第八章 バンガーズ山脈を越えろ
草木を手でかき分け、足で踏み分ける。日光が届いて、足元が視認できることは助かるけど、岩や太い木の根が露出している足元はどうも悪い。ダンチョーはやはり、ピョンピョンと先を進んでいく。山道を歩くのは、人生で初めてだ。
ワンピースのままだったらとても危なかった。トラディーを出たときの、軍学校の服装に戻しておいて良かった。少し重いけれど、手持ちの服の中で、一番動きやすいのはやはりこの恰好だ。
盗まれた荷物を取り返すアヌボット、ミラウと分かれて、わたしとダンチョーは、旅人さんを先頭に、先に山脈へ挑んでいた。グラウンドタウンに着くまでに、中央で目をつけられているミラウとアヌボットと一緒にいるところを見られない方がいい、ということでの分断だけど、アヌボットはわたしをだいぶ心配していた。
「毎晩鍛えてくれたでしょう。グランドタウンで会おうよ。胸を張って待っているよ」
と強がって見せて、まぁ、それもそうだな、とようやく引き下がってくれた。二人がいないのは不安だけど、でも、自信を多少はつけてきたのも事実だ。
とはいえ、なかなか険しい道のりだ。足が沈む砂漠もかなわなかったけど、山道もそれに匹敵する辛さがある。ツルツルすべる草がへばりつくように生えた岩や石を踏みながら、相当な勾配を登っていく。
なんども両手をついて、四足歩行のようにも歩いた。人間が動物になるのがドドラデニメなんて言っていたけれど、登山をすれば、みんな動物みたいになる。
「少しだけ、休みましょう」
わたしから提案して、やっと休憩が叶った。旅人さんはというと、ぼくは少し先の様子を見ますね、と胸を大きく反らして伸びをしてから、スタスタと行ってしまった。
わたしはダンチョーと一緒に、大きな石に腰を下ろした。ダンチョーはわたしの足元で土を掘っている。なんだかどんどん犬じみてきている。
アヌボットとミラウは、きっと今ごろ首尾よく、わたしたちの荷物を取り返してくれているはずだ。わたしは先に町に入って、宿で二人を待つ。
ただ待つだけじゃなくて古城の情報は集めておくよ、と言うと、必ずパディントンは何人か町に潜ませているから、嗅ぎ回るのは危険だ、宿で待っておくだけの方がいい、とミラウも心配してくれた。二人にとっては、わたしはいつまでも子どもなのだろう。
確かに、わたしが戦っているところを、まだ二人に見せたことがないから当たり前か。隊員登用試験だけでも見てくれていたら、少しは見直してくれたかもな。
土を掘っていたダンチョーの動きが止まった。耳をピンと立たせて、茂みの向こうをにらみ、ウウ、と唸り始めた。
ソードに手をかけた。たしかに茂みの向こうに何かを感じる。偽団員だろうか。旅人さんはどこだ。彼を守らないと。
茂みが大きく動いた。その動きには、殺気もあったが、人の気配は一人分しかない。迎え撃つ準備はできている。血は高ぶってきたけど、肩に力は入らず、最高のコンディションだ。
「おいおい、バレたのか。さすがだな、その犬は」
茂みから、どこか観念したかのような雰囲気で一人ノコノコと出てきた。
「これはわたしたちの呼び方だから、言っても分からないと思うけど、あなた、偽団員、だよね」
「分からないな。まぁ、俺たちの一派をひとくくりにそう読んでいるんだとしたら、そしてそれが、あまりに強い泥棒、ってことなんだとしたら、そうだろうよ」
「このワンちゃんのことを知っているの? じゃあ、他の偽団員とは違うってことか」
「知っているもなにも、その犬のために来たんだから」
そこまで言ったと思うと、突然、彼は後ろ向きに茂みに倒れこんだ。まるで誰かに首根っこをつかまれて引っ張られたみたいに。もう一人いたのか? いや、気配はまったくしない。
不思議な、いや、不気味なことが起きた。茂みの先から、彼の靴が脱げるところが見えた。そのすぐ後に、茂みの低いところから、イノシシが出てきた。
まるで、目の前でイノシシになったみたいに。
勘違い? 見間違い? でも、さっきの偽団員の気配が消えて、代わりにこのイノシシが出てきた。人が動物になるなんて? いや、この現象を、そんな見間違いだと片付けずにすむ一つの事象を、わたしはつい最近知ったばかりだ。
「ドドラデニメ」
すばやく抜刀した。イノシシ相手には必要ないけど、偽団員相手なら必要なことだ。でも、拍子抜けするくらい、イノシシは突っ込んでこない。どういうことだろうか。
何か匂いを嗅いでいる。イノシシの嗅覚は人間より鋭い。でも、目の前にわたしがいることくらいは視認できているだろう。なんで、まだ突っ込んでこない? いや、よく考えれば、彼は本当に敵だろうか? 人間であればそうだけど、今この姿になれば、そうとは限らなくなるのでは。
誰がこの一瞬で、彼にドドラデニメをかけたのか。優先して考えるべきはそっちだ。素早く周囲に視線で探りを入れる。遠くに、旅人さんの雰囲気を感じる。今大声で呼びかけて、こちらに来てしまうと危険だ。そのままにしておこう。
そんなわたしの集中を邪魔したのは、イノシシだった。一通り匂いを嗅ぎ終わったのかと思うと、わたしの目を確かに見つめて、一直線に突っ込んできた。牙は信じられないくらい長いし、太い。このままだと、わたしの両足には拳より大きな穴が二つ開いてしまう。
危ない、と思うより前に、ナイフを咥えたダンチョーが前に立った。イノシシの突進に、犬が正面から対抗できるだろうか。そんな心配はいらなかったようで、ダンチョーは右にサイドステップを踏んだと思うと、一瞬でイノシシの脇腹につっこんで、ナイフを突き立てた。
いや、ダメだ。イノシシが加速して、ダンチョーの一撃は空振りに終わった。動物の速さじゃない。ドドラデニメが本当なのだとしたら、まるで、体がイノシシに馴染んだかのように、突然の加速だった。
どうしよう。わたしも横に一度かわそうか。そのあとは? 結局、突進しかしてこないとはいえ、正面で受けることができない以上、さっきのダンチョーと同じように、脇腹をドンピシャで狙うしかない。
でも、あの鋭利な牙が一瞬でも横を向けば、わたしの両足の膝から下は断ち切られてしまうだろう。その上、だんだんと加速していくこいつ相手に、どこまで現実的な作戦なのか。
今のうちに、仕留めるしかない。大丈夫、わたしは、パワーには自信があるのだから。
ソードを両手で真下に突き立てて、両足を肩より広げて踏ん張った。このまま突っ込んでくれば、ソードが折れるか、あるいはこいつが真っ二つになるかだ。それから、もう一つ、可能性がある。
イノシシは直前で横に跳ねた。やっぱり、ギリギリ知性が残っている。でも、それも想定できていた。それくらいの動きは、ダンチョーからいやというほど教わっているから。
「吹っ飛べ、化け物!」
突き立てたソードを軸にして両足を浮かせて、回り込むように、真後ろから最大出力で蹴り上げた。おなかを真後ろから蹴り上げられて、イノシシは宙に浮いた。今抜刀すれば、落ちてくるまでに真っ二つにできる。
あれ。手に力が入らない。ソードが抜けない。
わたしがもたついている間に、ダンチョーが猛然と駆け飛んできて、空中で脇腹に一刺しをくらわせた。
腰が抜けてしまったわたしは、血の泡を吹いて横たわったイノシシを前にして、ペタンと尻もちをついた。
「ダンチョー、ありがとう」
首の下をなでた。ふわふわの純白の毛には、返り血ひとつ浴びていない。戦い方がスマートなのだろう。
それに引き換えてわたしは情けない。あいつが突っ込んでくる分には、真っ二つにしてやる、なんて算段をしていたのに、自分の手で真っ二つにする、ということには、どこかためらいがあった。ソードを引き抜くことすらできないだなんて。
「あ、そういえば、もう一人は!」
うなだれている場合じゃない。こいつにドドラデニメをかけた犯人を探さないと。でも、ダンチョーは唸ることをやめて、しゃがみこんだわたしの太ももに寄り添ってきた。もうこのあたりにはいない、ということなのだろう。
旅人さんはようやく戻ってきたかと思うと、
「わあ、大きなイノシシ。仕留めたんですか?」
とのんきに拍手をした。まるきり殺気もない。疑う余地もないな、と思った。
◆
サーヤが偽団員と対峙しているちょうどそのころ、荷物を奪った偽団員が待ち構えている例の丘に、アヌボットとミラウが二人で入った。カラマリで簡単なソードを調達したアヌボットを先頭として、ずんずんと進んでいった。
「ずいぶん急ぐな」
「そらぁ、サーヤが心配だからさ」
「一応は、戦えるくらいは動けるんだろう?」
「まぁそれはそうなんだが。でもよ、実戦はまだ見てないんだよなぁ」
そわそわしながら、それでも早足で前を行くアヌボットを見て、保護者かよ、とミラウはぼそりと言った。
「急ぐのはいいけどよ、ここらはあいつら偽団員のテリトリーなんだ。少しは用心しろよ」
「四人だろ。まー、なんとかなるだろ」
まったく用心せずに上の空のアヌボットを我に戻したのは、彼を呼び捨てにした、少し震えるような声だった。
「アヌボットだなっ」
その声は、偽団員たちのものではなかった。
目の前にいる三十人ほどの隊員は、トラディー軍の恰好をしていた。ミラウは小声でアヌボットに、お前がぶっ殺したアデライト団下の隊だ、と耳打ちした。グレネとは別、モヅブリー隊長の隊だ。
「先にお前らが来るとはなぁ。俺の討伐か? 三十人、ってところか。一隊まるまる出動なんてよ、徹底してつぶしに来たな。中央の警護もほっぽり出しやがって」
アヌボットはすぐにソードを抜いた。恐らくモヅブリー隊としては、アヌボットが抜く前に襲うべきだったが、威圧に気圧され、抜かせてしまった。引き分けの可能性はあれど、すでに勝利の可能性はついえた。
「おい、後ろにいるのはミラウ様だ」
モヅブリー隊は、アヌボットだけでなく、ミラウにも気づいたようだ。
「元々、アヌボット団長の次はミラウ団長の予定だった。どうする?」
彼らが、アヌボットとミラウを一緒に片づけてしまおうと考え始めた一方で、アヌボットたちは少し焦っていた。例の偽団員四人と、中央から追ってくる軍隊とを同時に相手するのは骨が折れる。あるいは疲弊して負けるかもしれない。
「ミラウ。いったん、退くぞ」
アヌボットの耳打ちとともに二人は後ろへ駆け出した。以前のサーヤがとった戦法と同じであるが、集団を間延びさせて、少しずつ倒していこうとしたのだ。この作戦は、相手が追ってくるというのが前提条件だ。それでもモヅブリー隊なら、せっかく討伐対象に出会ったのに取り逃がした、ということは避けるために必ず追ってくるだろう、と判断したのだ。
しかし、そう期待した判断の割に、追っ手の姿がすぐに見えなくなった。
「おい、アヌボット、様子がおかしい」
走りながら、ミラウが叫んだ。誰もついてこない。その上、悲鳴のような叫び声も聞こえる。二人は踵を返しながらブレーキをかけた。
「なんだ、今の悲鳴?」
「もしかしてだけどよ、偽団員か?」
アヌボットの直感は合っていた。偽団員により、モヅブリー隊が壊滅させられていた。四人の偽団員が、血まみれのソードを片手にゆっくりと丘を下りてきた。
「四人で三十人の隊を全滅か。それも、一瞬で」
アヌボットの口角が上がった。偽団員のあまりの強さに、呆れ笑ってしまっていた。
「ミラウ。あんた、そのアヌボットってやつと組んでいるのか」
「当たり前だろ、俺は団長だぜ」
仲間面をされたミラウは彼らを突き放した。
「アヌボット、偽団員退治はしたことあるか」
「タイマンはあるな。あいつら、中央軍よりお強いようだぜ」
「一人あたり二人倒せばいいんだ。気合い入れろよ」
四人は一斉にぴょんと飛んだ。かと思えば、目の前から姿を消した。
「出たぜ、ミラウくん。偽団員のお家芸だ」
「速いのは初速だけだ。その後は、集中したらなんとかなる」
「背中合わせになるか?」
「お断りだ」
アヌボットは右にピョンと跳び、何もないはずの空間を思い切り斬りつけると、一人の団員の背中を切り裂いていた。
「お前はほかのやつより遅かったな。疲れか?」
その瞬間に、アヌボットの両脇から、膝より低くしゃがんだ二人の偽団員が飛びかかってきた。今斬られた団員も、背中に鉄板を仕込んでいた。どうやら、囮だったようだった。
「読めていたよ。でもよ、三人がかりは足りないぜ。あと一人も来るべきだったな」
その動きを予期していたアヌボットは、左側の偽団員には、返すソードを上に切り返し、右側には後頭部を狙って回し蹴りを繰り出していた。
切りつけられた団員はなんとかソードでそれを受けたものの、右手については迎撃を予期していなかったようで、もろに直撃して、泡を吹いて卒倒した。岩も割れる威力の蹴りで、骨は粉々に砕けていた。
初めの囮となった偽団員は、一番何が起きたか分からなかったはずだ。初めの一撃で、鉄板を叩き割られていて、すでに彼の背中は致命傷を負っていた。それに気づく間もなく、絶命した。
「もう一人はこっちか。なめられたものだな」
ミラウは、襲撃前に攻撃を与えられるほどではなかったが、偽団員の攻撃はきちんと受け流し、すぐに魔法で視界を奪っていた。そして余裕をもって、首を一刺ししていた。
アヌボットの斬撃をなんとか受けきった唯一の偽団員は、すぐに退却を選んだ。しかし、すでにミラウの魔法の射程範囲内だった。戦意をそがれた彼は、アヌボットに胸倉をつかまれて右ストレートで気絶させられた。
「どうだい、ミラウ。追っ手も、偽団員もこれで解決だ。こいつが意識を取り戻したら、荷物のありかだけきくぜ」
「出来すぎだがな。良かったよ。早めに意識が戻ればいいがな」
先に行くサーヤとダンチョーに追いつくことをきちんと考えた二人が、さすがに咄嗟では、パンチも魔法も、威力のコントロールができなかったようで、彼の意識が戻るのには三十分以上かかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます