第6話 その子はピアニスト

 彩音あやねはもう一度雑誌の写真を見る。

「いつ会ったの?」

「小さい頃あなたが出場したコンクールで彼の演奏を聴いたのよ」

彩音ははっきりとは思い出せなかったが、そんなことがあったという記憶が甦ってきた。

「そうなの、あの時の男の子なの」

「そうよ」

「カッコよかったのは覚えてる。この人なんだ」

しばらく雑誌の写真に見入る彩音。


「私と年が一緒なのよね。プロのピアニストになるのか。なんだか私とは別世界に住む人ね。毎日どんな生活してるんだろう。憧れちゃうな。王子様みたいで」


 目を輝かせて写真を見る彩音に、玲子はどう話したらいいのか、わからなかった。

「でも大変みたいよ彼。近々、転校するらしいの」

「へ?」

なんだか間の抜けた返事をする彩音。


「ん?」

『まずかったかな?』と自分の言葉を思い返す玲子。


「いや、私が『全国コンクール金賞受賞』『王子様みたいな人』って話してるのに『転校』って、急に近所の子みたいな話になったから」

「ああ、その子、お母さんの友達の子なの」


「えー!」

彩音は驚いた。


「じゃあ、サインとかもらえるの?」

「サイン?」

大きく頷く彩音。

「名前を書いてもらえばいいの?」

「え、まあ、名前といえば、名前だけど『彩音ちゃんへ』みたいな感じ」

「それは頼めば名前ぐらい書いてくれるんじゃない」

「ええ! サインもらってよ。今度、お母さんの友達に会うことがあったら」


 玲子は『今日会ったのだけど、しかも、さっきまで、この家に来てたのだけど、さらに、その子、うちで預かるんだけど』と思ったが、言葉に詰まってしまった。


 彩音は憧れの王子様を見るような眼差しで雑誌のなかの彼を見ている。

「彼、なかなかイケメンじゃない? それと小さい頃のイメージでは、ちょっと物静かな感じだったけど、今もそんな感じかな?」

「まあ、お母さんと仲いいみたいだから、いい子だと思うよ」

「お母さんはピアノ弾ける人なの?」

「なに言ってるの。ピアニストの澤井美和子よ」

「聞いたことある。お父さんは?」

「指揮者よ。海外にいるけど」

「神だな」

「なに?」

「いや、こっち話。神で王子様ってことよ。尊いよ~」

彩音は雑誌に見入っている。


「あなたもピアノの練習しないと呆れられるわよ」

「なんで?」

「いや、ほら、神様の王子様なんでしょ。きっと空から見てるんじゃない」

「そうね。いつか会えるかもしれないから練習しとこ」


 どんどん自分の『憧れの王子様の世界』に入っていく彩音を見て、話せば話すほど『彼がこの家に来ること』を言い出しにくくなる玲子だった。


 結局、その日は言えないまま終わったが、彩音が彼に対して、これほど好意を持っていることに玲子も隆も驚いた。

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