第98話 [家庭教師 土岐みさき]幕間・浮かぶ満月、真夜中の空。(1)

 由都ちゃんと伊勢原先生に選んで頂いたクリスマスパーティーの衣装。

 それは、女性用のタキシードと着物用のコートだった。


 女性用のタキシード。まったくと言っていいほど想像できなかったけれど、確かに、私には似合う気がする。自意識過剰も、たまにはいいだろう。

 黒のようで、黒ではない色。きれいだなあ、と息をのむくらいの生地の美しさ。ミッドナイトブルー、というらしい。


「満月が浮かぶ真夜中の空の色でございます」  

 店長さんの説明は丁寧かつ、押し付けがましくない。


 どちらかというとこじんまりとした、でも、落ち着いた感じの店内は、壁や扉、柱の重厚さなど、雰囲気がいわゆる普通の店とは違っていた。

 そもそも、入り口でわざわざ店員さんが待っていて下さったのだ。

 無垢材の扉は木製なのに反りもなくて、塗装も自然なかんじで、美しかった。メンテナンスがきちんとされているのだろう。


 そして、とにかくご試着を、と、流れるように試着室に促される。


 「着られた状態でお出になってくださいませ」

 試着室、というか、部屋だった。店員さんが扉を開けてくれている。


 「分かりました」

 靴を脱ぎ、揃えようとしたら「どうぞお進みください」とのことなので室内に入る。


 まず、軽く深呼吸。それから、着替えを始める。

 シャツは、昨晩、母が出してくれたウイングカラーシャツだからこのままでも大丈夫。

 スーツの上下はハンガーに掛けさせてもらおう。

 コートも、少しの間だけれど、ハンガーに。


 それにしても、コートが着物コートなのは、もしかしたら、伊勢原先生のアイデアなのかな。意外性とか。

 どちらにしても、着物は割と好きだから、嬉しい。

 ハンガーから着物コートを取り、羽織る。

 本来ならタキシードの上にはチェスターコートのようなコートなのだろうけれど、このコート、着心地としては、とてもいい。


 タキシードに合うコートは、自前で用意しないといけないな。

 まあ、母が、なんとかしてくれるだろう。


 それにしても、体になじむ。

 大きな姿見を見ると、どちらも、我ながら似合っていた。


 そうだ、試着室を出たら、まず、支払い方法を確認しないと。


 扉を開けたら、靴はきちんと揃えられていた。

 なんだか、軽く磨かれている気もする。


「かっこいい!」

「うん、いいね」

「お似合いでございます」


 三人から褒められたら、さすがに嬉しい。


 嬉しいけれど、まずは支払い方法の確認だ。


「ありがとうございます。店長さん、こちら、支払い方法はカードでもよろしいでしょうか?」

 かなりの金額になるだろうけれど、「衣装をとお誘い頂いて、ぜひにとお願いしたのだから、きちんとね」と母からも言われている。

 私も、そのとおりだと思う。

 

「ああ、もう支払い済だよ。今までのお礼と、クリスマスプレゼントでどうだろう?」


 え。

 支払い済? と復唱せずにいられたのは、私が伊勢原先生という方に慣れているからかも知れない。


 だが、これは言わせていただこう。

「……それは無理がありますよ、先生」


 どちらの品も、大学生が頂くものとしては格が高すぎるものなのに、あり得ない。


 そもそも、月々の家庭教師代は相場以上で、しずるさんに贈るための指輪を購入できたくらいだ。もちろん、あの指輪は大切に保管している。


 そして、由都ちゃんの推薦合格時には、あの素晴らしい紫陽花の柄の湯呑みを頂いているのだ。

 だから、クリスマスプレゼントを兼ねたら、とかそういうことではない。


 母が「衣装選びのお店には必ずスーツで行きなさい。クリーニング済のフォーマルの中から選んで」と言っていたから、母は値段も想像していたのだろうか。

 用意してくれたシャツも、きちんとしたものだし。正直に言えば、こちらのお店に着いて、扉の前で恭しく迎えてくれた店員さんを確認したときには、内心で、母に感謝をしていたのだ。


 卓上には、オペラパンプスやポケットチーフなどの小物までが揃えられている。

 このあとは、こちらの試着になるのかな。


 いったい、総額は幾らなのだろう。明細書は……この様子だと、頂けそうにない。


「じゃあ、みさきさんのお誕生日とか色々全部合わせて、今年のクリスマスも追加したらいいと思う! ね、お父さん」

「そうだね、由都。どうせなら、土岐さんの就職内定祝いも追加したらいい。そもそも、こちらの店はほぼオーダー店だからね。土岐さんに受け取ってもらえないと、僕たちも店長も、困ってしまうよね」


「左様でございます。どうか、土岐様。伊勢原様、そして由都お嬢様のお心をお受け取りくださいませ」


 由都ちゃん、先生、店長さん。


 参ったな。


 打ち合わせでもしていたかのような皆さんのやり取りが始まってしまった。


 そして、聞こえた、ほぼオーダーという言葉。


 確かに。


 そう、この、全身の採寸をしてもらって誂えたかのような着心地。


 着替えたのは更衣室というよりは部屋、と言いたくなるような更衣室だったから、空手の蹴りや突きも、やろうと思えばできそうなくらいだった。やらなかったけれどね。


 姿見も、私の足元まで全部うつしてもまだ余裕がある大きさだった。


 たぶん、私のサイズをこちらのお店に連絡したのは由都ちゃんだ。母に聞いたのだろう。

 私は帰省して、実際に母と会っているから、最新のデータのはずだ。

 あの母は、私の筋肉の付き方やわずかな姿勢のずれなども、視覚だけで理解してしまうからなあ。


 そうなると、母も協力者か。 

 だからこそ、のフォーマルスーツとウイングカラーシャツか。


「……そうですね」


 実際、170を超えていて、それなりに上背と筋肉のある女性用、しかも、タキシード。

 その上に羽織らせて頂いている着物用のコートも、実にいい丈で、ほかの人には丈はともかく腕が長すぎるだろう。


 これでは、仕方がない。


「ありがとうございます、先生、由都ちゃん、店長さん。こちら、ありがたく頂戴いたします」


「それじゃあ、当日はそれを着用かな。土岐さんはご実家から?」


「マンションに車で戻り、そちらからの予定です。実家の母の車を借りて練習しています。もちろん、保険は家族用ですから大丈夫です」

「素敵な車だね、きっと」

 

「ありがとう、由都ちゃん。とてもいい車なだよ。そうでした、伊勢原先生、今後の家庭教師代はこちらで相殺なさってくださいね、お願いします。指定校推薦の合格は、私の指導よりも、由都ちゃんの頑張りが第一でした。今後は、学習よりも大学の授業内容の説明などがメインですし」

 これだけは、守って頂かないと。


「みさきのおかげ、はかなりありますよ」

 由都ちゃん、嬉しいけど今は……。


「まあ、それはそれとして。じゃあ、土岐さんは現地集合だね。タクシーではなく、車でかな?」

 それはそれ、ではないです、伊勢原先生。


 多分、これ以上はここでは会話が進まないだろうな。

 一応、お伝えはした。それが重要だ。


 もともと母の車を借りる予定ではあったけれど、この衣装で公共交通機関を使うのは、無理があると思う。クリスマスイブとはいえ、かなり目立つ。

 電車に乗ったら、きっと、一人だけハロウィン仕様だ。


 「そうですね、自分で運転して伺いたいです」


 自分でも、子どもな思考だと思っているけれど。

 私も運転は上手なほうです、というところをお見せしたいなあ、とは思ってはいたのだ。もちろん、しずるさんに。


 伊勢原先生……京さんのようにとはいかなくても。

 今のところ、母からのお墨付きをもらえるくらいには乗りこなせているのだ。

 


「じゃあ、クリスマスパーティーのしずのエスコートは土岐さんにお願いしようか。着物のしずも、とても素敵だからね。店長、伝えたとおり、気の置けない方々のお店でのパーティーだよ」

「いいこと言うね、お父さん!」

「しずる様のエスコートですね。土岐様、そのようなパーティーでしたら、こちらの着物コートを合わせて頂きましても、よろしいかと存じますよ」


 母の愛車のことを考えていたら、いつの間にか、すごい話になっていた。


 しずるさんをエスコート。しかも、着物を召されたしずるさん。いや、お着物だということは、知っていたけれど。


 さすがに、エスコート役は伊勢原先生だと思っていたから。


 それなら、私も着物のほうがいいのか? 

 自分でも、一応は着られるけれど……。


 待って、さすがにこのタキシードに並ぶような着物なんて持っていないし、そもそも、着物だと運転ができない。

 正確には、運転はできるけれど、練習中の母の愛車では、さすがにまだ厳しいものがある。


 あ、そうか、由都ちゃん、伊勢原先生。

 だから、タキシードだったのか!


 やられた。全部、想定されていたんだ。


 ……ああ、この二人はやっぱり、親子だ。

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