまった。

 それに関しては気にしない。叫んだ迂闊うかつな自分にも落ち度はある。しかし、問題なのはその後の言葉。

 守は「娘がいる」と言った。

 信じられなかった。粗暴で知能が低い底辺男性が、幸せな家庭を築いている。その事実を認めたくなかった。


「私だって……!」


 持たざる者の嫉妬しっとではない。

 玲美亜にも、愛する夫と一人娘がいた。幸せに満ち溢れていた家庭があった。

 あった。そう、過去形だ。

 彼女には離婚歴がある。俗な言い方ならバツイチ。現在は孤独な中年女性だ。

 その原因こそ、玲美亜が自覚している罪。嘘で誤魔化ごまかした背負いし十字架。

 自分の娘を死なせてしまったことである。

 ゲームセンターを素通りし、衣料品店“Gene Do”に駆け込む。

 誰にも会いたくない、見られたくない。

 試着室に潜るとカーテンを閉め、ひざを抱えて胎児のように縮こまった。

 鏡に映る自分はみすぼらしい。目つきは悪く、体はげっそりと貧相。洒落しゃれっ気のない服を身に纏うただの年増だ。

 自身の現状を直視したくない。玲美亜はそっと壁へと目を逸らす。


「どうして、どうしてなの」


 真面目一辺倒に生きてきた。

 勉強、就職、結婚。順当に経験すれば必ず幸せになれる。親族からの「早く孫を見せろ」という重圧プレッシャーにも応えた。

 それなのに、自分が幸せになれないなんておかしい。

 我が子を失い、不幸のどん底に落ちるなんて、話が違うではないか。

 娘は事故死だった。

 灰色の青春時代を過ごした自分が、ようやく手に入れた人生の輝き。しかしそれは、砂上の楼閣ろうかくの如く崩れ去った。

 辛くて苦しいばかりの子育てをこなした。良い母親であろうと血反吐ちへどが出る思いで努力した。

 それなのに、事故を機に周囲はあっさり掌返し。「母親のくせに何をしていた」と罵倒ばとう叱責しっせきの日々。ろくに子育て支援をしなかったくせに、いざ失敗すれば途端に都合良く責め立ててくる。自分達の非は認めず、母親だけを狙い撃ちだ。子育ては母親の仕事、責任は全てそこに帰結する。そんな時代遅れの常識が蔓延まんえんしているせいなのだ。

 ともかく、娘の死を機に全てを失ってしまった。

 それなのに、どうして。


「あんな奴が……!」


 幸せな家庭を築いたという事実が許せない。

 守のような、何不自由なくおちゃらけて、後先考えず好き勝手した人間が。何故、自分にないものをたくさん持っているのだ。

 真面目だけが取り柄。学生時代は勉強漬け。将来のために青春をかなぐり捨てた。

 その結果が、娘の事故死と苛烈かれつなバッシングとは何の冗談か。

 不公平。

 努力が報われない、真面目な人間が損をする世の中は間違っている。

 玲美亜は唇を強くみ締めた。

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