第99話 [家庭教師 土岐みさき]幕間・浮かぶ満月、真夜中の空。(2)

 それからはタキシードと着物コートなどに加えて、小物なども一式試着させてもらった。

 そのあとは私には分からないが微妙らしいラインなどを修正して頂くことになった。


 由都ちゃんは、「みさきさんが動きやすいように、でも、シルエットはきれいにしてほしいです。お母さんをエスコートしながら、不測の事態に備えてもらうの!」と朗らかだった。

 私はそれを、不測の事態とはなんだろう。外敵かな。それなら絶対に許さないから安心してほしいな、と思いながら聞いていた。

 まあ、由都ちゃんが幸せそうな笑顔を見せてくれることは嬉しい。

 あの子の笑顔は、とてもかわいい。


 そんなあれこれが終わり、皆さんに精一杯のお礼を伝え、実家へと戻る。


 「おつかれさま。お茶は冷茶にしたわよ」

 冷やした緑茶と、お取り寄せの品のお饅頭。

 適度な冷たさと、苦さ。それに、ざらりととろけていく焦がしたざらめの味。


 ああ、おいしい。

 私も、こういう心遣いができる人になりたい。


 そう口に出すのは気恥ずかしい。そもそも、見透かされていそうな気もする。


 だから、母には衣装のことを色々と話してみることにした。

 もちろん、測ってもらったようにぴったりだった寸法のことも。


 すると、「一人暮らしで少し痩せたみたいだけど、それなりに体は作れていて安心したわ」と笑われた。


 やはり、母からの情報だったのだ。


「シャツ、ありがとうね」

 ウイングカラーシャツ。

 実際、助かった、以外にはないくらいにありがたかった。


「役立ったみたいね」

 母の笑顔。

 やっぱり、シャツだけへの謝意ではないことは、ばれているみたいだ。


 その後、わざわざ実家まで店長さん自ら届けにいらして下さることになった。かなりの急ぎのお仕事だったのではないだろうか。


「そのあたりは、みさきがきちんとその服を着こなして恩をお返ししなさいね」

 ジムの仕事は有給を取り、きちんと着物を着て店長さんを迎えてくれた母。


 その母に、「きちんと手入れをして、この服たちにふさわしい人でありなさい」と励ましか重圧か分からないことを言われ、大学は必要ならオンライン、あとは運転練習と実家の家事手伝いなどをしていたら、あっという間にマンションに戻る日になっていた。



「行ってらっしゃい。駐車場はしばらく借りられるから、無理に車を返しに来なくてもいいわよ。それよりも、皆さんに、そして、しずるさんにはくれぐれもよろしくね」


 先達庵さんへのたくさんの手土産と、あたたかな送り出し。


 「ありがとう」

 心の中では何回伝えたかも分からないお礼を口にして、母の愛車のキーを借りる。


 ついに、今日。

 そう、クリスマスイブだ。


 クリスマスイブの車道は、意外なほどに空いていた。

 実家からならともかく、一人暮らしのマンションからなら、さほど距離もない。


 母の愛車、アウデイのハンドルには慣れたし、シートも心地よい。

 多少の渋滞も想定していたけれど、これなら多分、大丈夫だ。


 あとは、このタキシードと、着物コート。

 この服たちに、私が負けていないといいのだけれども。


「やっぱり、さすがは伊勢原先生。早めにいらしているか」


 開始時間の10分前到着。

 ナビの指示する道が通行止めだったこともあって、予想よりは遅れてしまった。


 助手席に置いて、念のためにシートベルトも幅広いセレクトの赤のワインバッグは二本入りのものだ。

 百貨店での買い物で、母と共に選んだうちの一つ。クリスマスプレゼントとして、先達庵のお二人に気に入って頂けたら嬉しい。

 片方の手でドアと車のキーを……緊張して、手からキーが落ちそうだ。

 百貨店と呼ぶのは、母の影響。そうだ、影響と言えば、運転技術。

 余裕のある場所に、位置も悪くはなく駐車できたと思う。


 それなりに上手いと思っているけれど、しずるさんや先生がご覧になって、どう思われただろうか。

 お二人の大切な由都ちゃんを乗車させてもいいかも、と思って頂けるくらいになりたい。


 なんて。

 そんなことは表には出さずに、落ち着いたふりをして、言うべきことを。


「お着物のしずるさんをエスコートする大役を任せて頂いたのに、着物ではなくてすみません。伊勢原先生、由都ちゃん、コート、本当にありがとうございます。着心地も素晴らしいです。そして、このタキシード。この青色、ミッドナイトブルー?いいですよね。私だと、黒色しか思いつかなかったです」

 何度も練習した言葉。

 とにかく、わざとらしくないように。

 そして、タキシードは黒くらいしか思い浮かばなかった。これは、ほんとうのこと。

 あのお店で見て、この色なら、伊勢原先生と並んでも、少しだったらしずるさんに私を見て頂けるかも、なんて考えたくらいに。


「さすがに、この車を着物で運転するのは自信がなくて。でも、この着物用のコートは着たかったんです。タキシードの素敵な配色は、ほんとうに、衣装の相談にのってくれた由都ちゃんと伊勢原先生のおかげです。素晴らしいボーナスを頂いてしまいました」

「どういたしまして! みさきさん、かっこいい!」


「本当に素敵。京さんもすぐに戻りますからね」


「ありがとう。由都ちゃん、いつもかわいらしいけれど、今日はまたさらにかわいらしいよ。しずるさん、とてもお似合い……で……あれ? その……」

 ねえ、由都ちゃん。

 なにかな、その輝くばかりのかわいらしい笑顔は。


 知ってたんだよね?


 この着物コートが、しずるさんとお揃いだってことを。


「そうね、由都も京さんも、とても素晴らしい服を選んでくれて。素敵よ、みさきさん。お揃いのコート、嬉しいわ」


 やられた。


 今日は、今日こそは。


 最初から最後まで、凛々しくてかっこいい土岐みさきでいたかったのに。


 多分、私の顔は相当に緩んでいるだろう。


 しずるさん、その笑顔は、反則です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る