第4話 大天使は「彼氏」を知る

 夕食後、俺はある長方形の溝深いある容器の中に熱さ四十二度、それも大量のお湯をそこに注ぎ込んでいた……


     そう、「風呂」だ。


アルバイトでもしていれば学生でも住めるような、家賃安めのこのアパートの風呂は何故か浴槽の半分までしか自動でお湯を溜め込んでくれない。


そのため、端っこにくっついているレバーを引いてから残りのお湯を直接溜め込まなくてはならないのだ。


まぁ正直に言えばめんどくさいが…推しのキャラソンを爆音で流しながらお湯を注ぐこの時間は嫌いではない。一度聞けば嫌なことを何もかも忘れられるこれは日々のルーティンと化している。


『♪夜空に広がる白い光――見つめる瞳は、♪』


「黒い星ーー♪」


『♪弱い私は何の星――嘲笑うお前は、♪』


「弱い星だとーそれだけは言ってやるーー♪」


『♪そう、それはっ!♪』


「たった一つのっ♪」


『「反撃再流星リベン・リスタ―――ッッ‼」』


 ………キマった。今日の調子は過去最高レベルといっても過言ではないだろう。

やっぱりこの時間は良い、どれだけ辛いことがあってもすぐに忘れることができる…


「こ、黒羽……さん…?」

「…………………あ」


 そう…、風呂場の扉から体を小刻みに震わせこちらを覗いてくる人生初彼女ウリエルが我が家に住んでいたことさえも…


「い、いつから見てた…?」


「このお部屋からその「変な」歌が聞こえてきた辺りから……。たっ、楽しそうですねっ‼私ももう一度聞いてみたいです、その「変な」歌っ‼」


「……うん、ありがとネ…」


「な、なんで膝から崩れ落ちてるんですか……、あと、あの箱からなんか水みたいなの溢れてるんですけど一体何やってたんですか⁉」


 この数分で人生の最高潮まで高められ、その直後に人生の最底辺まで叩きつけられた俺の精神は、湯船から溢れかえったお湯にその身を濡らせてもなお、その形を保てずにいた――…。


         ☆☆☆


「いいかいウリエル、これは「お風呂」っていう体を隅々まで奇麗にしてくれる素晴らしいモノなんだヨ」


「いつまで目死なせてるんですか黒羽さん…?それに幾ら私でも「おふろ」くらい知っています!バカにしないでくださいよもうっ」


「ごめんネ……って、え?天界にもお風呂あるの?」


 無知であることをイジられたと勘違いし、頬を膨らませた彼女から唐突に解禁された天界新情報に、崩壊していた精神も流石に再構築されていった。


「はい、ありますよ。こんなに小さ…かわいい形状はしていませんけどねっ‼」

「うん、小さくてごめんね」


 決して聞き逃さなかった俺の反応に彼女は目線を逸らしながら話を続けた。


「て、天界の「おふろ」は『パナケイアの泉』と呼ばれているとっても大きな泉なんです。一度浸かると不治の病から傷まで何でも治せる凄い泉なんですよっ‼って、「なら不治やないやないかーい」って感じですよねっ」


「いやそんな自演ノリツッコミ披露されても……すごいね天界。じゃあお風呂に関してはあんまり教えるようなことないかな?

…あっ湯舟浸かる前にこのシャンプーとリンスで頭洗ったあと、このボディソープで体洗ってね」


「わかりましたっ!全然心配ご無用ですっ、それではさっそく…」


「よかったよかった、……ん?」


 自信満々に言った彼女はその身に纏わせていた純白のワンピースを意気揚々と脱ぎ始め………って⁉


「まてまてまてッ何でもう脱ぎ始めてんのッ⁉」


「え、だって服着てたらおふろ入れないじゃないですか…」

「いや間違ってないけど間違ってるよッ‼俺が出ていくまでちょっと待っててよ、どんだけ風呂好きなの君っ⁉」


「おぉ、黒羽さん史上最長のツッコミ頂きました……でも天界では皆で仲良くおふろ入るのが当たり前なんですけど…」


「下界ではそれ当たり前じゃないからッ‼少なくともこの家では別々に入ろう、わかった⁉」


「………わかりましたよ、そんなに怒らなくてもいいじゃないですか……」


 彼女はそう言うと俺が出ていくのを見計らって風呂場の扉を閉めた。


 ……ちょっと言い過ぎたかな、いやでも…もう少しでところだったし…悪くないよな俺は、うん。よく我慢したな俺。偉いぞ。


「黒羽さん助けてくださいぃッ‼」


「⁉どっどうしたのウリエル……ってうわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ⁉」


 少し強く当たりすぎてしまったかも知れないという罪悪感と、年頃の男なら誰しもが持っている欲に抗った自尊心の狭間で苦しむ俺の目の前に……


ウリエルが両目を抑え全裸のまま飛び出してきた。


「バケモノ見たような反応しないでくださいよぉっ…」


「俺頑張ったのにッ‼必死で頑張ったのにッ‼人の努力踏みにじってそんなに楽しいか大天使ッ⁉」

「なんの話をしてるんですかっ⁉「しゃんぷー」が目に入って痛いんですぅぅ…」


「え?…あぁ…そう…」


        ☆☆☆


「…こんなもんでどう?まだ痛む?」


「あぁいえ、もう大丈夫です…ありがとうございます」


 シャンプーが目に入った時の痛みは割とシャレにならないため、早急にウリエルと風呂場に戻り両目を水で擦ってあげた。うん、しょうがない。さっき見てしまったのは。セーフだセーフ。


「あ、あの黒羽さん?私言われた通り体にタオル巻いてるんですけど…なんでずっと目細めてるんですか?」


「…気にしないで。目ギュッと閉じてれば大丈夫だからね?もう出るね?いいね?」

「は、はいありがとうございました…?」


 やはりウリエルは少し…いや、だいぶ人間の生活のことに関して疎いところがある。これから一緒に生活するなら一度ちゃんと教えてあげたほうがいいかもしれない。いや、絶対にいい。そうしなければ俺の身がもたない。


 さっき見た裸体光景を思い出さないよう必死に脳をフル回転させ策を練っていた。

……まぁウリエルは今日初めて下界のお風呂に入ったわけだし…ちょっとずつ覚えていってくれるだろう。焦る必要はな……


「黒羽さん、「りんす」が目に入りましたぁぁ……」

「あぁもうっっ‼」


「黒羽さん、「ぼでぃそーぷ」が目に入りましたぁぁぁぁッッ……‼」

「どゆことッ⁉」


「こ、黒羽さん、あの「おふろ」熱すぎるんですけどっ⁉全然ゆっくり浸かれな…」

「お願いだからもう勘弁してッッッ‼‼」


 相当焦ったほうがいいのかも知れない。


        ☆☆☆


「ふーーーっ、慣れたら「おふろ」すっごい気持ちよかったですッッ‼黒羽さん、服お借りしちゃってすみません」


「……いや…満足したなら…良かったよ、はは…」


 すっかり風呂が気に入ったらしく、いろいろとトラブルはあったものの結局一時間ほど風呂場に籠ったままだった。そしてどうやら彼女は最初に来ていたワンピース以外自分の服を持っていないらしく、寝間着として俺のシャツと短パンを貸していた。


「そういえば…その服どう?ウリエル俺より体小さいから着心地悪かったりしない?」


「そんなことないですっ、下界の服初めて着たのでなんだか新鮮です‼

     ……でも、やっぱりちょっとだけブカっとしちゃいます…へへっ」


「………ッッッッッッ⁉あ、あははっやっぱりちょっと大きいか…、」


 やっっっっっばい、可愛すぎないかこの子?この可愛さを文字だけじゃ伝えきれないのが本当に惜しい。


「それと黒羽さん、さっきは…いろいろとご迷惑をおかけしてすみませんでした…私っ、ホントに下界に来るの初めてで…何をどうすれば正解なのかが全くわからなくて、それで、その…」


 彼女は湯舟に深く浸かり熱の籠ったその体をもじもじとさせ、俯きながら謝辞を述べてきた。


 …考えてみれば、ウリエルが失敗し続けるのも当然だ。彼女は何の前触れもなく突然この世界に呼び出され、突然出会うことになった人間と「一生」を共にしなくてはいけなくなったのだから。


そしてそんな事態を招いた張本人は……他の誰でもないこの俺なのだ。


分かっているつもりではいたが、やはりウリエルがこうなってしまった責任を果たすためにも……、これから生活を共にしていくなかで彼女をしっかりと支えていかなければいけない。


彼女が今目の前で俺に対して頭を下げているこの状況は、無自覚に彼女を傷つけていた自分への戒めの様にも感じてしまった。


「……ウリエルが頭を下げることじゃないよ。無理やりこっちの世界に呼び出しておいてしっかり君を理解しようとしなかった俺が悪い。こちらこそ…嫌な態度をとってしまって…本当にごめん」


「黒羽さん……そんなっ、頭上げてくださいよ…」


「でも、こんなこと言っておいてふざけんなって話ではあるんだけど…俺もまだまだ未熟で、ウリエルが期待できるほど立派な人間ではないんだけど…それでも、ウリエルが俺の初めての「彼女」になってくれたように…

俺もウリエルの自慢の「彼氏」になれるように頑張るからっ…‼」


「…すみません「かれし」とは何でしょうか…?」


「えっ⁉あーーそっか、えっと「彼氏」っていうのは「彼女」の反対の意味で…この場合だとウリエルが「彼女」で、俺が…「彼氏」、です…」


 自分で説明しておいてあれだが、ものすごく恥ずかしくなってきた。


「……なるほど、黒羽さん」

「は、はい…?」


「「ふざけるな」とか、そんなひどいこと思いませんし、思えません。 ただ、これだけ言わせてください――」

「……?ウリエル?」


「黒羽さんが……私の初めての「かれし」で、私、とっても嬉しいですっ……‼」


「…………ッ‼」


 彼女から飛んできた予想外の言葉、そして彼女のまるで天使の様なその笑顔に、俺の脳は完全に停止してしまった。そして、それと同時に――……


「私のほうこそ、黒羽さんの自慢の「かのじょ」になれるよう頑張ります‼一緒に頑張りましょうっ‼」


「……う、うん…頑張り…ます…」


「あ、あれ?お顔が真っ赤ですけど大丈夫ですかっ⁉なんか変なもの食べましたか⁉」


 俺はある決意をした。彼女が抱えている「彼氏・彼女」のイメージは、俺が持っているそれとは全く異なるものなのかも知れない。

    しかし、例えそうだとしても――……


「だ、大丈夫だよッ‼…よ、よしウリエルもあがったし俺も風呂に…」


「あっ‼じゃあ私が入るときは一人でお風呂入るので、黒羽さんが入るときは、私がもう一度服脱いで一緒に入るのはどうでしょうッ⁉」

「思ってたんだけどウリエルってあんま人の話聞かないよねッッ⁉」


 世界…いや、宇宙一可愛くて、誰よりも優しい彼女ウリエルの誇れる「彼氏」になる。

 …――それが、俺が新しく求める「大きな癒し」だ――…

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