第六章 港の足止め
カラマリは、トラディーと同じくらいに栄えていた。城があれば、第二都市だ、と言われても信じてしまいそうだった。港には、トラディーにはない、大型の帆船も何隻か泊まっていた。
「すごい、こんな遠くにも、町があるんだ」
「治安は最悪だがな。軍制度は無いに等しい」
サーヤのふわふわした感想にミラウは現状を突き付けた。トラディー以外の町で治安がいい町があるのだろうか、とサーヤは訝しんだ。
海が近く、夏の涼しさとは打って変わり、このカラマリは冬のような湿った暑さがあった。ジメジメする、暑い暑い、とサーヤもアヌボットも愚痴をこぼした。ミラウは仕方なく服屋に寄ることにした。
アヌボットはシャツを変えるだけで済ませたが、サーヤは店員に言われるがまま、コットンの濃い青のワンピースを着て、結構気に入った。
ずっと軍学校の制服を着ていて、給仕の服さえ鬱陶しがっていたものの、こうして色んな服を着るということに楽しみを覚え始めていた。
薄着になった二人を連れて、ミラウは自分の宿に入った。
「どうした、黒メガネさん。何日も急に空けて。あんたが大金払いじゃなかったら、全部没収していたぜ」
「悪い、悪い。追加で払うよ」
受付も柄が悪かったが、ミラウは自分の部屋のカギを受け取り、ギイギイと鳴る木の階段を上った。
「ここだ。結構広いだろ」
ほこりっぽい部屋だったが、椅子が何個もあって、大人四人くらいはのんびりできそうな広さだった。机の上には、十冊以上の分厚い本が重なっていた。
「それで、何から話す? パディントンたちがどうやって山を越えた、か? さっきの魔法か? その犬についてか?」
「時間はある。全部、は無理かぁ?」
「お前たち次第だな。まぁ、先に、犬のことは言うよ。俺も無関係とは言い難いしな」
サーヤは、このミラウの態度から、まだ信用されたわけではないと悟った。彼に信用してもらうためのカードはもう残っていない。ミラウの話を聞きながら、何の話をすれば、残りの二つの話をしてくれるのだろうか、と気が気でなかった。
サーヤはなんとか交渉しないといけない。彼女が、無事シャドニー王の家族に会うには、師団長から左遷されたこの二人の協力が必要になるはずだ。ただでさえ、護衛する団長を調略するための、王からの封筒を盗まれたのだ。
焦るな。なんとか、わたしたちの行動は彼の利益にもなる、と気づいてもらうんだ、と、サーヤは気を引き締めた。
「犬のことは俺も気になっていたよ。
よし、サーヤ。ちょっと長くなるけどよ、盗士の話からしてやるよ」
アヌボットはまずサーヤの方に椅子を向けて、話はじめた。
「まぁ、噂レベルだけどよ。何十年も前、まだ軍なんて制度がちゃんとできてない頃。盗士、っていう制度があったらしいんだ」
アヌボットの話は、木曜岬で話した、古城の大寒冷の話ともつながる。
古城と言われることから分かるように、バンガーズ山脈を越えて西海岸のプレインコーストが中央政権を担っていた時期があった。中央政権、と言っても、今のトラディーと同じで、その町の周辺しか実質的に統治していなかった。それでも、島内では抜きんでた存在だった。
しかし、夏場の冷え込みが厳しく、また人口が増えるにつれて、手狭になってきており、そこに大寒冷が重なったことから、東海岸まで大移動をして、今のトラディーを建設したのだった。
今では、古城・プレインコーストは、西と南は海、北と東は山脈に囲まれていて、陸の孤島のようになっている。
「軍備を整えようにも、東海岸はずっと平和でな。緊急性なんてないから、とりあえず動ける遊軍みたいなものを作ろう、っていうことで、少数精鋭、ほんの少しだけ、盗士っていう集団をつくったらしいぜ」
「そんな大事な話なのに、全部、噂みたいな話なのね」
「師団長は詳しいみたいだけど、教えてくれないんだよな。団長で何人か聞いたことがある、ってレベルなんだよ。盗士の存在は」
「なんでそんな名前にしたの?」
「このトラディーを奪い取る! みたいな感じじゃないのか」
「元々人は住んでいなかったんでしょ、トラディーは。何から何を奪うの」
そんな難しいことは分かんないよ、と言いたげに、アヌボットはサーヤを制した。
「まぁ、まぁ、話を進めようぜ。
それで、少しずつトラディーの町も形成されて、軍備を整えたんだ。その当時の盗士を団長とか隊長にして、今の体制を作っていった。で、名称を変えよう、ってことで、今はそんな名称はなくなった、って話なんだけどよ。
でも、盗士を名乗り続けているやつらが、ひっそり存続している、っていうのがもっぱら噂だったんだよ」
師団長もそうだが、王も直属の軍団を持たない。しかし、いざというときに師団長には、十人の団長がついてくる、はずだ。
しかし王は、そんな師団長から見放されたら一巻の終わりになる、ということで、十人の団長に対抗できるように、盗士が未だ隠密軍団として控えている、という、信じてしまいそうな噂だった。
「この犬、王からよこされたんだろ? アヌボットも言っていただろ。盗士は団長が二人いて、賢の団長と、愚の団長。こいつは、愚の方なんだろうよ」
「え、話が飛躍しすぎじゃない? ダンチョーが、本当に団長?」
「そうだよ、ありえないんだよ。なのにミラウお前、なんで信じたんだよ! やっぱりバカなのか?」
アヌボットにあおられたというのに相手にせず、ミラウはサングラスを外して、思案していた。その目はわたしと同じような、薄いブルーだった。
「魔法の話、をしないといけないんだな、やはり」
ミラウは、色々と考えながら口を開いた。
研究所は、正式名称をトラディー魔法研究所と言う。魔法、という言葉から想像する事象には、何があるだろうか。ステッキを振ったら炎が出る。魔方陣を地面に書けば武器が創出される。呪文を唱えれば星が降ってくる。すべて夢のあることだが、この研究所での魔法も、それら夢のある事象を内包はしている。しかしメインは、別のところにあった。
「さっき、お前らに見せたのは、魔法だ」
「目の前で初めて見ちゃった」
「あれだな、手を合わせて、長ったらしい呪文を唱えるとか、そんなんじゃないんだな」
「そうする奴もいるよ。俺は、あの程度ならそんな儀式めいたことはいらない。
いいか、魔法なんて言葉が仰々しいが、要は、思念を放出して、何かを引くんだ」
ミラウの言葉を借りるなら、魔法の可能性は無限だ。
炎も、武器の創出も、星も降らせることは可能性として否定しない、と言う。たとえば、強く、目の前の人間に、戦うのをやめろ、と強く願い、その思いが空気を伝って、相手に届いて、作用すれば、戦意をなくす、というのが、ミラウの語った、先ほどの魔法のカラクリだった。
「そんなので、できるのか? じゃあ俺もできるじゃねぇか」
「思いを放出するには、放出元が必要だ。杖で相手を指すのは、その典型例だな。俺はさっきのなら、指をさせば放出できる。未熟だとしても、さっきの偽団員みたいに、直接触れれば作用させられる」
「教えたのかよ、偽団員によ!」
「俺は俺が死なないためなら命乞いでもなんでもするよ」
◆
「まぁ、研究所なんていうのは、炎だとか雷だとか、そんな物騒なものは研究していないよ。ちゃんと、国に貢献することをしているよ。誇りをもってな」
その研究というのが、先ほどミラウが披露した、戦意をなくす、というものだった。争う気力がなければ、どんな騒動も起きない、という信念をもって研究所は開発を続けていた。
「へぇ、ご立派だな。あぁ、言い方が気に食わなかったらすまねぇ。本気で感心しているよ。で、この犬と何の関係があるんだ」
「聞いていて思わないか? この魔法は危険だ。俺たちに悪意があれば、戦意をなくした相手を一方的に殺害することだってできる。だから、この方法は採っていないんだ。当然、これまでもいろんな魔法の開発がされてきた。視界を奪うとか、動きをとめる、とかな。
それで、俺もこれは伝聞だけどな、昔、『人間でなければ、いいんじゃないか』って開発されたものがあるらしいんだよ」
サラリと言ったその一言に、少し脂汗をかいた。
「それが、禁忌、ドドラデニメだ。人が犬になるなんて、まったく信じられないが、ありえるとしたら、ドドラデニメだ」
ドロリとかいた脂汗は、手のひらの中に流れている。
「ドドラデニメの実験として団長が選ばれる、なんてことは考えられないんだけどな。
でもな、あるいは、罰か何かで実験対象にされた、なんてこと、と言われると、それは否定できない。
さっきのお前たちの話だけどな、団長かどうかはさておき、犬にできることじゃないだろ。殺人的なタックル、ナイフを扱う、危機管理、あと、ギャンブルだとか、その、女好きか」
指さしたミラウの先で、ダンチョーはまたわたしのすねの周りをぐるぐるまわっていた。
「じゃあよぉ、魔法でさ、犬に魔法を使ってそこまで鍛え上げた、なんてことはないか?」
「そこまで万能じゃない。魔法は、何かを足すことは、できないと考えている。戦意をそぐとか、視界を奪うとか、基本的にはマイナスの作業だ。お前の足も、損傷した筋肉を復活させた、なんてことはしていない。痛みを引いただけだ」
その説明だと、今足元にいるダンチョーについての説明ができない。
「人を動物にする、って、マイナスの作業なの」
「マイナスだ。人間性を消せばな」
そして、ここからがドドラデニメの恐ろしいところだ、と、一呼吸おいてからさらに続けた。
「戦意なら、引いたところで、時間とともに、またメラメラと元に戻ることもあるだろう。
でも、人間であること、なんて、人間の根幹そもそもの部分引いてしまったらどうなる?
魔法は、何かを足すことはできないって言っただろ。二度と元には戻れない」
ダンチョーは、お腹を天井に向けて、我関せず、と言わんばかりにゴロゴロし始めた。わたしたちが何の話をしているかは、理解しているはずなのに。
「だから、強い人間を犬にした、じゃなくて、逆に犬にそんな強靭な力を付与する魔法をかけた、なんてのはまず不可能だろう。足すことはできないから。
あり得るとすれば、この犬が、マジで、団長かどうかはさておき、元々が相当な手練れの人間で、ドドラデニメをされた、ってところだ。
そして本当に元人間なのだとしたら、それができるのはドドラデニメしかない」
そこまで一息で言うと、ミラウはふうと呼吸を整えた。
「なぁダンチョー、文字を書くとか、なんとかできんか」
アヌボットは覗き込むようにダンチョーを見た。たしかに、真実を知るのはダンチョーだけだ。本当に人間なのかの証明はできないし、そもそも、魔法で犬に変えられた人、なんてことを信じるという高すぎるハードルがあった。
でも、ミラウは既にそうだと思い込んでいそうだし、わたしも、恐らくアヌボットも、これまでの動きから、人間で、それも盗士の団長という伝説の存在ではないか、と信じ始めていた。
「賢の団長、だったら最高なんだけどよぉ」
「ギャンブルだとか女好きとかの時点でありえないだろう。
なぁ、アヌボット。これは推測なんだが、いま島中を暴れている偽団員、これはな、そのときの盗士なんじゃないか。団長だけが王に保護されて、残りは解散させられて、島中に追放されて、それでずっと狼藉を働いている、みたいな。
そうだとすれば、おい、アヌボット、南の殺神の話は聞いているだろ。絶対、偽団員の親玉だ」
アヌボットはどうもピンときていないようだけど、ミラウは自分の推測を信じると、少し周りが見えなくなるようだった。殺神、という言葉にも聞き覚えはあったけど、そこを突っ込み始めると長くなりそうだったので、本題に入った。
「えっと、話は長くなったけど、いろいろ教えてくれてありがとう、ミラウ、アヌボット。
それでね、話した通り、王の家族が危ないの。なんとか、助け出さないといけないの。だから、この山を越える方法を知りたいの」
「あぁ、そうか。まぁ、だけどな、それに乗っかるメリットが、俺にはあんまりないんだ」
「おいおい、ミラウ。そりゃねぇよ」
「いや、何というかな。別に、パディントンがどうやって行ったかは教えてやれるがな。役に立たないと思うぜ」
ミラウは椅子を立って、伸びをした。長話をした。
「ほら、窓から船が見えるだろ。あれだよ。あいつら、船で行きやがった」
「おい! その手があったか!」
「すごい! アヌボット、お金、まだ残っている?」
「足りなきゃ、またダンチョーと稼ぐさ」
「落ち着け。だから、この情報は、役に立たないんだって」
ミラウはこっちに体を向けて、両手で、落ち着け、とジェスチャーした。
「まぁ、少し話は変わるが、王も意地悪だな」
ミラウはそう言うと、わたしに視線を合わせた。
「この状況下だ、王の動向なんて見張られているだろう。城を抜け出して、誰と接触したかなんて簡単に把握されると思うがな」
「師団長の命令なんて誰がきく? まぁ、ジョルドくらいか。あいつは忙しいからなぁ。無理じゃないか」
「数人常に尾行させることくらいできるだろう」
アヌボットは本当にそう思っているのか、わたしを心配させないようにそう言っているのかよく分からない。でも、父さんと母さんに危険が及ぶ可能性は、王様が否定してくれたのだから、信じるしかない。
「確実に成功させたら大丈夫。まずは、封筒を取り返さないと」
◆
「どうやってミラウを説得したんですか」
「なに、あいつの弱みは、出身だ。研究所がらみで脅せば一発だよ」
城の通路でジョルドにそう答えたメルボネは、一か月前のミラウとのやり取りを思い出した。
「地図作成のために、南の氷地に単独で調査に行ってくれないか」
「なんで単独なんですか? おかしいでしょう」
ミラウもアヌボット同様、一か月前にメルボネに呼び出されていた。
「殺神騒ぎもあるからな」
メルボネはここで、実際に中央軍が抱えている問題を引き合いに出して、ミラウの重い腰を上げさせようとした。
アウスリアの抱える問題は、もちろんトラディーがこの島の地図もろくに作成しきっていないということもあるが、治安面では、偽団員が島中で跋扈していること、それがついにトラディー城下町にも現れ始めたこと、というのが最たるものだ。そしてその偽団員騒ぎの延長線上の噂として、
「南の開拓の失敗だが、一人の偽団員にやられたらしいぞ」
というものがあった。
トラディーの人口過密問題解消のために、町のすぐ北の開拓を成功させて、ラムシティをひらいたのはアヌボットだった。
そして南側をまかされたのは、ジョルドコーストの腰巾着のような団長、カンガロとキャンビーだったのだが、隊長三人を含めた軍の十五人が殺害されて、開拓は頓挫されたのだった。
当然中央軍のメンツもあるので、そんな死亡の事実や数値は公表されず、開拓中止の報くらいしか町には届かなかった。それでも、開拓のために派遣された町の人々からの噂で、
「たった一晩だ。夜中に遠くから、金属の音がたくさん聞こえてきた。何事だと思ってテントを出たら、目の前に、ソードを握ったままの腕が飛んできた。
何をしている、逃げろ、もう十人は殺されたぞ、って仲間が叫ぶものだから、必死に走って逃げてきたのさ」
という、半ば信じられない噂が広まったのだった。北のラムシティの開拓時には何も起きず、南側では起きたということは、南にあるという氷地に侵攻したと思われて何かが起きたのではないか、たたりではないか、神ではないか、と噂にはストーリーが肉付けされていき、最終的には
「殺神がいる」
という恐れを成す噂話が形成された。
「そんな話を信じているのですか」
「隊員をごっそり連れて行って刺激させたらダメだろう」
「それでも、単身任務なんて前例をつくれば、ほかの団長を委縮させる可能性が」
「なぁ、ミラウ。研究所の予算を決めているのは誰だ? 俺だろう?」
そこまで言えば、ミラウが断らないのは分かりきっていた。
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