人質解放

第九章 狼 レンジャー

 一歩一歩進んでいく中で、山を下っている感覚はあるけど、思いのほか斜面はそこまで切り立っていない。整備されているわけではないので、登山道のようなところに出るのではなく、突然視界が開けた。


 もうすこしで見えるのがぼくの故郷です、一時間くらいですかね、とまだまだ元気な旅人さんは、さぁ行きましょう、と手招きをした。


 旅人さんにはそれとなく、メジャーではない道から下山できないか、と交渉していた。アヌボットの話だと、パディントンなら、古城に到着する前後で、既にグラウンドタウンの存在は調査済みで、山越えについても知っているだろう、とのことだった。


 そこまで抜かりない団長というのは、恐ろしいものだ。そうなると、グラウンドタウンに一番近い山道には、パディントン軍の監視があってもおかしくなかった。


 お金を積まれている旅人さんは、わたしたちのために必死に道を切り開いてくれた。おかげで、少し遠い場所に出ることができた。幸い、誰にも見つかっていない。


 アヌボットとミラウは、きっと今ごろわたしたちの荷物を取り返してくれているはずだ。わたしは先に町に入って、宿で二人を待つ。今度は、固くないベッドの宿があるといいのだけど。


「休憩おしまい、行こう、ダンチョー」


 だだっ広い平原を、旅人さんとゆっくり進んだ。ほんの少し、山の東側よりはひんやりとしている気がした。


「もしかしてだけど、ここから先、まだまだ寒くなるかな」

「ええ。そのマントだけじゃ、心許ないですね。

 グラウンドタウンの仕立て屋を信用してくださいよ。染料も豊富ですし。きっと気に入りますよ。あ、見えてきましたね」


 地平線の先に、たしかに黒い点が見えてきた。あれが、グラウンドタウンだ。


 それじゃあ、ぼくはこれでいったん戻りますね、と、旅人さんはもう一度山へ戻り、彼らを迎えに行った。


 寒いなら、ふわふわの羽毛の服を仕立てようかな、と楽しみになってきた。その町々で服を仕立てるのは、ちょっと贅沢だけど、気分が上がるなぁ、と思った。


 ◆


 旅人の先導通り、同じく山越えを果たした団長二人は、ここまででいいよ、あとは好きな旅をしな、とさっさと旅人と別れてしまった。


「本当に、この道で良かったんですか」

「あぁ、ちょっと事情が変わっちまってな」


 アヌボットとミラウは、偽団員騒ぎの後、ちょっとしたアクシデントでの疲労もあり、比較的ポピュラーな登山道の紹介を依頼した。


 パディントンの監視にみつかるリスクはあったが、未整備の山道を進んでいくほどの体力はあまり残っておらず、今ある体力で、最短でサーヤと合流できる道を選んだ。


 アクシデントの説明をするために、偽団員四人を無事退治したころまで遡る。


 意識が戻った偽団員を脅して、なんとか荷物をすべて取り返した二人ではあったが、サーヤのザックからは封筒が消えていた。念のためにポーチも開けたが見当たらない。


「おい、封筒をどこにやった?」

「知らねぇよ、金貨しか盗んでねぇよ」


 結局らちが明かず、そのあたりを三十分近く探し続けたものの、どうしても見つからない。


「もっと前の段階で落とした可能性もあるな。仕方ねぇ、とりあえずサーヤと合流だ」

「手紙もなしに、どうやってパディントンが王妃と王女を解放してくれるかな」


 二人は途方に暮れた。これが、二人の体力を削った理由のいきさつだ。


「未整備じゃない登山道でもこの疲労だ。いい選択だったぜ、アヌボット」

「さっさと町に行って、サーヤと合流して休もうぜ」

「いや、もう少しだけ休んでおこう。楽した分、このルートには、パディントン軍は必ずいるだろうからな」


 より若い、まだ二十代のアヌボットの方が回復は早く、十分も岩で座っていると、よし行こうぜ、と肩をグルグルと回し始めた。


 すこしひんやりとする平原を進んでいると、ミラウが地平線の先に黒い影を認めた。


「なんだあれ。旗か?」

「旗だな。変なところに立てるんだな」


 その旗が、少しずつ、近づいているように見えた。立っている旗ではない、とようやく二人とも気づいた。


「人間だな。こっちに向かってくる」

「一人だぜ。偽団員か、パディントン軍か、どっちだろうなぁ」


 口では冗談を言いながら、その正体を見破るのに二人は必死だった。


「アヌボット、俺は分かったぜ。肩まで金髪が伸びているんだ、それにあの背丈だ」

「俺よりは一回り小さいな。あぁ、そうか、あいつか。厄介だな」


 二メートルはある鉄の棒に、ボロボロの青の旗がたなびく。それを右肩にかけて、ゆっくりと歩いてくるその美青年は、団長の一人、レンジャーであった。


「良かった、良かった。やっぱりフラッグは目立ちますね」


 殺気はなかった。ニコニコと笑いながら、のんびりと歩いてきた。背丈はサーヤと同じくらいかもしれない。華奢な体つきも、遠目からみれば本当にサーヤと見間違えるかもしれない。


 決して暑いわけではないが、手袋もせず、マントもせず、ブーツも底が厚いものは履いていない。ブラリと散歩に出てきたような恰好で、とても団長には見えない。


「こんな所で会えるなんて、どうしたんですか、お二人とも」

「お前こそ、なんて言いたいが、お前はいつもどこか行ってしまうからな」

「そうです、そうです。仲が悪いはずのお二人が一緒にこんなところにいる方がおかしいですよ。バンガーズ山脈、越えられたんですね」


 レンジャーはまだニコニコしている。


「なぁ、レンジャー。かまをかけるようで悪いけど、俺たちのこと、どこまで知っている?」

「アヌボットさんが八一砂漠でアデライトさんを殺した、ってこととかですかね」


 はあ、とアヌボットは大きなため息をついた。もう中央にはバレちまってるかぁ、当然だなぁ、と。


「ぼくはてっきり、お二人とも師団長に歯向かったから左遷されたのだと思っていましたよ。誰かが討伐に行くんだろうなぁ、と思っていたので、ぼくはよっぽど立候補しようと思っていました。でも、先にアデライトさんが、俺が行く、って」

「意外だな。あいつは、言われた場所に遠征だけ行かされているだけのイメージだったから」

「それを変えたかったんじゃなかったですかね。アヌボットさんを討ち取った、となれば、成り上がるには十分でしょう」


 アデライトと対峙したときの彼の啖呵をアヌボットは思い出していた。あの勢いには、確かに、自身の進退をかけているような必死さがあった。


「おいおい、立候補しようと思っていた、って、お前も成り上がりたいのかよ」

「まさか。ぼくは、ただ、戦えればいいんですよ」


 戦闘狂、一匹狼のルトル・レンジャー。軍学校の試験から叩き上げた、一般組と言われる団長だ。アヌボットやミラウなどのエリートとは違い、隊員の憧れの存在だ。


 まだ成人したばかりのこの若者は、団長会議も遅刻ギリギリまで寝坊して、かと思えば遠征任務には『身軽な方がいいから』と単独でこっそり行こうとして、まだまだ青い所が多かった。


 それでも、隊員たちは、団長の中で一番腕が立つのはレンジャー様だ、と持て囃していた。レンジャー自身、いつか機会があればメルボネと手合わせをしてみたい、と思っていた。


 それでいて、対複数人はめっぽう苦手な、タイマン超特化型な戦い方だと、自覚もしていた。だから団長なんていうのは不向きなんですよ、とよく不満を言っていたが、むしろ隊員が小兵を相手して、本命の親玉だけを仕留めればいいと考えれば、集団の中にいる方が、結果的には彼のためであった。


「なんでぼくがここにいるか、ですかね。ぼくに勝てば教えますよ」

「おい、せめて、なんで戦うか、くらい教えろよ」

「一応、任務の範囲内なので、ということで」


 レンジャーは旗をたなびかせて、片手で大きく掲げた。


「と、いうことは。決闘するっていうことは、師団長の許可をもらってきているのか。俺か、ミラウを殺すっていう」

「そうじゃないんですよ。でも、許可をもらってきているのは本当です」

「意味が分からないぜ」

「勝ったら教えますって」


 勝つということは、殺すときだ。レンジャーは負ける気などないのだな、とアヌボットは察した。


「ワガママをひとつ良いですか? おひとりずつお願いできますか」

「おう、二人で一方的にやるのは気が引けるからな。おい、ミラウ、俺がやるからな」

「戦意を削いでサポートしろ、っていうのか」

「いらねぇ、いらねぇ。大体、下手に手を組んだら、たぶん、やられるぜ」

「まぁ、殺されるな」

「もうひとつ聞くぜ。アヌボットがレンジャーとタイマンするらしいぜ、って聞いたら、どう思う?」

「まぁ、殺されるな」


 素直に答えたミラウは、そのまま、レンジャーに声を張った。


「なぁ、レンジャー。ワガママ聞いてやるんだ。ちょっとくらい、この状況の説明くらいしてくれよ。中央の様子でもいい」


 たしかに、うん、そうですね、とレンジャーはぼそりとこぼすと、二人に話し始めた。


「アヌボットさんの、謀反の一報が城に入りましてね」

「たはー、謀反か。まぁ、そうか」

「でも、師団長も、表向きはただの砂漠の調査っていう形で派遣しただけなので、現状、ただの団長同士の小競り合い、っていう処理しかできないんですよ。

 とはいえ、王派と師団長派で亀裂が入るのは確実。師団長としては、万が一、アヌボットさんが古城にたどりついて、王女の保護をしてしまえば、王は大手を振って発言力を強めるだろう、っていうので、それは避けたいんです。

 パディントンさんに、アヌボットさんが攻めてこないように警備を強化しろ、って伝令を出す必要が出たんですね。それで、山脈越えに、ぼくの団が選ばれたってわけです。いつも旅に行っているから、なんとかなるだろう、ってね」


 山越えをできるのは、偽団員と、グラウンドタウンの旅人と、それとレンジャー軍団くらいのようだ。


「それだったら、決闘許可はとってきてないじゃないか」

「殺神騒ぎがあるでしょう。あれ、偽団員の親玉だとか、元盗士の団長じゃないかって噂もあるんですよ。

 殺神が出たときに、その噂通りなら団長決闘の許可がある方が戦いやすいです、って言えば、簡単に許可をくれましたよ」


 ミラウの氷地左遷の言い訳にされた殺神の存在は中央でも厄介ごとになっていた。そのため、仮にレンジャーが衝突して、討伐してくれれば願ったり叶ったりだ、という師団長の思惑があった。


「なぁ。謀反した、ってのは俺だけか」

「ミラウさんのことはまだですね」

「他には? 俺単独か?」

「あぁ、あと、砂漠で女と犬がいた、っていう話は入っていましたけどね。師団長自ら、そんなもの捨て置いて構わない、とのことでした」


 アヌボットは胸をなでおろした。危険に晒されたのは俺だけだ、と。


 ミラウは、王がサーヤと接触したことさえ把握できていないのか、と、師団長側の情報力の薄さに呆れていた。パディントンが中央に残っていたらそんなヘマはしなかっただろうな、と、改めてパディントンの存在の大きさを感じた。


「それで、きみのお役目の、パディントンへの伝令はもう終わったのか」

「もういいでしょう。ぼくも、待てませんよ」


 ピョン、ピョン、と、草原を足の裏の柔らかいクッションで跳ねるレンジャーはうずうずしていた。


「ところどころ、草がはげて、土が露出していますね。動物が掘り返したりしているのかな。叩きつけられたら、痛いだろうなぁ」

「まだまだ聞きたいこともあるけどな、レンジャー。協力しねぇって言うなら、手加減はできないぜ」

「えぇ、ありがたいです。何か条件とか、時間制限とか、つけますか」

「いらねぇよ。殺し合いだ」


 レンジャーは予想通り、旗の柄、鉄の棒でグンッと突いてきた。


 アヌボット二・零で受けたが、カキリ、と嫌な音がした。棒も少し欠けたが、刀も一発で少し欠けた。


「マジかよ!」


 アヌボットは刀を乱雑にレンジャーに投げつけて、真横に飛んだ。エリートのアヌボットが素手で逃げて、叩き上げのレンジャーが武器でそれを追撃する。レンジャーの突きは、先が欠けたため、棒とはいえ、凶器となっている。


 飛んでくるような勢いで突かれたその鉄棒を、アヌボットは右腕で下から上に大きく払いつつ、突いた勢いで前に突っ込んでくるレンジャーの頭めがけて、左足でハイキックをくり出した。熊も気絶するようなそのアヌボットの蹴りだ。


 しかし、アヌボットの想定以上に一瞬で目前まで間合いを詰めたレンジャーには不発だった。レンジャーに右の軸足を前に払われて、アヌボットは天と向かい合うように宙に浮かんだ。


 しかし実際に向かい合ったのは空ではなくレンジャーだ。上から覆いかぶさるように迫ってきていた。


 なんとか左手を地に伸ばして、アヌボットは地面をつかんだ。レンジャーは、アヌボットがそのままその片手で横っ飛びして回避するだろう、と予測して、その軌道上であるアヌボットの顔の真横に、ドシンと棒を突き刺した。


 しかしそれは空振りに終わった。


 レンジャーは顔に衝撃を覚えて、すぐに頭が真後ろに吹っ飛んだ。目の前が一瞬、真っ白になった。


 アヌボットは左肘を少し曲げたあと、横ではなく真上に飛び、頭突きをくらわせていた。レンジャーは天を仰いだまま、突き刺した鉄の棒をギュッと強く握ることでその場に留まり、アヌボットの追撃を防ぐために右足で薙ぎ払った。


 対するアヌボットは、距離をとるように後ろに大きく飛び跳ねていたので、レンジャーの蹴りは不発に終わった。


 互いに、一撃、一撃が重い。ジャブや様子見のような攻撃は命取りだということを分かり合っているのだろう。


「最高ですよ。アヌボットさん。頭突きで視界がチカチカしたときは、この隙に何をされるのだろうか、なんて、死を感じましたよ。

 生きている。あぁ、いいなぁ、生きていることが強く実感できる」


 鼻血を手で拭い、拭いきれなかったサラサラした血は、舌なめずりでふき取った。その姿に、ミラウは一歩引いた。


「レンジャーは、考えて動いているな。普通なら相手はどう動くか。その上で、その動きを誘うように攻撃していく。アヌボットは逆だ。その場その場で、攻めることしか考えていないから、レンジャーの予測通りには動かないだろうな」


 それでも、とミラウは独り言をつづける。


「それならそれで対策できるのがレンジャーだろう。天才たる所以だ」


 ミラウは、魔法を発動するか悩んだ。正直、アヌボットのプライドなんてどうでも良かった。二人がかりで戦うには、連携は絶対にできないが、レンジャーの戦意を削ぐだけなら、必ず、アヌボットに有利になる。


 二人の動きが早いためなかなかチャンスはないが、次に、二人が一息入れたタイミングに備えて、ミラウは指先に集中した。


 一方、アヌボットは、次の一手で決めよう、と策を講じていた。


 思い切り助走をつけて、あえてレンジャーの真上へ飛び上がった。この高度に対してなら、レンジャーは突く以外の攻撃手段はない。どんな速度でその一撃が繰り出されても、アヌボットは、気合で集中して、片手で掴み止めるつもりだ。握ったら離さず、思い切り引っ張り上げて、もう片方の手でレンジャーの頭めがけてストレートをぶちこむ策だ。


 しかし、レンジャーは突く準備はしているが、姿勢を低くして、左手をそっと腰の辺りに伸ばした。どうした、なぜ突かない。その長い武器は、間合いが詰まれば不利だぞ。アヌボットは、想定とは違う動きに、少し焦った。


 レンジャーの方が、何枚か上手だった。彼が、その腰に伸ばした左手を払ったときには、ナイフが三本放たれていた。


「こいつ!」


 アヌボットは厚底の靴裏で、その三本のナイフを防ぎきった。


「さすがです。生きるために必死だ。死にそうにない。そんなタフなあなたを、壊したい」


 それでも、レンジャーの方が考えている。アヌボットの靴に刺さったナイフ目掛けて、突きをぶっ放した。


 このままでは、靴底のナイフが突き押され、足の甲まで貫通する。だが足をズラせば、確実に腹に風穴が空く。選択する余裕は、ない。


「お望み通り、壊れてやるよ、サディストくん」


 アヌボットは、ナイフの刺さった足で、棒に向かって思い切り蹴りをくらわせた。レンジャーの想定よりも余りに勢い良く、ナイフの一本が靴を貫通して、足の甲を飛び出し、宙へ飛び出した。


 痛みに顔をゆがめながらそのナイフを掴み、アヌボットは眼下のレンジャーの顔めがけて投げつけた。突き刺さった足で棒を固定して、レンジャーの動きを封じているから、避ける方法はない。


 勝負あった。ミラウは安堵した。


 バサバサァ! と、レンジャーはそこで旗を広げた。ナイフの軌道は大きくズレて、レンジャーの左頬を軽くかすめていったにすぎなかった。


「俺が入る隙、ないじゃねぇか」


 レンジャーは棒を引いて、バランスを崩して落ちてきたアヌボットの上半身にその旗を被せて、視界も、体の自由も奪った。


 受け身も取れずに地面に叩きつけられたアヌボットめがけ、足のナイフを二本抜き、レンジャーは旗越しに一本をズブリを突き立てた。


 刃先に、確実に肉体の感触があった。確実に仕留める、と、レンジャーはもう一本を振りかぶった。しかし、力が入らない。


 レンジャーの左脇腹にも、ナイフが刺さっていた。


 旗がパサリと広がった。アヌボットは顔の前を、その太い左腕で守っていたので、ナイフは腕で止まっていた。そして右手で、レンジャーの脇腹を仕留めていた。


 互いに、右の口角をニッと上げた。


「これは、さっきあなたが投げつけたナイフですね」

「砂でもなんでも掴んで投げるつもりだったんだが、上手いところにあったな」


 レンジャーも、手を大の字に広げて、あおむけになった。出血による、引き分け、が妥当だった。


「死んでしまいそうですよ、町に行きましょう。ミラウさん、二人おぶれますか」

「アヌボットは重いから引きずっていいならな。でもよ、パディントン軍がいるだろ。簡単に町には入れないんだよ」

「いえ、ぼくの隊がいます。ぼく、パディさんに信用されているんですよ。パディさんの隊員は、一人も残っていませんよ」


 あぁ、本当に死にそうだな、と、誰に言うでもなく、レンジャーは血の気まじりの息を吐いた。


「じゃあ、まぁ、うん。あんまり頼るのはカッコ悪いんだけどなぁ。ミラウさん、その旗を、大きく振れますか? 何分かしたら、ぼくの隊員が来るでしょう」

「なんだ、じゃあ、見られていたのか」

「ええ。一人で行くならせめて合図の旗を持っていけ、って言われて、じゃあ剣は重いからいいか、って置いてきました」


 こいつがちゃんとソードを持って出歩いていたら、今ごろ二人とも殺されていたかもな、とミラウは震えた。


 ◆


 宿についてから、三時間がたった。ベッドはふわふわだけど、さすがに飽きてきたから、少しだけ、外に出ることにした。


 バラマンディー、カラマリと、町に着く度に治安が悪くなっていくのを感じていたけど、このグラウンドタウンはそうしたことはない。少しひんやりしているが、住みづらいというほどではない。


 百年前にこの町ができた、という伝説から、グラウンドタウンは周年祭の準備中だった。中央では、こんな町の存在は知られていない。学校でも習わなかった。かといって、秘境というようなわけではなく、家々の屋根にはリボンがかけられて、通りではカラフルな服を着た人たちが小躍りをしていた。


「見ない顔だね、お嬢ちゃん。どこから来たの?」

「ないしょ」

「旅人かい。あっちでさ、この町の歴史の語り部とかもいるからさ、楽しんでよ」


 どの町でも声をかけられるのは、悪い気はしない。ダンチョーがすぐに唸って追っ払ってくれたので、旅人さんの言っていた仕立屋さんにはスムーズに向かえた。


「白色をメインにした、羽毛のモコモコの服なんてできますか」

「一日あればいけるよ」

「とびきりかわいくお願いね」


 さすが評判の仕立屋さんだな。わたしも、いつのまにか、新しい服を仕立てるのを心待ちにしている。


 宿屋に戻ると、横の部屋が、にわかに騒がしくなっていた。


「やっと合図だ。行くぞ」

「団長がぶっ倒れるなんてな。殺神か?」

「二人いるぞ。しかも、振っているのは、そのうちの一人だ」


 ドタドタと出ていくが、団長、という言葉が聞こえた。この町独自の制度によるものでなければ、トラディーの団長のことだろう。サーヤも気になったが、今反応すると怪しまれる。おとなしく待機することにした。


 クン、とダンチョーが瓶を咥えて部屋に入ってきた。どこで拾ってきたの、と受け取って蓋をあけると、お酒の匂いがした。


「隣の部屋から盗んできちゃったの?」


 少し呆れてしまったけど、フンフンと鼻をしつように鳴らすので、底の深い器についであげた。


 ダンチョーが、さあ飲もうか、というタイミングで、失礼します、と部屋に見知らぬ隊員さんが入ってきた。


「レンジャー様からの遣いで参りました。アヌボット様、ミラウ様もお待ちです。向かいの通りの病院までお越しください」


 病院、という言葉に肝が冷えた。ダンチョーと一緒に、その隊員の後について走って向かった。ダンチョーは器を咥えて、お酒をこぼさないようについてきた。


 ◆


「引き分けですね」


 レンジャーもアヌボットも、幸い致命傷ではなかった。脇を刺されたレンジャーの方が危険な状況には見えたが、これくらい慣れていますよ、と気丈だった。


「でも、あなたたちなら、この町に向かってくるだろうな、と思って、待っていたんですよ。

 シャドニー王の家族を逆に人質にとって、王に失脚を迫って、中央で師団長と真っ向から対立する、とかね。それか、もっと凄い国家転覆の秘策がある、とか」

「いや、そこまでは考えていないよ」


 そう答えたミラウに、そこまで考えていないのに、なんでこんな行動をしているんだ、というような顔をレンジャーがしたのを見て、


「ミラウは考えてないが、俺はだいたい考えていたよ」


 とアヌボットは見栄を張って嘘をついた。


 ◆


「アヌボット! ミラウ!」


 病室に駆け込むと、向かい合うベッドの片方にアヌボットが寝転がっていた。ということは、もう片方がミラウだろう、と思い、ベッドのふくらみを、我を忘れて思い切り揺さぶった。


「え、だれ、だれですか、この子は」

「あ! え、レンジャー様!」


 目の前に現れたのは、全隊員志望者の憧れ、レンジャー様だった。


「お二人を呼び捨てにするなんて。あぁ、アヌボットさんたちの親戚ですか?」

「違う、違う。まだ話していなかったけど、大事なお嬢様だよ」

「そうか、シャドニー王の隠し子か。すごい秘策だ。そりゃあ、そうでもないとあなた方も動けませんよね」


 わたしを勘違いしているレンジャー様は、何かを探るようにじっと見つめてきた。少し気恥しくなって部屋の中をキョロキョロ見渡すと、部屋の角に、腕を組んだミラウが寄りかかっていた。


「レンジャー。協力するなら、このお嬢さんの説明はするぜ」

「うーん。師団長に目をつけられたお二人に協力するのは、ちょっとうま味がないですね」


 屈託なく笑うレンジャー様は、ものすごく失礼なことを言い放ったけど、アヌボットもミラウもとくに嫌な顔をしていない。はなから、仲間につくとは思っていなかったのだろう。もし一緒に来てくれるなら、本当に頼りになるのだけれど。


「隠し子かぁ。それじゃあ、ぼくも呼び捨てで呼んでください。かしこまってしまう」


 そういうわけには、と言おうとしたけれど、レンジャー様の背中越しにミラウと目が合った。サングラスの向こうの目はよく分からないけれど、何か口をパクパクしているのは、騙せるうちは騙しておけ、ということなのだろう。


「そういえばよ、レンジャー。シャドニー王はどうなっているんだ。引き分けとかいいからさ、教えろよ。そうだ、また機会があれば、決闘してやるよ」


 二人の間に何があったのかは分からないけれど、決闘、の一言にレンジャー様、いやレンジャーの顔がほころんだあたり、それこそが望んでいたことなのかもしれない。


「王ですか。まぁ、師団長とはいえど、さすがに証拠もなく投獄はできませんよね。

 パディさんが警護を固めている間に、王が仕向けた人質解放軍を捕らえたら、めでたく罪にとえるんじゃないですかね。

 ひとつ、とびきりの朗報をお伝えしましょうか」


 いてて、とわき腹を抑えながら、レンジャーは体を起こした。


「パディさんへ、アヌボットさんの謀反や、それに伴う古城警護強化の伝令をするっていう任務は、ぼくはまだ果たしていないんですよ」

「おい、それって、どういうことだよ。この町のパディントン軍は退却させた、って言っていたじゃないか。なんて言って退かせたんだよ」

「言ったでしょう。殺神騒ぎを利用して決闘許可をもらってきた、と。パディさんには、ぼくらは殺神討伐で来たって言ったんですよ」

「すみません、話の腰を折るんですけど」

「ため口、でお願いね」


 指を立てて、気を付けてね、と言わんばかりのジェスチャーをされた。


「あぁ、えっと。その、殺神、ってあの殺人鬼の噂だよね。このあたりにいるの?」

「いや、その可能性は低い。基本的に、もっと南でしか目撃情報がない。それも、あの氷地の方だから、誰も行かないよ」

「よくパディントンがそれを信じたな。というか、お前はどうしてそんな嘘をついてまで、パディントンたちを城に退却させたんだ」

「アヌボットさんとは、タイマンしたかったので」


 ニコリと笑うレンジャーは満足そうだった。ちょっと、血を流しすぎたな、と、そのまままた布団を被ってしまった。


「寝る前によ、レンジャー先生! それはよ、今のうちに俺たちに古城に行って来いよ、っていう風にとっていいんだよな」


 もう答えないレンジャーを見て、やめとけアヌボット、こいつは賢く派閥争いしているんだから、とミラウが制止した。


 ちょうどお酒をたいらげたダンチョーが、機嫌でも良くなったのか、アオーン、と遠吠えをした。おいダンチョー、酒の匂いがするな、とアヌボットが手をひょいひょいと振ると、ダンチョーはピョンとベッドの上に乗った。


「ちょっと町をぶらついてくるわ。レンジャーも寝ちまったしな」

「ゆっくりしておけよ」

「まだ痛いのは左腕くらいだからな。ダンチョー、行こうぜ」


 と、アヌボットが店の外に連れ出した。わたしに声をかけなかったので、やはり賭博に行くのだろう、と思っていると、ミラウも、フン、と鼻をならし、背を椅子に預けた。


「団長同士っていうのは、どうにも上手く行かないもんだな。」


 ミラウは、レンジャーから聞いていた話をしてくれた。アヌボット謀反の一報をレンジャー軍が伝えていない以上、パディントン様の軍隊はまだ警戒を強めていないだろう、という話だった。


「それから、サーヤとダンチョーのことは、アデライト隊からの報告はあったみたいだが」


 少し背筋が伸びた。わたしもついに、お尋ね者か。父さんや母さんは、大丈夫だろうか。


「女と犬が砂漠にいた、というだけで、師団長はそんなものに構うな、と一蹴したらしい。

 まぁ、ウロンゴロンっていう団長だけが、砂漠に女かぁ、見てみたかったなぁ、なんて言っていたらしいけどな」


 自然と呼吸を止めていたらしく、わたしはまだ無事だということが分かり、ぶはあ、と息を吐いた。自然と笑みもこぼれた。よかった、家族も大丈夫だ。


 そのウロンゴロンは、給仕仕事のときに、黙って荷物をぶんどられたこともあり、まったくいい思い出はないけれど。わたしも家族も指名手配になっていないなら、ひとまず安心だ。


「とはいえ、俺やアヌボットが左遷されたことは知っているからな。俺たちが現れれば、その時点で警戒するだろうな。どうしたものかな」

「わたしとダンチョーだけで行くよ。ここまで守ってきてくれたんだし、あとは封筒を渡すだけだし、もう大丈夫だよ」


 あ、とミラウが大きな声を出した。


「もしかして」

「ソードはある! 荷物も、ほら、全部あるんじゃないか?」


 渡されたザックを探ったけど、たしかに、封筒だけがない。すまん、とミラウに頭を下げさせてしまったので、ミラウは悪くないでしょう、悪いのは偽団員なんだから、と言った。


「でも、もし偽団員が中身を見て、この内容は師団長に売ればこの島の政治はガタガタになるぜ、みたいなことを考えていたら、厄介なのかな」

「あぁ、それは心配するな。あいつらは皆殺しにしている」


 サラリと言われて、背筋に冷たい汗が流れた。頼りになる処遇ではあるものの、ここまで真顔で言われると少しだけ怖い。


「手紙がないとなると、話は変わってくるな。俺たちに軍隊があれば、二軍総がかりでならパディントン軍から人質は取り返せるかもしれないけどな。単身では、とても適わない。

 つくづく、敵に回したくなかったな。パディントンのやつは」


 キイ、と椅子がきしんだ。すでに半月が経とうとしている。残り半月の間に、人質を解放して、その一報をトラディーに届けることを考えると、明日、明後日には古城に着いておきたい。でも、手紙を失った以上、策を講じてからでないと、そもそも門前払いだ。


 「おーい! これを見ろよ!」


 重い空気になっていた部屋の換気をするように、アヌボットが大きな革袋を持って帰ってきた。


「やっぱりダンチョーのギャンブルは最高だ! こいつがいれば、一生金には困らねぇぜ! おい、ミラウ。お前どうせ、魔法があるから、ギャンブルなんて簡単だ、とか言うんだろう、はー、ヤダネヤダネ、まったく」

「まだ何も言ってないだろう」

「言うところだったろう」

「犬がいなけりゃてめぇは財布を空にしていたんだぞ無計画野郎め」

「うるせぇなインテリぶりやがって」


 喧嘩をなだめるのにも疲れたので、病室の窓から外を見た。プレインコーストのある西側を覗くと、もう日が暮れそうになっている。サバンナのような土地だった。より一層、寒くなりそうだな。


「そうだ。ミラウ。ひとつ、不思議なことがあってね」


 わたしは、山中での出来事を話した。ドドラデニメの一件だ。


「サーヤの直感を信じるしかないが、そいつは確かに、人がイノシシになった気がしたんだな」

「うん。でも、もう一人の気配はまったくしなかった」

「怪しいのはそこだな。ドドラデニメをできるとしたら、研究所の人間だ。だが、軍学校出の人間なんて一握りだ。気配を消せるような人材なんて一人もいないぜ。そもそも、俺でさえ、ダンチョーにも感づかれないほどは気配は消せないよ」


 深く思案するミラウだけど、途中から動かなくなった。そういえば、彼もけっして頭脳派ではなかった。


 日が暮れる直前になって、レンジャーがようやく目を覚ました。それを見てすぐに、ミラウが身を乗り出すようにたたみかけた。


「さぁ、レンジャー。

 俺たちは、この子を無事プレインコーストに連れて行かないといけない。でも、俺も、アヌボットも、パディントンの前にのこのこ向かったら、普通に警戒されちまう。

 レンジャー、お前の隊で連れてってやってくれ」


 え! と先に叫んだのはアヌボットだった。


「でも、まぁ、そうか。それがサーヤには一番か」


 そして一番に納得してしまったのもアヌボットだった。


「お前の隊員に紛れ込ませてやってくれよ。それが一番手っ取り早い。殺神騒ぎは証拠がないから帰ることにしましたよ、っていう挨拶としてなら、自然だろ」

「ふむ。この子は、パディさんか、あるいはご婦人にお目通りさせるだけで、事態を変えられるような身分なんですね」

「まぁ、そういうところだよ」


 あごを触りながら、レンジャーは右の口角だけ上げた。


「そんな人材、隠し子だろうがなんだろうが、いるわけがないでしょう。

 大方、王の密書でも持った、あまり疑われなさそうな町の女の子、っていうところですかね」


 あまりに図星だったので、わたしたちは表情を変えてしまった。


「密書さえ、パディさんに渡せば、あとは解放してくれる、っていうことですか。

 それで解放するということは、パディさんが、今や決して優勢ではない王側につくという意思表示をするようなもの。そんなこと、されますかね」

「そもそもその手紙、なくしちまったんだよ」

「本当に、どれだけ計画性が無いんですか」


 はあー、と大きな息をレンジャーがついた。


「でもまぁ、王の考えの甘さですね。自分の密書があれば団長はみんな言うことをきく、なんて前提は間違っている」


 あの日、多くは語らないけれど、と言っていた王の頼もしさが、だんだんと薄れてきてしまった。レンジャーは、わたしに向き合った。


「同行はしないよ。ぼくも、ゴタゴタに巻き込まれたくはないしね。

 きみは一人で行くしかない。上手いこと交渉するんだよ」

「交渉って。でも、パディントン様は、言うことを聞いて解放することはないんでしょう」

「急にかしこまらないでよ。話しづらいでしょう。

 それに、さ。頭をつかえばいいでしょ。きみ、名前は」

「ベル・サーヤ」


 いい名前だね、と言うと、レンジャーは隊員を一人病室に呼びつけた。


「急ぎで、これをパディに伝えてきて。

『師団長命令。

 シャドニー王危篤。王妃、王女はトラディーに一時帰城せよ。

 明後日、特命係の女、ベル・サーヤが迎えに参る』」


 その隊員は、すぐに病室から駆け出した。わたしたち三人は、レンジャーの機転や行動の早さに舌を巻くばかりだった。


「おい。いいのか、レンジャー?」

「いいも何も、ぼくはサーヤちゃんにそう騙された、っていうだけですから」


 団長同士の政治やパワーバランスには無知だけれど、それでも、レンジャーは非常に上手くやっているのだということははっきりと分かった。


「じゃあ、アヌボットとミラウは、どうするの」

「それは三人で考えてくださいよ。自由のきく伝令内容なんですから。一日余裕も持たせましたから、お二人はもう一回頑張って山を戻って、カラマリ経由でも古城に行くのもいいですよね。

 さ、あとは、あなたたち次第です。

 ぼくは、もうひと眠りしますよ」


 ゴロン、とレンジャーはまた寝転がってしまった。


 もしレンジャーの言う通り、わたしが一人で先に陸路で古城に向かって、アヌボットとミラウはカラマリに戻ってそこから舟で行くのだとしたら、二人は明日朝には出発しないと、古城でのタイミングが合わない。急いで何か作戦を考えないといけない。


「俺が女装して、俺がサーヤってことで行こうかなぁ」

「それは無理がある。ダンチョーに紐をつないで、たまたま通った旅人の設定でいこう」

「それだったら、俺かミラウ、どっちかしか行けないじゃないか!」

「猛犬だから二人がかりなんです、でどうだ?」


 切れ者のレンジャーの作戦を聞いた後だからなおさら、一晩の間に、この二人の頭脳に頼って妙案を考えないといけない、という事実に底深い恐怖を覚えた。


 封筒はない。レンジャーの伝令がパディントンにキチンと伝えて、わたしとダンチョーが入城できるように計らってくれていると信じるしかない。


 無事王妃と王女を解放できれば、そのあとは? いや、そのときに考えよう。


 ざっくりと、王様がどうやって師団長陣営と対峙して、中央政治のイザコザを丸め込むか、というところが問題になるのだから、わたしが今ここで考えてどうこうなる話ではない。


 もう一つ気になるのは、殺神騒ぎだ。


 まったく気にしていなかったけれど、出没するという噂の場所には近づいている。いや、大丈夫だろう。人質解放ができれば、あとはゆっくり、トラディーへ帰ればいいのだから、氷地を通る必要はない。


 でも、結局、わたしは古城まで最短距離で進むことなく、この島中をグルリとまわっている。もしかしたら、また何かが起きて、氷地にも向かうことになるかもしれない。もしそうなるなら、せめて、全て終えて気楽な状態で行きたいな。


 ◆


 その頃トラディーでは、ついに団長会議が開かれていた。団長同士が結束しないようにわざわざメルボネが廃止した、あの団長会議であった。


「四人か。まぁ、こんなものだろう」

「ピースがまだですが」

「あいつは師団長の贔屓だからな。都合が悪い」


 長机に、本来であれば五人同士が向かい合えるように椅子が並べられていた。その端には師団長の席も用意されているが、まだ来ていないようであった。


「メルボネ様が来られる前に、ちょっと話がある」


 会議を指揮するのは、当然ジョルドコーストであった。残る四人のうち、二人は彼の腰巾着のキャンビーとカンガロで、あとはウロンゴロンだった。メルボネの直轄軍を引く継ぐほどなので、さすがにジョルドは別格の立場であった。


「アヌボットとミラウの左遷。団長内の決闘をさせるためのアデライトの派遣、それの失敗で団長を一人失った。いくらなんでも、団長を都合よく扱いすぎではないか? 俺たちも、師団長の顔色を伺いながら立ち振る舞わないといけないなんて、おかしいと思わないか」


 ジョルドは、少し声をひそめながら、メルボネを責め始めた。


「それだけじゃない。王様のご家族も、半ば流罪のように古城へ送り、大事なパディントン軍をわざわざその警備に使っている。自分の地位を守るために、この国の国防というのを放棄している。メルボネは、もう、師団長の器にはないのではないか?」


 もちろん、ほとんどは綺麗ごとであった。ジョルド自身も、トラディーだけを守れるような軍備体制を整える、現状維持の施策しか考えていない。つまるところ、行う政治の方針はメルボネとなんら変わらなかった。ただ師団長になりたいだけであった。


 腰巾着のカンガロもキャンビーも、うんうん、とうなずきながら、ウロンゴロンにも同調を迫った。


「俺は、別にどっちでもいいよ。ジョルドが勝ちそうならつくさ」

「ウロンゴロン。きみがつけば勝つ。頼りにしているよ」


 そう言われれば、ウロンゴロンは悪い気はしなかった。ジョルドはもう一押ししようと思ったが、そこにメルボネとピースが入ってきた。


 メルボネは、自分がいない間に団長同士が何か話していた、ということに非常に不機嫌になった。それでも、咳ばらいをして、会議の指揮をぶんどった。


「精鋭たる諸君、久方ぶりの団長会議だが、よく集まってくれた。

 現在、西はアヌボットの謀反、南は殺神騒ぎと、わたしの師団長就任以来の危機が迫っている。アヌボットについては、レンジャーがパディントンに伝令に行ったし、もし遭遇すれば、その足で殺神討伐もするとは言っている。

 だが、南は南で、ミラウも謀反をするかもしれない。わたしの采配に逆恨みをしているかもしれないからな。確実に、南側の問題を解決しておきたい」

「レンジャーの帰還を待ってからでいいでしょう。決闘許可を出しているのですから、謀反があれば対応できるはずです。いくらなんでも、中央から団長をそう何人も派遣するのは、いかがなものかと」

「いや、不安だ。この中でだれか南に行ってくれないか。ひとつずつ潰していこう。そうだ、ミラウ討伐からだ」


 会議の意味がないじゃないか、とジョルドは内心憤慨した。ジョルドとしても、先ほど三人の団長の前で啖呵を切ったこともあるので、メルボネの意見に全面賛成はせず、かといって主張もしすぎず、いったんうやむやにして会議を終了させた。


 会議室解散後、ジョルドはウロンゴロンに耳打ちした。


「次の会議で、十中八九、きみが南の討伐に向かわされるぜ」

「そうだろうな。まったく歓迎しないが」

「生きて帰ってこい。適当にやりすごして帰ってくるだけでもいい。俺がうまいことやるから」


 ジョルドは既に師団長になったような口ぶりだった。中央は、まったくひとつになっていない。


 サーヤの危惧している最悪のビジョンは、もうすぐそこだ。中央政治が揉めている間に、偽団員騒ぎに対抗するために遠国と手を組んだカラマリや、そこと交易する木曜岬や砂漠の町バラマンディーが、肥沃な土地を求めてトラディーに攻め込めば、一巻の終わりだ。


 誰が救えるのか。それは当然、いま島中を駆け巡っている、闘志豊かな、力強い一人の少女だ。

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