求める世界

三鹿ショート

求める世界

 私が警備員としてこの建物で勤務していることは、明かされてはならないらしい。

 だが、それは私の仕事が重要なのではなく、建物の内部で行われていることの方が公になってはならないものであるからだ。

 しかし、私はこの建物で何が行われているのかをまるで知らない。

 それは私だけではなく、私よりも数年は長く勤務している彼女も知らないらしい。

 当然ながら好奇心や疑問によって、彼女にその話題を何度か提示したことがあったが、どうでもいいと一蹴された。

 自身の力のみで知ろうにも、それには限界があった。

 建物内の廊下は自由に行き来することができるが、全ての部屋には鍵がかけられ、内部を確認することは不可能だった。

 無人の廊下を行き来するだけで、日々が過ぎていく。

 仕事はこの上なく楽だが、給料はそれに反して見たことがない額だった。

 一体、何処の人間がこの建物を所有し、どのような目的で使用しているのか、気になって仕方が無いが、その疑問が解消される機会が訪れることはなかった。


***


 警備員の事務所は、私と彼女が入るだけで精一杯というほどに手狭であるが、文句は無かった。

 仕事の容易さと給料を考えれば、これ以上は無い職場である。

 藪をつついて蛇に襲われるようなことをしなければ、私の生活は安泰だった。

「きみは、今の生活を幸福だと感じますか」

 次の巡回時間までは特段やるべきこともないため、事務所で無為に過ごすことがほとんどだった。

 そのような中で、彼女は時折、私に話しかけてくる。

 会話の内容はいずれも当たり障りの無いようなものばかりだったが、今日の言葉は、常と異なっているような印象を覚えた。

 私を見る彼女の目は真剣そのものだが、彼女がそれ以外の目つきをしているところを見たことはない。

 気圧されるような感覚に陥りながらも、私は彼女に答えた。

「仕事は楽であり、給料の額も考えると、他者よりは幸福だと思います」

 その言葉に、彼女は首を左右に振った。

「そういう意味ではありません。好意を抱いている人間と同じ時間を共有していることに喜びを見出すなど、そういった意味です」

 私は、特定の相手と交際関係に至っているわけではない。

 これといった趣味もなく、食事も生きることが出来ればそれでいいとだけ考えているため、彼女が例えたような幸福は、私の生活の中には存在していなかった。

 己でそう考えたところで、なんとも寂しい人生だと感じた。

 それを伝えると、彼女は遠い目をしながら、

「今の私には存在していませんが、取り戻すことができるのならば、私は何でもするでしょうね」

 彼女と知り合ったのは、深夜の公園だった。

 これといった人生の目的も無い私は、時折、公園の長椅子に座りながら意味もなく夜空を眺めていた。

 己が生きている意味を考えては思いつかず、かといって絶望するわけでもないということを何度も繰り返していると、不意に彼女が共に仕事をしないかと誘ってきたのである。

 いつの間にか隣に座っていた彼女には、表情というものがなかった。

 見ず知らずの人間からそのような誘いを受けるなど、怪しいにもほどがあった。

 だが、当時の職場にも飽きており、何が起きたとしても自己責任であり、悲しむ人間が皆無であることも手伝って、私は彼女の誘いに乗ることにした。

 だからこそ、私は彼女のことをほとんど知らない。

 彼女がどのような過去を持っているのか、気にならないと言えば嘘になるが、尋ねたところで真面な返答があるとは思っていない。

 しかし、彼女が浮かべた寂しげな表情を見ていると、尋ねずにはいられなくなった。

 ゆえに、その疑問を口にしたが、予想通りというべきか、彼女は何も答えなかった。


***


 ある日を境に、彼女は姿を見せなくなった。

 私生活で何かが起きたのか、理由は定かではない。

 欠員を補充するための人間を連れてやってきた上役に尋ねたが、彼が発した言葉は、彼女にまつわることではなかった。

「この建物の内部で、巡回以外の余計なことをしてはならない」

 それだけ告げると、上役は姿を消した。

 彼女のことが気になりながらも、仕事を教えるために、私は新たな警備員を連れて、巡回に出ることにした。


***


 彼女が姿を消して数ヶ月が経過した頃、私は異常事態に直面した。

 常に閉じられているはずの部屋の扉が、開いていたのである。

 そのような場合は即座に上役に連絡をする決まりになっているが、私は通信機器を手にしたまま、立ち尽くした。

 この機会を逃せば、二度と部屋の内部を目にすることは叶わないのではないか。

 好奇心に背中を押された結果、私は部屋の中へと入った。

 その部屋では、一人の男性が倒れていた。

 老齢の男性以外に部屋の内部に存在しているものといえば、四角い機械と、その機械に刺さった細長い線で、その線は、男性が被っている帽子のようなものに繋がっていた。

 男性は笑顔を浮かべているが、動く様子が全く無い。

 確認すると、どうやら生命活動を終えているらしかった。

 寿命が尽きたのか、もしくは男性の帽子と繋がっている機械によるものなのか、理由は判然としない。

 入室を禁止されていたにも関わらず実行してしまったことが影響したのだろう、私は通信機器を放り投げると、男性が被っていた帽子を外し、自らの頭部に載せた。

 もはや、何を行ったところで、私はこの建物から去らなければならない。

 それならば、追い出される前に好き勝手に行動した方が得策だろう。

 そんなことを考えていると、目の前の景色が一瞬にして変化した。

 見覚えのあるその場所は、幼少の時分に住んでいた家である。

 自宅から数歩離れた場所から懐かしむように眺めていると、家の中から一人の女性が出てきた。

 その人物は、今は亡き我が母親である。

 母親は、まるで子どもに話しかけるように、私を自宅の中に誘った。

 家の中に消えていく背中を眺めているうちに、私の視線の位置が子どものそれと同等になっていることに気が付いた。

 そのとき、私は自身が警備していた建物で何が行われていたのかを想像することができた。

 おそらく、室内に置かれていた機械が記憶を読み取り、その人物が最も幸福だった時代の世界を体験させてくれるのではないか。

 そのような発明は、生きている中で耳にしたことがない。

 裕福な人間たちが私財を投じて極秘に研究を進め、生み出された機械を利用し、己が幸福だった出来事を改めて体験しているのではないか。

 そう考えると、建物の秘密や給料の良さなどにも納得することができる。

 だが、そのようなことに気が付いたところで、何の役にも立たない。

 失ったゆえに求めていた世界を再び目にすることができたために、この場所から去るわけにはいかないのだ。

 私は少年に戻った気分で、家の中へと向かう。

 おそらく、彼女もまた、同じように幸福を体験しているのだろうと考えながら。

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