第十四章 血塗られたチャンクと翡翠の目
ダンチョーが突然、ブルッと身震いした。武者震いなのか、寒さなのか、恐怖を感じたのか、どれだろう。でも、地震や雷みたいな、不吉なことが起きるときは、人間よりも動物の方が早く感知するのだから、やはり恐怖なのだろう。
一歩、また一歩、殺神に近づいている。そしてそれは、わたしのこの目の秘密に近づいていることでもある。
急に身体の芯から冷え始めた。ウロンゴロンにやられた左肩も痛む。ザックから、グラウンドタウンで仕立ててもらった、羽毛のフワフワのマフラーを首元に巻いた。
遠く、五百メートルほど先に、岩場の中でもしっかりと目立つ塔が見える。
あんなボロボロの塔がチャンク城なのだろうか。でも、ダンチョーの身震いの理由が、段々と近づいてくるあの塔だとうっすらと分かってきて、そうなのだろう、と、気を引き締めた。
塔に近づいたけど、ここはかつて城下町だった、と言われてもひとつも信じられないほど、都の名残は一切なかった。
岩場から景色は変わらず、白い岩が広がり、ポツンと塔が残っているだけだ。白を基調としたレンガ調の塔は、岩陰が多いこの一帯からだと見落としてしまいそうなくらいにこの風景に溶け込んでいる。やはり、ここは城じゃない気がする。
岩陰が多いからそこまでの心配はいらないものの、このあたりで唯一高いあの塔からだと、弓矢の格好の餌食になりそうだ。さすがに、この場所は遠すぎると思うけど。
そういえば父さんが一度、
「学校で弓矢を習ったか。サーヤのおじいちゃんは、弓矢の名手だったよ。百メートルどころか、もっと長い距離を鋭く撃てた。サーヤにもその才能があるといいね」
と言っていたことがある。もし、仮に、そのおじいちゃんの弓矢の才能のルーツが、この土地にあったとすれば。そうだとしたら、おじいちゃんはチャンクの生き残りってこと?
いや、考えるのはよそう。大体、男だ女だみたいに、生まれたときに決まっているもので色々言われるのを嫌っているのに、今度は民族の話だなんて。。
ダンチョーは、先ほどまで震えていたとは思えないほど、急にタッタカと先を行ってしまった。
とくに岩陰に誰かが潜んでいる様子はなかった。塔からの襲撃もまだない。ダンチョーを見失わないようついていった。
五分もしないうちに、塔の目の前までやってきた。すぐに、ダンチョーが自分から塔にピョンと入っていってしまった。その方が安全なのかな。わたしも、冷えるというよりも寒くなってきたので、さっさと入ろうと思った。
でも、その一歩を踏み出すのをためらった。どこからか、生臭い鼻につく嫌なにおいがした。どこだろうか。警戒しながら、崩壊した建物のガレキを進むと、塔の反対側に出た。
「なに、これ」
臭いの正体は、無数の死体だった。五十人、いや百人近くいるのではないか。
思わず腕で鼻をふさいだ。目もそむけたくなったけど、もしこれが殺神の痕跡なのだとしたら、目をつむっている場合じゃない。薄目で、眉間に力を入れながら、ゆっくりと見渡した。
この鎧、服は、トラディーの隊員だ。
比較的きれいな死体は、矢が上半身にぶっ刺さったものが多い。そうじゃないものは、腕が吹っ飛んでいたり、足が散らばったりしている。切り傷も見えるけど、腕も足も、切り落とされた感じじゃない。
飛び散り方が、もしかしたら、この塔の上から突き落とされたのではないかと思うくらいに、波状になっていた。それに、肉片がぐちゃぐちゃだ。
あまりに凄惨な光景だ。でも、吐き気や嫌悪感よりも、それから恐怖よりも、集中が勝った。すぐ近くに殺神がいる、ここがチャンク城だ、と改めて確信したことが、わたしを退かせずに、踏ん張らせた。もう一度塔の反対側にまわって、ダンチョーが入っていった門をくぐった。
中は暗いが、ほこりっぽくはなかった。
外観の通り筒状のこの建物は、中から見ても変わらず簡素な造りだった。ぽかんと開いた空洞のような塔の内側を沿うように、ずっと上まで続いている螺旋階段くらいしか、内装で目立つものがない。
ここを上っていけ、ということは何の説明がなくても察しがついた。階段に足をかけた。
ダンチョーは、ちょっとだけ前をピョンピョンと進んでいる。時々止まることもあった。あまり乗り気ではないのか、あるいは殺神と戦闘になったときに、勝ち目がないと思っているのだろうか。勝てない勝負はしない主義なのかな。
「不意打ちで殺しに来る、っていうなら、とっくに殺されているよ。殺さない理由があるんだよ」
おそらく目の前で会うまでは殺されない、という自信があった。
それに、これまで何度もあったピンチも、ゼロ距離の超接近戦になれば、この体一つでなんとか切り抜けてきた。そこまで近づくことができれば、なんとかチャンスがあるかもしれない。そんな自信まで湧いてきた。
そこまで近づくことは命の危険も大きいはずなのに、精神は昂っていた。相手は負傷していたとはいえ、ウロンゴロンという、団長に勝利したのだ。おごり、昂ぶりもわたしの背中を押した。
階段を上るにつれて、かすかだけど、血の臭いがし始めた。でも、少なからず階段にはひとつも死体や交戦のあとはない。ダンチョーは一歩一歩慎重になっている。
階段を登り切った先は、ドアもなく大きな部屋になっていた。窓際には、何百もの矢が樽に入れられている。やはりここから塔の下を狙うこともあるのだろう。
部屋の真ん中に、はしごがかかっている。手をかけると、木製のようだ。見上げると、天井にちょうど人が二人くらいは通れるくらいの穴があいている。ここが一番上の階層だとすると、雨漏りどころか、雨が直接部屋に入ってきてしまう。なんで蓋をしていないのか。
それはつまり、今、意図的にここを開けているということだ。
まるで気配はしないけど、この上で、殺神が待ち構えている。
集中どころだ。
「ダンチョー、行くよ」
片手で上るのは難儀で、ダンチョーも、真上につづくはしごはさすがに上りづらそうで、マントのフードに入れて上った。
上りきったところで、穴の外に向けて、ほんの少し、ソードを上に突き出した。何も反応がない。姿が見えた瞬間に攻撃をしてくるということでもなさそうだ。
ええい、勢いだ。ダンチョーと同時に、ひょいと頭を出した。
「そのまま振り向くなよ」
頭の後ろから声がした。あぁ、逆を向いて出れば良かった。二択を外した。
「旅人と犬か? いったい何の目的だ? だれの指図だ? 殺すのはそれを聞いてからだからな。まずは、振り向かずに、そのままゆっくり上ってこい」
声は低く重いが、女性の声のようだ。いや、姿が分からないからなんとも言えないけど。
「よし、そのまま両手をあげろ。肘から先だけでいい。犬にも動かないように命令しておけ」
「左手が、けがで」
「まったく上がらないことはないだろう。じゃあ左手は首の後ろにあてろ」
どのタイミングで、攻撃をしてくるのか。慎重に、刺激しないように、言われた通りにした。
「いいか、余計なことを話せば殺すからな。誰だお前は」
「サーヤ。ベル・サーヤ」
「名前じゃなくてな。まぁ、なんだ。答えやすいように聞いてやる。
なんのためにここに来た」
いきなり殺さなかったことも、そして今も攻撃してこなかったことからも、わたしから何かしらの情報を引き出すまでは危害を加えないことは何となくわかった。
そういうことなら。
わたしとしては、なんとかここから生還して、ほんの少しでも、この殺神の情報を持ったまま、アヌボットたちと合流することができれば、一番の成功だ。数的有利な状態で追い詰めて、この目の秘密を聞き出せばいい。
ここは一旦、解放してくれそうな、もっともらしい嘘をつくしかない。
「パディントン様に、その、えっと」
「大丈夫だ、見境なく殺すわけじゃない、ゆっくり話せ」
ありがとうね、顔もまだ見ぬ殺神さん。慌てる弱そうな人間に強く出てこない、そんな甘いところは、利用させてもらうよ。
「パディントンか。なるほど、偵察か。旅人を使うなんて、いよいよトラディーも人不足か」
賢い人は、少しだけ話せば、勝手に推測して納得してしまう。パディントンと同じだ。よし、そのストーリー通りに、納得しそうな話をして、切り抜けよう。
「殺神偵察は合っているけど、わたしは旅人じゃない。パディントン軍の隊員だ。
わたしが帰らなければ、そのときは開戦になる。あなたたちが何人でこの虐殺行為を働いているのかは知らないけど、わたしがまだあなたの手札の全貌を知らない状態で、さっさとわたしを解放してしまう方が得策。
軍隊が大挙してやってくれば、被害は相当でしょう」
「脅す気か。これは驚いた」
ダンチョーも、足元で一歩も動かずに待機している。ダンチョーの素早さでさえ、タックルをしかける前に、殺神のスピードに勝てるかどうか判断しかねているのかもしれない。
「帰ってこなかったら、か。殺人鬼の偵察に行かせて、帰ってくるって考えているほうがおめでたいぜ。どんな作戦かは知らないが、お前、捨て駒にされたんじゃないか。お前がここでどうなろうが、動かんと思うぜ」
思ったより反応が悪い。でも、語りぶりからは、今すぐぶっ殺してやるからな、みたいな、殺人鬼めいた凄みは感じない。
ダメ元で、顔だけ、ほんの少し動かして振り向いた。手を動かさなければ、そこまでの刺激にならないはずだ。
「おい、その目の色!」
視界の端っこで、やっと殺神の姿を捉えた。
黒いフード、いやマントで全身を包んでいる。烏のような風貌だ。性別どころか年齢もよく分からない。でも、わたしの目を見て、どんどん近づいてきた。
正対して見えた彼女の目は、父さんの目より、もっと澄んでいる翡翠色だ。
いや、今はそれよりも、わたしの目を見て近づいてきている状況を素早く判断しないといけない。
もしまだ話す余地がありそうなら、情報を引き出すチャンスだ。いや、でもでも、これは彼女をぶっ飛ばすチャンスだ。左手は動かない。右手だ。この旅で知ったわたしの一番の武器であるゼロ距離肉弾戦の一撃に賭けるしかない。物理的に有利に立てば、情報も引き出しやすいかもしれない。
「その目、おいおい、そうか、そうか。名乗っていなかったな。
わたしはクイズランドだ。どうだ、知っているだろう」
「クイズランド? あなたの名前?」
「無自覚なのか、きみは。いや、いい。生き残りがまだいたなんてな。そうかそうか。
よし、これも縁だ。あぁ、手も下げていい。こっちを向いて」
声から威圧感がなくなった。いやむしろ、親しみが込められている。
「ちゃんと教えてあげるよ、きみのルーツを」
◆
クイズランド、と名乗った彼女は、にっこりと笑って親しみを全面に出した。
「チャンク城のさらに南、氷地を越えた、つまり海を越えたあたりの群島を、サザンクロスというんだが」
そして、サーヤにとって初耳の話を語り始めた。
「わたしも、そしてあんたの祖先も、そのサザンクロス出身だ。
いや、正確な話をしないとね。
この島の原住民だったわたしたちの祖先は、サザンクロスに追いやられたんだ。侵略者たちにね」
軍学校では、トラディー以前の都は、古城・プレインコーストと習う。サーヤは、それよりも古い城がここ氷地にあるとパディントンから聞いていたので、まだ少しは彼女の話を受け入れられた。クイズランドはうなずきながら、この島の歴史を語り始めた。
かつて、このチャンク城のあたりが栄えていたのは本当のようだ。
アウスリア全土がまだまだ未開の地で、ここチャンクでは、王政をひいて、漁業と狩猟で生活が成り立っていた。三百人程度ではあったものの、この島では一番人が集まっていた。
チャンクは島の南端にあった。アウスリアは南半球にある島なので、南であればあるほど寒さが厳しくなる。
冬以外はずっと夏のように寒く、首都となるには立地的に厳しかった。とくに夏には狂ったように寒くなるため、夏が近づくと、今のプレインコーストまで移動をして、数か月経つとまたチャンクへ戻っていった。そんな面倒なことがあっても、彼らは愛着のあるチャンクを手放すことはなかった。
そんな行き来を百年近く続けるなかで、付近で自然発生していた小さな村々と、ときに友好関係を築き、ときに交戦する中で、チャンクは確実にこの島の中心になりつつあった。
転機は今から二百年前。
プレインコーストに小さな船が難破してきた。サツシマよりももっとずっと遠い国からだった。新大陸を求めていた彼らであったが、チャンクの人々が開拓したプレインコーストの町に受け入れられて、そのまま居住することになった。
その噂を聞きつけ、この島を統治するのはわたしたちだ、と、当然チャンクから軍勢が出動した。だが漂流した彼らは、友好関係や交易を強調した。
言語の壁を越えるために長時間話し合ったという事実は、彼らの友好関係を確かに深めた。
チャンクとしても、軍勢を持たない彼らはさほど脅威ではなく、むしろ夏場数か月しかいないプレインコーストを、年間を通してどうやって統治していくかということは悩みの種であったため、新大陸を求めていた彼らに、プレインコーストの港の開発を認めた。
彼らは懸命に港を開発し、元の国へも応援を要請して、プレインコーストを大いに栄えさせた。そうなると、一年のうち四分の一も住みづらくなるチャンクよりも、人々はプレインを選ぶようになった。
だんだんと、軍制度もプレインに移っていった。最終的には、王族もほとんどがプレインに住むようになっていた。
栄えていくプレインコーストとは対照的に、チャンク城の寒冷化は止まらなかった。
チャンク城のあたりは、段々と一年中夏のように寒くなった。それでも、すべての住人がプレインに移住してしまった、ということは起きなかった。
初めは移り住んだプレインが住みやすかったものの、だんだんと、漂流民たちの国の法律を元にルールが定められていった。プレインの暮らしに適合できない者はチャンクへ出戻りするなど、両者の関係は少しずつ冷えていった。
喧嘩別れをするようにチャンクに戻った彼らは、自分たちこそが正しい、自分たちがこの島の原住民だ、と、チャンク人を名乗り始めた。
一方でプレイン開発に携わった元漂流民の彼らは、自分たちがオリジナルだ、と名乗り始めた。チャンクからすると腹立たしく、逆さまにして『ジリオ人』と呼び始めた。
民族を名称で呼び分けてしまえば、分断は必然だった。
しかし、すでにプレインコーストでは、ジリオたちが五百、いや七百人近く住んでいる一方で、チャンク人はチャンク城下に三百人弱いる程度となっていた。
数年が経ち、サツシマからの漂流者が初めてプレインに現れた。
それは現プレインコースト城の建築が始まるころであった。王は、同じく漂流者たちから始まったこのプレインという地で、また新たに他文化も取り入れることは、文明的で理知的だと感じた。
そうして、サツシマの意匠が取り入れられた城になった。サーヤが見た、ふすまや赤いランプなどの、プレインコーストの内装の異国感は、このときのものだ。
王はそうした他文化を非常に気に入り、そして、野性味のあるチャンク文化を嫌い始めた。当時にしては華美だった城は、城下町も栄えさせ、プレインコーストは町として進化した。
夏になり、チャンク人がプレインに移ってきて、夏が終わって戻るころには、二割ほどがそのままプレインに移り住むことを決めてしまい、手勢が減っていた。
そうしたことが毎年起こり、少しずつ、チャンク人とジリオちとの人数比は圧倒的になり、軋轢も深まっていった。
そうしてまた数年が経ち、最大の事件が起きる年になった。冷てきった島が、ついに大爆発を迎える。
既にチャンクには、百数十人しか残っていなかった。プレインに移り住んだチャンク人たちは五十人ほどいたが、既に結婚し、子供を持っている者もいた。純血のチャンク人は、チャンクにいるその百数十人だけになっていた。
既にこの年には、事態はだんだんと血なまぐさくなっていた。ジリオたちは、プレインに住む単身のチャンク人は、スパイとみなして隠密下で殺害していた。
純血のチャンク人は確実に数を減らしていた。
この年というのは、今から百年前、ちょうどグラウンドタウンができた年である。
プレインも含めたアウスリアの南部に大災害が起きた。異常気象、大寒波であった。
その予兆を感じたジリオたちは、極秘に王を説き伏せ、ついに温暖な東海岸への移住を決めた。夏になるほんの少し前で、今年は寒いな、とチャンクはすでにプレインに移っているころであった。
そして問題が起きた。移住できる順番である。
この頃は、今よりはまだ容易にバンガーズ山脈を越えて東海岸まで到達できた。
すでにジリオたちで構成された軍部により最低限の開発が終わっていて、現在のトラディーの原型はできていた。
とはいえ、道中は未開の地も通るので治安面には心配があるので個々人が容易にたどりつける行程ではなく、かといって移動中の食料の問題もあるので、プレイン、チャンク両城下町の一斉での移動は困難であった。
王族、開拓に参加するプレイン一般民と残りの軍部、残りのプレイン民、そしてやっと、チャンクに残るチャンク人。これがプレインで決まった順番であったが、王も難色を示した。チャンクに住む人たちを不憫に思うのは当然であった。
しかし一方で、ジリオたちは、チャンクの存在はいつか内紛を起こすという危険を感じ取っていた。
いっそ、チャンクはトラディーに移したくない、とまで考えていた。
なかなか話が進まない中、一部のジリオたちしか感じていなかった大寒波の予兆が、段々と一般市民にも感づかれ始めていた。
このままでは、チャンクたちにも感づかれて、画策している移住順番もいつ露呈するか分からない。
ジリオたちは、チャンク城に使者を出した。
「プレイン、チャンクとの軋轢が深くなっている。今一度、手を取り合うべきだが、この二つの城を拠点にし合う以上、歴史は繰り返す可能性がある。
一年を通して過ごしやすい、新しい城、城下町、王都を造ろう。東海岸へ行こう」
そしてジリオたちは、大罪を犯した。
「チャンクを出て、サザンクロスを経由して、南航路から向かってくれ。夏になる前に、さっさと行ってしまおう」
段々と同族が減っていったチャンクたちにとっては、願ったりかなったりの提案だった。城下をひとつに統一できるなら、またやり合える可能性がある、と。
彼らの経験則でも、今の時期に出向すれば、まだ海は荒れない、まだ寒波は来ない、という算段もあった。新天地に向かえるなら、と、喜んで彼らはその舟に次々と乗り込んだ。
そしてサザンクロスを経由した。
サザンクロスを越えて東海岸にたどりついた船は、一隻もなかった。
ジリオたちは、大寒波を利用して、氷海の下にチャンクの歴史を閉じ込めてしまおうとした。
◆
「舟の中には、無茶をせず、かといってチャンクにもプレインにも戻れずに、なんとかサザンクロスの島々で大寒波を凌いだ人たちがいた。
そうして生き残ったのは、たった三十人だ」
彼らは、そこでやっと、ジリオたちに罠にはめられたと分かった。
全滅をはかった罠である以上、生きているということがジリオたちに判明すれば、今度こそ確実に殺される。チャンクたちは、生きるために、散り散りになりながら、サザンクロスを脱出したんだ、と、そこまで話したところで、クイズランドは無言で見つめてきた。
翡翠の目の下の深いクマが、より彼女の目の色を目立たせる。
「そんな一気に言われても、信じるとか、理解するとか、難しい」
「作り話にしては人が死にすぎだろう?」
たしかに、百年前のプレインからトラディーへの大移動、というのは、グラウンドタウンでの百年祭の話とのつじつまはぴったりと合った。
「その三十人の生き残りが、あなたの祖先、ってこと?」
「きみもだよ。ベル・サーヤ」
彼女は、自分の目を右手の指で指した。
「わたしも混血だ。生まれたのはトラディーだ。
曾祖父はサザンクロスからなんとか脱出した後、グラウンドタウンにたどり着いて、そこからトラディーに移ったらしい」
大移動のタイミングでグラウンドタウンに着いたということは、ちょうど町の建設でバタバタしているときだったので、潜り込みやすかったのだろう。
「わたしたちチャンクは、確実に生き残るために散り散りになって、各地でなんとか仕事をみつけて、住まいをこさえて、家族をつくって、生き延びた。
そうしていくうちに、段々と混血になった。それでも、じっくりと目をみれば分かるんだよ。混血になっても、この、緑がかった目は、チャンクの血を引くんだ。
今この目をしている人間は、その三十人の子孫以外、ありえない」
クイズランドは目の前でわたしの目をのぞいてきた。
「ありえない、なんてことないでしょう? プレインに移住していて、プレインの人たちと同じように安全に移動できたチャンクの人たちもいたでしょう?」
「言っただろう。ジリオたちは、チャンク人が団結することを恐れていた。蜂起を恐れて、トラディーについた途端、その目をした人間は全員牢屋にぶちこんで、殺した。
田畑より牢屋の開拓に熱心だったんだよ。
トラディーのどこかに、そんな大きな牢屋はないか? きっとそこだ」
クイズランドは急に目の前に手を突き出して開いて、そして握った。
「念押しするぞ。サザンクロスでの生き残り以外、チャンク人は皆殺しさ」
クイズランドの口調は、当然、ジリオたちへの怒りをはらんでいた。でも、どこか優しく、共感を求めるように、要所、要所で間をとって話した。
今では気持ちの整理がついたから、というような落ち着きではない。わたしに、これはわたしの物語でもあるのだぞ、と何度も念押ししたいのだろう。
急に話されて、いきなり飲み込めるわけがなかった。仮に、すべてが事実だったとしても、一晩は眠ってゆっくり考えないと、とても受け入れることはできそうにない。
なのに、クイズランドの満足気な表情は、わたしがわたしのルーツを知って、内なる怒りが芽生えているだろう、という期待からくる喜びなのだろう。
「それにだよ、サーヤ。ジリオたちの殺戮は、それだけで終わらなかった。
あいつらは、三十人の生き残りに気付いた。もっと自分たちの政治に集中しろっての」
「それって、つまり、その三十人と、その子供たちも根絶やしにするってこと?」
「そうだ。そして、暗殺集団を放ったんだ。翡翠色の目を皆殺しにするため、ね」
いや、その目の話だけど、とわたしは手をぶんぶん振りながら否定した。
「ちょっと、待って。わたしの目はブルーだった。山を越えてからなの、急に、目の色が変わっちゃって」
「わたしもだよ。混血も何世代かすると、ジリオの目になる。
でも、ここはきみの生まれ故郷みたいなものだ。故郷の風にあたって、やっと体が思い出したんだ」
そして、わたしを信じた彼女は、そのままとんでもないことを言い放った。
「もしずっとその目をしていたら、この島では普通は生きていけない。その暗殺集団は、翡翠色の目をずっと狙っている。百年以上も、ね」
暗殺集団、という言葉と、この一か月でのアウスリアでの出来事を振り返ると、ひとつ合点がいった。
偽団員だ。
百年前、中央がつくった、今の軍制度の原型である盗士。みんな、島中を跋扈している偽団員は、仕事がなくなった盗士たちによる略奪や狼藉だと思っていた。
でも、意味のない行動ではなかったのだ。
彼らは、まだ、このアウスリアのどこかにいる、三十人のチャンクの子孫たちを探しているのだ。そして、根絶やしにしようとしているのだ。
殺神が偽団員の親玉じゃないか、盗士団長の賢の団長じゃないか、と考えていた予想は大きく間違っていた。
真逆だ。偽団員たちが、チャンク人殲滅を狙う元盗士たちであるのなら、殺神・クイズランドは、むしろ偽団員たちにとって一番の標的じゃないか。
「わたしは、この話を父から聞いた。
わたしは憤怒したよ。無性に腹が立った。なぜジリオたちに復讐しないんだ、と。
諦めながら言われたよ。無理だよ、もうこの島のほとんどはジリオにルーツがある、と。だから、わたしにもこのチャンクの歴史を伝えずに、隠蔽しようとしたんだ」
ジリオだけじゃない。チャンク人たち自身が、子孫を守るために、自分たちの歴史を隠し通そうとしたのか。
父さんは、どこまで知っていたのか。
「それでも、せめて、もう一度子孫たちで終結して、中央軍を見返そう、このまま、なかった歴史として消えていくのは嫌だ、と言ったよ。
でも、居場所も分からないし、今更数人が集まったってどうなる、って相手にされなかった。
それでも突っかかるわたしに、父は言ったよ」
もう恨むべき人はほとんどいないよ。
「わたしも、諦めていたさ。その一言でな」
なのに、だ。と、クイズランドの怒りは止まらない。
「あのくそったれのシャドニー王め。
トラディーの南を開拓し始めた。そのうち、この故郷・チャンクまで侵略される。そう思うと、自然とチャンク城に単身たてこもっていた。
そして、南の開拓軍を襲撃した」
眠っていたチャンクを、殺神として目覚めさせたのは、シャドニー王だった。
「あいつらは結果的に、南の脅威排除だ、と、小出しに軍を出してきている。わたしはここで待ち構えて、迎え撃ち続ける。また中央から軍が来る、それを殺す。
いつか、中央軍をせん滅する。それまで、戦い続けるさ」
どうだ、この熱い話、と言わんばかりの、満足気なクイズランドの表情が恐ろしい。目の下のクマが、より一層不気味に思わせる。
わたしの知らないこの島の歴史がある。この島の脅威になっている偽団員は、つまるところ、クイズランドやわたしのような、チャンクの生き残りを探している。
あぁ、そうか。あの日、山脈でイノシシに出会った日。あいつが、匂いを嗅いで、わたしに一直線に突っ込んできたのは、わたしの匂いか何かに本能的に反応したのか。
まだわたしの目がブルーだったのに、チャンク殲滅の本能として、偽団員の本懐として、わたしを殺しに来たのか。
呼吸するのを忘れていた。はあ、と大きく息を吐いた。
ようやく、彼女の話はひと段落した。そして必ず、わたしに仲間になれ、と迫ってくるだろう。どうしたらいいの?
ダンチョーは、まだ動かない。まだ、勝ち目がない。
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