第十一章 古城乱戦
よく研がれた金属の、甲高い音が、吹き抜けの城によく響いた。船上で、オペラ王女がフードを脱いだまさにそのとき、プレインコーストで、サーヤのソードが抜かれたのだった。
時は少し遡る。外で待たされていたパディントンに、王妃のお呼びがかかったところまで。
「パディントン様」
戸を開けて、ハーバー王妃はこそっと顔を出した。
「終わりましたか、では」
「最後に、娘と別れをしてくるので、あと少しだけお待ちください」
と、戸を開け放ったまま、王妃は部屋の奥に戻って行った。
良かった、サーヤから伝えたのだな、と少し肩の荷が下りた。
彼も、できることなら二人ともトラディーに帰してあげたかった。王の危篤が本当かどうかは分からないものの、父の死に目に会わせないというのは、我ながら非道なことだと自覚していた。
それでも、彼は独断した。危篤が本当であれ嘘であれ、また、この帰城命令がメルボネのものであれ、あるいは王側の何者かによる策略であれ。
中央で大きな政変が起きる直前で、後継ぎとなる王女が、メルボネか、あるいは王の元に戻ると、それだけでパワーバランスに決着がつく、と判断した。
国内で争うのは不毛だ。彼はそう考えていた。わたしが王女を守り通す。完全な中立を守り通す、と強く決めていた。
紫の落ち着いた色の着物と、赤の若く溌剌とした色の着物とが、名残惜しそうに抱き合っているのを見て、申し訳ない気もするが、致し方ないな、となんとか自分を言い聞かせていた。
サーヤも納得したのだろうか、と思案する間もなく、さて、お待たせしました、と、先にハーバー王妃がパディントンの横にピッタリとついた。
「これでパディントン様ともお別れですね。女性のように美しい銀の髪、羨ましかったですよ」
またドキリとすることを言われてしまい、彼は少し動揺した。思えば、夫人としっかり話すのは初めてだ。早く階下まで降りてしまいたい、と、顔を合わせずに前を向いてスタスタと行こうとした。
だが、ふと、オペラ王女がしれっとついて来ている気がして、ハッ、と振り返った。
「なんだ、サーヤか」
と、レンジャーのマントを纏う彼女を見て、ホッとした。とはいえ、五歩ほど後ろからついてきて、『二人の邪魔はしませんよ』、と言いたげな距離感に、余計な真似を、と思った。
「あら、もう聞いていませんね」
少しムッとしたハーバーに、珍しくパディントンが戸惑い、失礼しました、としか返せなかった。変な気を起こしてはいけない、と自制しながら、一階、また一階と降りていった。
「パディントン様。なぜ、娘は一緒ではダメなのですか」
「独断です」
「あなたの判断だから、わたしたちのためでしょう。言えないのなら、信じますよ」
王妃は聡いな、と思いながら、彼の中に疑念が一つ沸いた。
このサーヤに与えられた特命は、最悪、王妃は無理でも、王女だけでも連れ出せ、という内容のはずだった。王妃だけだったら意味がないはずだ。この結果を、そう簡単に受け入れるだろうか。諦めるだろうか。
オイ、とパディントンが目で隊員を呼ぶと、半分恐怖を帯びながら、一人の隊員が飛んできた。鬼の統率具合が垣間見える。
「オペラ様は、部屋にいるだろうな」
隊員はすぐに、上階の、吹き抜けの向こう側に合図をした。その受け手もまた、吹き抜けの向こう側の上階に合図を、と、ジグザグに上階にシグナルが飛んだ。そして、パディントンが十歩進む頃には往復してきて、異常なしです、というお辞儀が目に入った。
とすれば、あとは、後ろのサーヤが襲ってくることしか危険はない。だが、その気配はなかった。あまりに殺気がなかった。さすがにわたしの軍を見て諦めたか、取り越し苦労に終わったな、と、城門に差し掛かる頃には、少し拍子抜けしたほどだった。
それでも彼は、自身の疑念や焦りは、徹底的に解消しておきたかった。もう一度隊員を呼びつけたが、確認しています、王女は最上階の部屋にいらっしゃいます、とこれまたすぐに合図が返ってきたので、一安心した。
「団長、少し気になることが」
馬車を見送って少ししたあと、隊員から別の報告を受けた。パディントンがようやく、罠にはめられた、と気づいたのは、やっとこのときだった。
そして時は戻る。
隊員が騙されていた王女は、すり替わったサーヤだった。
オペラの赤い着物を纏った、サーヤの逃避行が始まった。
逃避行、なんてものではない。彼女のこの長い旅路の最大任務は、王妃と王女の奪還作戦だ。それは今、成功した。
だがサーヤは既に気持ちを切り替えていた。父さんと母さんを心配させたままはだめだ、必ず生きて帰る、と、新たな任務を自ら課していた。
「集中どころだぞ、サーヤ。勢いは勝算を狂わせる」
古城乱戦が、はじまる。
レンジャーやアヌボットから受けた手ほどきは、伸び盛りのサーヤにとっては十二分の成長に繋がっていたようだった。かつての、ソードの重さを利用して振り下ろすサーヤの斬撃は、確かに威力は男性のそれに近くはなっていたが、攻撃の前後に大きなスキができるネックがあった。
そこで、少しソードを短く握って、ハンドリングを良くして、肩から腰あたりまで斜めに斬り下ろす形をとった新たな斬撃は、当然スキも減り、また右脇を締めて斬ることで、当たる瞬間にグイともうひと押しの斬り込みを入れることができていた。
オペラがいると思い込んでいて、虚を突かれた五人の集団を斬り破り、七階の部屋を出た。早速効果が出ている。
斬り捨てる必要も、とどめを差す必要もなく、迫りくる軍団を突破さえすれば良い。あとは一階まで降りれば、もしかしたら、わたしも逃げ切れるかもしれない。いや、逃げ切ってみせる。
強くなったと過信、いや自信にあふれて、アドレナリンが過剰分泌され、昂ったサーヤの、決死の作戦だった。
その作戦にすぐに立ちふさがったのはパディントンだった。ソードを抜刀しながら、レイピアを二本差して、既に七階まで駆け上がっていた。
「馬屋の紐が全部、噛み切られたように千切れて、馬が全員逃げている、と報告が入ってな。
人生で初めてだ。罠にかかるなんてな」
ダンチョーだ、とサーヤはすぐに分かった。確実にサーヤを逃がすために、馬屋に忍び込んでいたのであろう。
馬をすべて逃がされた以上、陸路でグラウンドタウンを経由してカラマリへ向かうのは日数がかかる。大型船一択となるが、百人の隊員すべてを用意するのには、それも時間がかかる。
王妃と王女に追いつく手段は、この城にはもうなかった。
「そう! 残念、もうここにはわたししかいないからね!」
手すりに手をかけ、じゃあね、と心で言いながら、サーヤは吹き抜けをフワリと舞い、六階に滑るように降りた。吹き抜けの建物だからできる逃亡方法だ。一階、一階、少しずつ飛び降りていくことができる。
サーヤのすぐ目の前に、ソードが突き立てられた。
サーヤの飛び降りを見越したパディントンが、七階の床から、六階に向けて突き刺したのだ。
虚を突かれたサーヤの背後に、ヒラリとパディントンが舞い降りた。ソードは七階の床に突き刺したままだが、腰のレイピアに手を伸ばそうとしていた。
「ん、ぬ、ぐう!」
そんなパディントンの脇腹に、ドシイン! とダンチョーの速く重いタックルが決まった。
「ありがとう! ダンチョー!」
ここでパディントンを追撃するのは得策ではない、今はとにかく脱出だ、とサーヤは階段を目指した。
まだ体制を整え切っていないうちに逃げないと、と、吹き抜けも利用しながら、どんどんと階層を下りて行った。
それでも、よく訓練されたパディントン軍はなんとか立て直して、三階の階段を目前にして、ついに先回りをされた。手すりに手をかけるには間合いが近すぎる、万事休すか、とサーヤは一歩たじろいだ。
そのとき、吹き抜けのど真ん中を、スーッと、ぐったりとしながら落ちていくダンチョーが目に入った。まだ六階で、パディントンを足止めしてくれていたのだろう。
「ダンチョー!」
サーヤのその叫び声を聞いた隊はビクッとした。鬼の団長パディントンと勘違いしたのだろうか。
その油断を見逃さずに、サーヤは手すりからヒラリと二階に降りた。なんと、隊はもうまばらであった。あとは一階まで駆け抜けるだけだ。大丈夫、ダンチョーはあんなんじゃ死なない、と思う。一階で会おう。
風を切る音がサーヤの耳に届いた。
鋭利な刃物で長い紙をサーッと裂くような音だ。何かが、落ちてくる。
刹那、形容しがたい衝撃音が破裂した。
ハンマーで誰かがサーヤの上の天井をぶっ壊したのかと思った。でも、全く違った。
パディントンが現れた。
六階から吹き抜けを飛び降りて、落下しながらも正確に、三階と二階の間の壁にレイピアを突き立て、滑り込むように目の前に立ちふさがった。口に布を詰めて、上からマスクのように巻いて。
王妃が話していた通り、この城は、上階の足音が気にならないよう、階層の間は、ネズミが通れるくらいの大きめの幅がとられている。城の構造まで把握した、決死の落下作戦だった。
サーヤの目の前に立ちふさがったパディントンは、ダンチョーとの交戦のおかげか、息が上がり、噛まれたか引っ掻かれたか、左脇腹に深い傷ができている。
それでもすぐに、最後のレイピアを腰から抜いて、突いてきた。
満身創痍となったパディントン以上に、サーヤは血がたぎっていて、興奮している。
「うおおおああああ!!」
その突きをソードで思い切り払い上げると、レイピアは弾かれて、天井に突き刺さった。飛び降りて突き立てた衝撃からか、パディントンの腕はまだ痺れているようだった。
「素手ではさすがに敵わないんじゃない?」
「試させてくれよ。久しぶりにチャレンジ精神旺盛なんだ。空も飛んだくらいだ」
彼の腕はまだ痺れているだろう。素手どころか、おそらく使えるのは蹴りくらいだろう。今のうちに仕止めなければ、とサーヤは勝負を焦った。
丸腰とソードとの対戦だ。間違えなければ、勝機はある。足蹴りの間合いに入らない距離から、思い切り真横に斬りつけた。
だが、ダンチョーによって脇腹に大きなダメージを受けていたこと以外は、サーヤの予想は全部間違っていた。
パディントンの痺れはもうほとんど治っていた。
それに、武器はまだあったのだ。後ろ腰から短刀を抜き、サーヤの斬撃を受け止めた。想定より俊敏に動いたパディントンを目の前にして、驚きから、サーヤの時が一瞬とまった。
「致命傷で済むよう祈りな」
その隙をついて、パディントンは飛び上がり、サーヤに弾き飛ばされた、天井に突き刺さったままだったレイピアに手をかけた。
死んだ、などと考える余裕もなかった。そのまま斬り下ろされていれば、本当に過去形として、サーヤは死んでいただろう。
ブウゥン!
嫌なうなりを上げて、レイピアは空を縦に斬った。
今度は、パディントンの時も止まっているようだ。外した? いや、軌道が変わったのだった。
廊下の先で、キュウ、と鳴いて、ネズミが叩きつけられた。それを見て、パディントンは目を見開き、悟った。
「ネズミが刺さっていたのか!」
サーヤは、助かった、とか、反撃のチャンスだ、とかいった、感情や作戦はまだ湧かなかった。ただ、咄嗟に、口と右腕だけが動いた。
「ふ、」
右の拳はギュウと握られた。ソードを振るときの、右手の一押し、その練習が最高に活きた瞬間だった。
「ふっとべええええーーーー!!」
パディントンの左頬に、ねじるような右ジャブが入った。
そのままサーヤは腰を左に大きく急旋回して、それはほとんど右ストレートになった。宙に浮いていたパディントンは、その衝撃を体全体に受けてしまった。
拳は頬に触れたが、それは一瞬のようで、お互いとても長い体感時間だった。三秒は接していたのではないか。そう勘違いするほど、右の拳は左頬に深く食い込んで、その衝撃が体全体に波状に広がって、めいっぱい体中に痛みを覚えてから、やっと拳が離れた。
パディントンはふすまを破り、十、二十メートル吹っ飛び、掛け軸がかかった部屋の壁にドッシャアアとめりこんだ。
◆
ぼんやりと、うつろな目をしたパディントンに、わたしは警戒を解かずに近づいた。
ぐったりと座り込み、顎は上を向き、ダンチョーにやられた脇腹からは血があふれ始めていた。銀の髪がボサボサになって、前髪で目がよく見えない。
「とどめをさす気か?」
すわった目でパディントンは、口だけを動かした。
分からなかった。
人を斬る、ということには抵抗はない。だが、殺す、とか、とどめをさす、ということには現実味がなかった。
さっきまでは、その場その場を切り抜けるため、必死にソードを振り回していたにすぎない。でも、こうした抵抗のない人に対して、刃先を向けることができなかった。
「私は、死ぬわけにはいかない。取引だ。何が知りたい?」
王妃と王女を解放できたことで、わたしの旅は、これでひとまず目的を果たしている。だが、そうとは知らないパディントンは提案してきた。
何も聞きたいことはない。強いて言えば、もうへとへとだから、トラディーに無事送ってもらって、父さんと母さんに会わせてほしい、なんてくらいかな。
でも、なんでも答えてくれるのなら、彼から知りたいことはないかな、と考えた。
気になるとすれば、わたしのやることはひと段落したから、あとは、この島の今後だ。
人質を解放できた王は、どうやってメルボネ陣営と対抗するのだろうか。それから、力をつけているほかの町や村からの襲撃にどう備えるのか。あぁ、それから、島中の偽団員騒ぎをどう解決するのか。おまけに、地図をいい加減作らないのか。
そういえば、もうひとつ、解決していない、この島の大きな問題がある。いや、でも、これを口にしたら、また大きなことに巻き込まれるかもしれない。直感だけど、そんな気がした。
でも、一度気になってしまったのだから。
この一言が、なにかターニングポイントになるとしても、聞いてみよう。
「殺神」
パディントンは、あぁ、それね、とでも言いたげに、スッと目を閉じた。
「このあたりはくまなく調査しているんだ。
殺神は、恐らくだが」
彼は少しためらい、でもすぐに口にした。
「チャンクだ」
「チャンク?」
人の名前かと思った。でも、どうやら違うようだった。
「島中で暴れている偽団員の親分が殺神、なんて聞いたことがあるけど」
「私もそうだと思っていたが、調査をする限り、違う。
ここからまだ南に、チャンク城という廃墟がある。廃墟なんだが、城だ。ここより前の、な」
「ここより古い城って、何?」
「ほとんど昔話、噂話だが」
この島の歴史はほとんどが噂話だ。でも、この話は、まったく聞いたことがない。
大きな歴史に足を突っ込んでしまい、後戻りできなくなるかもしれない。でも、聞かないといけない気がする。直感というか、本能というか。
「チャンク人なんて、団長でもほとんど知っている人はいないだろう。師団長は知っているかな。
まぁ、私たちは今は暇な護衛の身なんでね。調査をしておこうと、城の存在さえ不確かだったが、調べたんだよ。それで、南の岩場を越えた先、氷地の手前に建築物が見えた、という報告が上がった。チャンクは、本当にあった」
「それで、殺神は偽団員の親分じゃなくてチャンク、っていう根拠になるの?」
「チャンクは、目が翡翠みたいな緑色なんだとよ」
翡翠のような、という言葉に、父さんの目が浮かんだ。
この島の知らない歴史が、知っている人に繋がっているかもしれない。続きを聞くことが、少し怖くなってきた。
「トラディーの南の開拓の殺神騒ぎくらい知っているだろう。その生き残りの中に、派遣していた私の隊員もいた。暗闇でも分かる、光るような緑の目をしていたんだとさ。ジリオの特徴そのものだ。
それから、その日の犠牲者の中に、偽団員もいた。なんで仲間討ちをするんだ?」
まぁ、南に近づかなければ、偽団員と違って手を出してこないんだから、平和だよ。触らぬ神になんとやら、だ、とパディントンは手をひらひら振った。
「きみは名前しか知らないだろうが、アヌボットみたいな、血気盛んな団長がこの話を聞いたら、なんだか知らねぇが殺神討伐だ、って南まで攻めるかもなぁ」
「アヌボットなら、そうかもね」
「おい、なんだその物言い。何者だ」
しまった、アヌボットと接触があるなんて言ってはいけないのに、と思ったが、もう遅かった。
「すべて話せ。すでに形勢は変わった」
パディントンは左手に、掛け軸の掛かっていた長い木片を手にして、わたしの喉元数センチのところへ突き立てた。団長だということをつい忘れていた。
「王様に、会って」
中途半端に嘘をついて、ストーリーのむらを指摘されれば、確実に殺される。既に人質は解放したから、今度はわたしはわたしの命が惜しい。諦めて、全てを話した。
◆
「とにかく、カラマリで降ろしたら、俺は戻るぜ。サーヤがあぶねぇ。一人でどうにかできる相手じゃねぇぞ」
カラマリまであと数十分という頃、アヌボットは、アヌボット四千を研ぎながら、息巻いた。
「落ち着け、アヌボット。冷静に考えろ。サーヤがパディントン軍を抜け出せるか? 味方はダンチョー一匹、敵は百人だぜ」
「だけどよ、だけどよ」
「サーヤのことを考えるのは、サーヤと合流してからにしよう。王の望みは、家族の奪還だ。そして、左遷された俺たち二団長も無事だ。あとは俺たちの軍団あわせて二百人がいれば、メルボネに一泡くらい吹かせられるさ」
「一泡ふかせる、じゃねぇだろ」
「王の最終的な理想は、メルボネの排除と、その後に俺たちが後釜につくことだろう。メルボネだって、俺たちを単独で暗殺できずに、王妃王女も手中から漏れた以上、正面衝突は避けたいさ。いいところで和解できる。それで、手を打とう」
「だから、そうじゃなくて」
「俺たちも、守らないといけない隊員がいるんだ。
目の前のサーヤに気を取られて、それを忘れるな」
王妃と王女を差し置いて、ミラウとアヌボットは言い合いを続けていた。
「ミラウはそれでいいのか? いいんだな?」
「良くないよ。でもそれは、俺やお前の気が悪いってだけだ。俺たちのエゴで、隊員二百人を見捨てるのか?」
「論破したつもりか? 俺たちが守るのは、隊員じゃなくて、この国そのものだろう? なんでサーヤを見捨てられる?」
「俺たちがいないと守れないものがたくさんあるだろ! 隊員は死ぬ気で国を守ればいい。団長は隊員を死ぬ気で守れ!」
ミラウ自身、自分のロジックに無理があることは分かっている。
レンジャーからは、自分たちの隊員はまだ無事だと聞いてはいたものの、どうしてもリアルタイムとはタイムラグがある。先に人質解放の一報がトラディーに入れば、隊員は既に皆殺しになっている可能性がある。そして、パディントン軍は今頃サーヤを捕らえて、その伝令をトラディーに向かわせているだろう。
結局、パディントンがこちらに協力するということがない限り、この人質奪還作戦は、成功しても効果は限りなく落ちてしまう。
サーヤの決死の逃避行は、その結果を知らないミラウやアヌボットにとっては、彼女を失ったと勘違いさせたことも考えると、ある種最悪の一手だったかもしれない。
「あの、ミラウ様」
「あぁ、申し訳ありません、王女。大声で」
「いえ、少し思ったのですが。わたしたちも、サーヤさんから、今の中央での対立状況や、みなさんの相関関係というのはお伺いしております」
「そうです。王様を守るために動けるのは、今、わたしとこのアヌボット軍だけ。人質奪還自体は成功したと知る人間が、まだこの船上と古城にしかいない以上、今のうちに策を考えないといけないんです」
「ですから、その操舵をされているのは、レンジャー様の隊員だったのでは」
全員の視線が集まったその隊員たちは、肩をすぼめて、気まずそうに舵をとっていた。
「カラマリについたら、レンジャーに、全部報告するよな?」
「なんとも言えませんが、みなさんを降ろしたら、私たちは本隊へすぐに戻ります」
中立を保つ可能性があるレンジャー様を敵に回すような行為はできないので、この隊員を捕らえることはできないでしょう、と王女オペラはつづけた。
「それはパディントン様にも言える。サーヤさんを捕らえても、命を奪う前に、事情をすべて聞き出すでしょう。そしてサーヤさんを殺してしまえば、アヌボットさん、あなたが血相をかえて突撃してくることは予想するでしょう。
サーヤさんは聡い。それくらいの交渉はされるでしょう」
サーヤは生かされるはず。そのオペラ王女の一言が、アヌボットの背中を押して、ミラウの気も変えた。
「わたしたちが無事古城を出た。それはつまり、この島国アウスリアで開戦が免れなくなったということ。
王妃と王女警護にレンジャー様の軍をあてがい、あなたたちはわたしたちを交渉材料にして、パディントン様に接触して、無敵のパディントン軍を味方につける。これで二百人。トラディーに残るお二人の二百人の手勢と挟み撃ちにすることができれば、勝機はあるでしょう」
スラスラとプランを唱える目の前のまだ幼いオペラを見て、二人の大男は口をぽかんと開けていた。
「なぁ、ミラウ。どうだ?」
アヌボットは、すべてを理解しきれなかったので、『どうだミラウ。このストーリーがあれば動けるだろう?』とでも言わんばかりに、物知り顔で聞いた。
「これなら、サーヤにもう一回会えるな。合流できるな」
ミラウも、その点くらいしか理解しきっていなかったので、そこを強調して返答した。
せっかくのオペラ王女による算段は、二人には少し難しかった。
◆
ふー、と長く息を吐いて、パディントンはやっと口を開いた。
「家族が解放されれば、安心してシャドニー王は師団長も排して、お前の家族や身分も保障して、か」
彼はグイと体を起こし、忠告を始めた。
「じゃあ、ここからの最悪のプランを教えようか。
シャドニー王は家族を解放出来てほっとする。だがいち早く知った師団長は、王妃と王女の護送を襲撃して、王女を手中に収める。世継ぎが手元にあるんだ、もう師団長は好き放題だ。軍の人事だけじゃなくて、この国の人事すべてを手に入れるだろうな。
それから、計画に加担したきみも、きみの家族も、当然、な」
「待って。シャドニー王は考えがあるって言っていた。
せめて王派閥と、師団長派閥とが二分されるとか、そんなんじゃないの?」
甘いな、とぼそりとパディントンはこびした。
「王派なんて、重用されかけていたアヌボットとミラウくらいだろう。あいつらの軍勢は捕らえられているから使えない。二人対八百人だ。これを、国を二分するパワーバランスなんて言うのか?」
「あなたは、師団長側につくの」
「私は、私の軍隊を守れる選択をする」
そこまで言うと、あ、とパディントンは少し訂正した。
「今の、メルボネには内緒でな」
◆
「ハーバー様。オペラ様。カラマリにはもうすぐ着きます。
カラマリで、このレンジャーの隊員があなた方を保護します。心配しなくても、レンジャーは信頼できます。レンジャーという男はですね」
「叩き上げで団長になられた、レンジャー様でしょう。頼りになります」
サラリと言うハーバーに、アヌボットは呆気にとられ、ミラウは拍手までしそうになっていた。この国の軍部の人事をすべて把握しているのだろう。
「熱血漢のアヌボット様とミラウ様。あなたたちのことも、信じます。
王を救ってください、とまでは言えません。わたしたちを守ってください、とも言えません。お二人だけでは、それは難しいですから。
でも、あなたたちに出来ることがあります。あのサーヤお嬢さんを、助けてあげてください」
◆
「私たちも、もうすぐ城を出る。任務失敗なんて初めてだな」
そう言いながら、パディントンの元には、彼を手当てするために十人以上の隊員が集まっていた。
わたしも鏡を受け取って、傷ができていないか、首や顔を映した。
鏡に映るわたしは、わたしじゃない目をしていた。
「わたしの目は、ブルーで澄んでいた」
少し、ほんの少しだけど、緑がかっているように見えた。
一体、どうして。もしかして、山を越えてこのあたりは、トラディーとはガラリと空気が違うから? ちょっと、待って。
わたし、荷物を取りに行くから、と、一人で部屋を飛び出て、七階へ急いだ。レンジャーのマントは王女に渡してしまったけど、わたしのマントはザックに入れている。早く、フードを被らないと。
殺神の目と、父さんの目の色が同じ。わたしの目も、なぜか、そんな目に近づいている。
この目は、見られちゃいけない。
さっき、わたしは、衝動というか直感というか、いやむしろ本能に近い理由で、殺神の話やチャンクの話を聞いてしまった。
一体何がどう繋がっているのかはわからないけど、この謎を解明するには、実際に南、チャンク城へ行くしかない気がする。
わたしの任務はすでに終わった。さっきのパディントンの言った最悪のケースは恐ろしいけど、王女のことは、カラマリでレンジャーが守ってくれるはずだ。わたしは、わたしの謎を追求しよう。
フード被って、パディントンの元に戻ると、ちょうど、ケロッとした顔でダンチョーがトコトコと上ってきた。ダンチョーのこと、すっかり忘れていた。
「クソ犬!」
「違うの、団長なの。盗士の」
何を言っているんだ、と言わんばかりの顔をパディントンはしたけど、すぐに表情を変えて、
「愚か、賢か」
と尋ねた。愚の団長と賢の団長。盗士団長の話は、団長間では有名な噂なようだ。とはいえ、女の子が大好きで、酒を飲み、ギャンブル好きな時点で、ダンチョーがそのうちどっちか、なんてくらいは、察することができるけど。
「アヌボットたちは、愚って言っている」
「そうか。しかし、犬か。ドドラデニメ、か。ミラウがそう言うんだから、ありえない話じゃないな。
元盗士団長を、王か師団長が囲い込んで配下にしている、なんて噂があってな。本人は知らんぷりしているが。それで、もう一方の盗士団長は邪魔になって、魔法で犬にしたのかな。あり得ない話ではないよな」
パディントンはしゃがんで、ダンチョーの首を撫でた。盗士団長が一緒なら、頼りになるだろう、と独りごちた。たしかに頼りにはなるけれど、やっぱり、いつもの二人がいる方が落ち着く。
アヌボット、ミラウ。二人がいない中、どこまで進めるのだろうか。
◆
「やはり、私がやります」
「うるせぇ! 黙って見ていろ! なんでまっすぐ進まねぇんだ!」
最後くらいこいでやるよ、と息巻いてレンジャーの隊員から舵取りをぶんどったアヌボットのせいで、運航は着実に遅れていた。
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