後編 契約締結

 フクロウカフェに来てからも、彼は自分の性質を隠して静かに過ごした。カフェにかわるがわる見知らぬ人間がやってきて自分を眺めて行く光景は最初こそ新鮮だったものの、「わー、かわいい!」と嬌声をあげたかと思えば、彼の左目の怪我に気づいて「えー、かわいそう!」と勝手に憐れみを吐いて去っていく人間たちに、彼は次第にうんざりしていった。そう時間が経たないうちに、彼は餌をもらえそうな瞬間以外は目を閉じて、毎日をやり過ごすようになっていた。


 ある日のこと、一組の親子が店にやってきた。親子はテーブル席で注文した飲み物を受け取ると、一緒に店内を回り始めた。いよいよ子供が彼を見つけて勇み足でずんずんと近づいてくるのを察知して、彼はいつもの通りにすぐ目を閉じたが、子供がすかさず「このフクロウさん、目を怪我してる!」と指を差してきた。子供の母親は「鳥さんがびっくりしちゃうから、そっと見守ってあげようね」と子供の指を両手で包み、子供とともに彼の顔を静かにのぞき込んでいる。それから彼女は「この鳥さんは角があるからフクロウさんじゃなくてミミズクさんだね」と子供に語りかけた。彼は薄目でその様子を見ていたが、二人の様子が気になり、目をゆっくりと大きく開けて彼女らを見返した。

 (まんまるで大きい目だね)と子供が囁く。彼女も(ホントだね)と応えて、こちらをじっと観察している。彼が珍しくお客に反応している様子を見つけた店員が「大人の方でしたら肩に乗せることもできますが、いかがですか?」と話しかけると、彼女は少し驚きながらも「じゃあ、お願いします」と応えた。店員の手を伝って、彼は彼女の左肩に足をのせると、彼女の身体が少しこわばっているのが足から伝わってくる。両足をしっかりと彼女の肩に乗せると、彼女は自らの肩につかまった彼にゆっくりと顔を向け、「思ったより軽いんですね」と言葉を漏らした。彼はゆっくりと瞬きをしてから、視線を彼女から窓の外へ逸らした。彼にとって人の肩に乗る感覚はずいぶん久しぶりだった。いまつかんでいる肩は、なじみの肩よりもずっと薄く、華奢で、かぎづめに力が入り過ぎてはいないかと彼は気を遣った。

 子供はフクロウたちを一周し終えて興味を失ったのか、いつの間にか部屋の片隅から絵本を持ってきて「ママぁ、本を読んで」と彼女の服の裾をひいている。彼女は「はいはい」と、彼を肩に乗せたまま、そろりそろりと近くの席にすわってから絵本を読み始めた。彼女が穏やかな声で物語を進めるにつれて、彼はかつての山小屋の暖炉、猟師の息づかい、羽角をなでる手を思い出していた。彼女が本を読み終えた時、子供は彼女の膝に頬を寄せて、目には少しまどろみが混じっていた。彼女は絵本を閉じるとそんな子供の頭をなでて、「そろそろ帰ろうか。絵本を戻しておいで。」と子供に絵本を渡した。子供は「はぁい」と気の抜けた返事をして、とぼとぼと本棚へと向かう。彼は長い瞬きをしてから、彼女に顔を向け「もっとほんを…よんでほしい…」とこぼした。彼の口からでた言葉を聞いた彼女は目を見開いて束の間硬直したが、さっきより潤んだ彼の目元に気づき「…どんな本がいいかな?」と応えた。そしてその瞬間、彼女は彼を身請けすることを決意した。彼女はなにかと話が早い人物であり、なにより思い切りの良い人物であった。



 それから数日をかけ、彼女は正式にフクロウカフェから彼を引き取る手続きを済ませた。彼女が彼を引き受けたその帰り道で、近所の獣医に彼の左目の傷を診てもらったところ、瞼の開閉ができないだけで、目そのものは機能していることが分かった。そして、その獣医の手により、瞼の筋肉が周囲と器用に連結されたことで、ぎこちないながらも左目が使えるようになった。ただ過去の傷の名残で目の色は黄色くにごり、涙が時折溢れ出るのは諦めざるを得なかった。彼女の元で暮らし始めてから、彼が元来持っていた知的好奇心がむくむくと頭角を表し、彼女が子供に読み聞かせる絵本にとどまらず、様々な本を彼女に読んでもらい、言葉と知識を日ごとに吸収していった。それから彼も彼女に、雪山で自分を拾ってくれた猟師のこと、その人のおかげで話せるようになったこと、猟師がいなくなってフクロウカフェに流れ着いたことなどを話した。話を聞いた彼女はいつもと変わらぬ声色で「なかなかドラマチックな話だねぇ」と応えた。それから「君みたいなドラマチックなミミズクには、それにふさわしい名前が必要だよ」と、その猟師の名前と、彼の本好きにちなんで「R.B.ブッコロー」という名前を彼に付けたのである。



 彼女の家ではブッコローはフクロウカフェの頃のように紐でつながれることもなく、家からでることを制限されているわけでもなかったが、ブッコローは彼女の家の中で過ごすのが常であった。彼女の家は神奈川の高台の住宅街にあり、自然からはほど遠い環境ではあったが、富士山がよく見える場所にあった。

 ある良く晴れた冬の日、めずらしく家で仕事をしている彼女と、ブッコローのふたりだけがリビングにいた。彼女のキーボードをたたく音が、不均一にパチパチと音を立てるなか、ブッコローはすっかり定位置となった窓際の止まり木から、雪で真っ白になった富士山をじっと眺めていた。

 冬の短い陽が落ち始めたころ、彼女は動かし続けていた手を止めて背伸びをした。その際、ブッコローが外を眺めている姿が目の端に留まった。いまでは一丁前に際どいユーモアまでを使いこなすようになったブッコローが、今日はずいぶん静かにしている。彼女は冷めてしまったコーヒーカップを手にもってブッコローの横に座った。コーヒーを口に含みながらブッコローの視線の先に目を向けると、普段より輪郭がくっきりとした富士山がそびえていた。彼女はコーヒーを飲み込んでから、いつもと変わらぬ声色に努めて「いつでも、好きなところに行っていいんだよ」と口にした。

 ブッコローは富士山を見つめたまま、少しの間、沈黙を続けた。そしてゆっくり目を閉じて、「俺は…俺の命は、いろいろな人間の手に救われてきて、ここにいるんだと思ってる。あんなに真っ白な富士山を、この場所から、この二つの目で見られるのもあんたのおかげだ。だから俺の人生、いや鳥生は、あんたに預けたつもりでいるんだ。でもあんたには責任とか、そういうのは感じないでほしい。これは俺が勝手に決めた事だから。ただ、預けるのはあくまで左目の分だけ。残りの分は、存分に勝手にさせてもらうさ。」と独り言のようにつぶやいた。彼女は「そっか」とだけ応え、残りのコーヒーを飲み干した。コップが空になったことを確かめてから、「私のことは気にせず存分に勝手にしてもらっていいけれど、くれぐれも下ネタは禁止でお願いね。」と言い添えて立ち上がり、また仕事にもどっていった。



 それから数ヶ月が経ち新しい年度が始まった頃、彼女はなにかと話が早い人物であるがゆえに、社長の思い付きでバズるYoutube企画プロジェクトをやってみないかと持ちかけられた。彼女はITのことはよくわからないし、なんだか雑な企画だなぁとも思ったけれど、持ち前の思い切りの良さをそこでも発揮して、その場でその企画を引き受けることにした。そして家に帰るや否や、ブッコローに「あなたの人生を半分預かった私からお願いがあるんだけど、きいてもらえるかな?」と持ち掛けた。

 そうして始まったYoutube企画だが、その詳細はここで語るべくもない。いまでは収録直前になると、彼女が銀の盾を丁寧に磨きながら「今日も下ネタは無しでお願いします」とブッコローに釘を刺すのが現場での決まり事になっている。ブッコローはその決まり文句を聴くたびに「ちょっとは勝手にさせてくんねぇかなぁ」とぼやき、今日も左目のあたりをぬぐってから収録をはじめるのだった。

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フクロウカフェのミミズクは今日も契約満了できない 海 洋 @UmiHiroshi

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