第十三章 第五試合は、ウロンゴロン戦

「なんだ、この白犬、団長バンダナをしているじゃないか」


 一時的な怒りで周りが見えなくなっていると思っていたけど、ウロンゴロンはダンチョーの姿を見て、手を伸ばした。ダンチョーは、プイと顔をそむけて、わたしの足元に飛んできた。


「ちっ。かわいげがないなぁ!」


 大きな声で怒鳴ると、そのままわたしと、足元にいるダンチョーをじっくりと見てきた。目つきがいやらしい気がした。厚着をしていてよかった。薄着のときにこんなことされたら、気持ち悪くって、吐いていたかもしれない。


「師団長は捨て置けと言っていたが、アヌボットの謀反の現場に、女と犬もいたって話だったな」


 いやらしい視線が、座った目の視線に変わった。空気が変わったのを感じた。


「そうなると少し話は変わるな。おい、お前、砂漠で俺みたいな大男に会っただろう。アヌボットだよ。何か知っているだろう。

 言わなきゃ、ぶっ殺すぞ」


 粗暴な言い方だが、棒を使わずに両足で立って、いきなりその棒で突いてきた。脅しのような一撃で、寸止めする予定だったのかもしれないが、ソードで上に払って簡単にはねのけた。


「おいおい、そのソード、軍学校のものじゃないか。旅人じゃねぇな。本当に女かよ。

 あぁ、そうか、そうか。思い出した。今年の試験でいたなぁ。久々の女。それも四勝していただろう。最後は試合放棄だったな。

 あー、完璧に思い出した。スタミナ不足だろ、最終戦に出てこなかったのは。俺はそう聞いたぜ。

 体力がないから、女は、軍になんていらないんだよ。軍に入りたかったか? 生まれた時から決まっていたんだよ。

 でもな、俺はいいぜ。女ならいいぜ。異例だとしても、俺なら採用していたけどなー」


 ここまでわたしの腹が立つポイントを押さえて話す人間がいるとは。怒りが指先にまで浸透する。胃液が沸騰しそうだ。落ち着け、落ち着け、冷静になれ。


 深く息を吐いて、同じくらい空気を吸う。冷たい空気が、自然と頭を冷やして、落ち着かせてくれる。この場でとるべき最適解の行動も、ゆっくり考えることができた。


 師団長陣営の団長が、一人で、手負いの状態だ。ここで仕留める。


「ダンチョー、手を出さないでね」


 ダンチョーはわたしを見上げると、何を言っているの、と言いたげに、もうホルスターをほどいてナイフを出そうとしている。


「本当に危なくなったら、助けて。でも、大丈夫。わたしがこいつを分からせる」

「何をボソボソ言っているんだ。犬に話しかけているのか? 女は何考えるか分からないぜ。

 さて、さっさとアヌボットのことを吐け。次は脅しじゃないぞ。両足は折るからな」


 棒を構えたウロンゴロンの雰囲気は団長そのものだった。でも、それでも、ここでわたしは勝たないといけない。


 あの日台無しになった第五戦を、ここで。


 指数本分、ソードを短く握って構えた。冷たい空気が、剣先の金属をびっくりするほど冷やしてしまっている。指で触れれば、皮がひっついてしまいそうなくらいに乾燥している。


「なんだ、構えやがって。団長だぞ。団長に勝てると思っているのか」

「百人が百人無理って言うなら、百一人目になってやる」


 すぐに後ろに走って、岩場の陰に隠れた。そしてそのまま、ダンチョーのように、岩と岩を飛び跳ねて、姿をくらませた。


 こいつの気配が近づいていたときに分かった。おそらくあいつは、わたしの気配を察知して、自分の気配を消したのだろう。でもそれは、今の負傷した状態では完璧ではない。それが、気配が消えたり、感じられたりした理由なのだろう。


 やはり、万全じゃない。つまり、こうしてお互いの視界からお互いの姿を消したこの状態でも、わたしはあいつの場所を把握できるはずだ。


 ここだ。ウロンゴロンのすぐ背後の岩場から飛び出て、背中に向かって切りかかった。


 どうしても、飛び出す瞬間には大きく岩を蹴るのでバレてしまい、さすがに振り向かれて攻撃は払われてしまった。でも、その反応速度は想像よりは早くない。これなら、なんとかなる。


 大きく後ろに飛び退いて、また岩場に隠れた。


 地の利は得ている。それに、すでにあいつは負傷している。その上、おそらくわたしのことは殺すことはなく、生け捕りにしようとしているはずだから、攻撃には多少の遠慮があるはず。これだけの条件がそろえば、五分五分とは言わないが、ある程度計算できる勝負になっているはずだ。


「今ならまだ間に合うぜ! ソードを捨てて、両手を頭の後ろに組んで出てこい。片足で済ませてやる。

 何を勘違いしている? 俺は生まれた時から団長っていうわけじゃない。学校を出て、試験を受けて、登用されて、鍛錬して、この地位についた。勝てるわけはないぞ!」


 また大声で喋っているが、そんなときは隙が生まれる。ここで決める、と、もう一度背後からとびかかった。


「なめるなよ、団長を」


 先ほどの反応速度とはけた違いの速さで振り向かれた。ゾーンに入ったのか、さっきは罠だったのか。


 一直線に突きが飛んでくる。


 かわす余裕はまったくなかった。左腕に、重りをどしんと乗せられたような鈍い痛みや重みが走った。


 左の前腕を思い切り突かれたようだった。歯を食いしばって、無理やりソードを振り抜こうにも、片手ではうまく振れない。斬撃は諦めて、右足でウロンゴロンの左肩を蹴って、その反動で後ろに飛び退いた。


 視界にウロンゴロンを捉えたまま、そっと視線を落として、打撃を受けた箇所を見た。腕は取れてはいないようだ。でも、左肘から先に、電流が走っているようなしびれがある。寒気もしてきた。こんなケガ、こんな痛み、初めてだ。


「片手で振り回せるソードじゃないだろ。諦めろ。

 十分戦えるじゃねぇか。それは気に入った。そうだな、ムカつくはムカつくが、俺が取り立ててやる」

「なに? 隊員にでもするっていうの?」

「そりゃあ、無理だ。女だぜ。バカなのかよ?」


 本当に癪にさわるやつだ。


「お前くらいなら、十分に隊長クラスの妻に紹介されるだろう。

 一生、『試験』の四勝を誇ればいいさ。今俺に蹴りを入れたことも、もっと盛って話してもいいぜ。武芸も自慢できて、生活も保障されて、悪くない話だろう」

「悪くない、でも良くもない」


 間合いを取るために、もう一度岩場に隠れた。でも、体が思うように動かない。


 体中に冷気が走った。左肘から先が重りのようになって、バランスを崩してよろめいた。岩に手をつこうと、咄嗟に左手で支えてしまって、今度は体中に電流が走った。


 一瞬、意識が飛んで、すぐにはっとしたときには、尻餅をついてしまっていた。膝が震えている。立ち上がることができない。


 足音が聞こえる。ウロンゴロンだろう。わたしをどうするだろうか。妻云々の話が本当なら、この状態のまま生け捕る? いや、適当なことを言っているだけかもしれない。


 だとしたら、本当に足は砕かれるかもしれない。アヌボットのことを話すまで、拷問されるだろう。謀反人アヌボットに加担している疑惑があるのだから、ありえない話じゃない。


 どうする。古城の時とは違う。今は、じっくり考えるときじゃない。一瞬で決めろ、考えるな。決めろ、決めろ。心配はいらない、覚悟はできている。今からだの中で一番動くのはどこだ? 右手だ。握って、開いて、よし、動く。立てるか。歩くのは無理だけど、歯を食いしばって、腹筋を振り絞れば、一瞬だけ立ち上がることはできるはずだ。


 この状態で出来ることはなんだ? 一つだけある。右手を強く握りしめた。


「どうした、ソードも落としているじゃないか」


 ウロンゴロンはにやつきながら近づいてきた。岩壁を背にして、片膝を立てて座り込んだわたしを見下すように近づいてきた。

 

「ほんと、気持ち悪いんだよ」


 絶対に聞こえないように、小さな声でつぶやいた。


「なんだ? 聞こえねぇな? 犬がいなくてもボソボソ声かよ」


 武器も持たず、倒れこんでいるわたしに油断して、ウロンゴロンはどんどん近づいてくる。ついにあと数歩というところまで迫ってきた。


「ベルトをしていないんだな。だめだぜ。隊員になるときはみんなベルトをして、短刀を何本か腰や背中に差しておくんだよ。こうやって追い込まれたときに、今のお前は、なにもできないだろ?」

「うるせえ、温室育ち」

「蚊が鳴くみたいな声だなぁ、何を言っているんだ! まぁ、そういうかよわい女は嫌いじゃないぜ。涙目じゃないか。いいなぁ、そういう目、女っぽいんだよなぁ」


 わたしは両手を頭の後ろに組んだ。油断しろ、あと二歩、いや三歩近づいてこい。


「世間知らずの、クソ団長」


 もっと小さな声でつぶやいた。これは、作戦ではなくて、ただの悪口だった。


「だから聞こえないんだよ! 暴力女!」


 つばを飛ばしながら、ウロンゴロンはわたしの後ろの壁に腕をドンと叩きつけて、思い切り顔を近づけてきた。最低だけど、最高だった。


「男も女も関係ない、油断さえしてくれたら」


 これだけのゼロ距離なら、顔の真横からの攻撃は死角だ。


 右ストレートが、ウロンゴロンの左の側頭部にクリーンヒットした。そのままねじるように、わたしが背にしていた岩壁に、思い切り頭を叩きねじこんだ。


 悲鳴もうめき声も何もしなかった。代わりに、骨や、歯が割れたり砕けたりした音は聞こえた。何かパンと割れるような音もした。眼球かもしれない。顔面は岩に叩きつけられたから、確認のしようもないけれど。


 両肩からダランと力が抜けたようで、顔面は岸壁に擦れるように、ズルズル、と崩れていって、最後は勢いよく地面に叩きつけられた。お尻だけ浮いていて、猫が伸びをするような姿勢になった。


 それでもタフなのは、やはり団長だからなのだろうか。右腕が動いて、ほんの少し、顔を上げた。数センチもあがっておらず、表情や顔の様子は全く分からないけれど、顔から地面に向かって、黒い血が糊のように粘土をもって糸を引いている。


「結局女の武器をつかっているじゃねぇか。卑怯な女だ」

「女の武器じゃない、わたしの武器。いちいち男とか女とかうるさいんだよ」


 嫌味だけを言いたかったのか、支えていた腕も地面をすべり、こんどはうつぶせの姿勢で叩きつけられた。まだ細かく全身は痙攣している。気絶したのだろうか。


 気絶だとしたら、今ここで、確実にトドメをささないといけない。ウロンゴロンのベルトから短刀を抜いた。これで、後ろ首を突き刺す。わたしももう立っていられず、膝をついて、片手で短刀を高く振りかぶった。


 この距離で、ナイフを突き立てて、確実に絶命させる、ということに、ためらいが出た。こんなにもムカつくやつなのに、それでも、目の前でまだ体温がある肉の塊に、ナイフを刺すということに、吐き気のような嫌悪感がした。


 アン! と声がして振り向いた。


 ダンチョーだった。そういえば、一度も助けに来なかったね。ダンチョーは、首をプン、と向こうへ振っている。先に行け、と言わんばかりの仕草だった。


 ナイフを振り下ろせないわたしを見ていたのだろう。そんなに早く動けるわけじゃないけれど、這うように、岩場の向こうへなんとかたどり着いた。


 ほんの一分ほどで、ダンチョーが戻ってきた。血まみれのナイフをくわえたままで、拭いてくれ、と言うように、目の前にカランと落とした。


「ありがとう、ダンチョー。わたし、まだ、覚悟が足りないね」


 ダンチョーの耳の裏をなでた。不快のない体温が、わたしを安心させた。


 左手の痛みからくる冷気なのか、戦闘の疲労か、終わった安堵か、どれか分からないけど、瞼が重くなった。


 ただでさえ寒いこの氷地で、このまま眠ってしまっては、危険だ。


 どう危険って、その、えっと。


 ◆


 サーヤは、夢を見た。あの日、給仕の仕事をした城内の夢だ。


 あの日は、訳も分からないまま、十人の団長の部屋に荷物を運んだ。


 印象に残っているのは四人だ。粗暴な態度をとったウロンゴロンは、今このチャンクの地で絶命した。


 荷物をため込んでいたレンジャーは、今どこにいるのだろう。それから、わたしの味方なのだろうか。


 あの日会えなかった、左遷されていたアヌボットとミラウとは、もう、会えないのだろうか。


 頭が重い。お腹が温かい。


 夢か現実か、そのはざまで、サーヤの意識は浮遊していた。


 ◆


 頭が回らない、と気づいたときには、わたしはもう目をつむって、膝を抱え込むように眠ってしまったようだった。


 目が覚めたときには、太陽が傾き始めていた。夕方になってしまった。


 体が重い。体の中ではなく、何か重い。


 やっと目をしばたたかせると、ザックに入っていた、オペラ様の赤い着物を布団のように纏っていた。いつの間に、と思ったけど、胸の中で、ダンチョーがスヤスヤと、毛布のように眠りこけていて、全部ダンチョーのおかげか、と分かった。


 起きて、ダンチョー、と小さく声をかけながら、落ち着いて、改めて左腕の状態を確認した。


 骨が折れていると思ったけど、そこまでの痛みではない。触ると痛いし、左手でものを持つことはできないけれど、立ち上がれないような体中の痺れはもうなくなっていた。


 ここまで来たんだ。殺神の目の秘密は絶対に暴く。その上で、ウロンゴロンになめられて、改めて思った。わたしは絶対に、トラディーで隊員になる。

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