第四章 沈黙の木曜岬と、大寒冷

 長い間眠っていたようだ。のどがイガイガする。肘を使って上体を起こしたけど、お尻、あと股関節が固い。寝すぎたときの痛みだ。


 やけに固いベッドだ。ここはどこだろう。わたしはたしか、砂漠でアデライトたちに追われて、それから、意識を失って。


 アン! と吠える声がした。まだ下半身がカチカチで動かないから、ゆっくりと、上体を折り畳むように、ベッドの下をのぞいた。ダンチョーが、眠そうではあるが、床で尻尾を振っていた。


「ダンチョー、わたし、生きているね」


 手をのばして、緑のたてがみをさわさわとなでると、安心したようにダンチョーは眠り始めた。


 床は砂利が混じっていて、とても清掃されているとは思えなかった。グルリと見渡すと、何台かベッドがあるようだけど、部屋にはダンチョー以外誰もいない。安宿、だろうか。いや、もしかすると、アデライトたちに捕らえられて、ここは牢屋なのかもしれない。


 牢屋だとすれば、今は逃げ出すチャンスだろう。幸い、ザックもポーチもベッドの下に置いてある。膝から下に、少しずつ血が巡ってきた。よし、動ける。


 部屋に唯一あるドアから顔を出してのぞくと、廊下に繋がっていた。この造りだけだと、ここが安宿なのか牢獄なのかは分からない。


 仕方ないので部屋に戻って、窓から外を見た。どうやらここは一階のようだ。外から入ってくる空気は、さっきまでの砂漠の空気とあまり変わらない。トラディーに連れ戻されたわけではなさそうだ。簡単な柵はあるけど、思いのほか簡単に外れた。


 ダンチョーのおなかをゆさゆさと揺らしたけど、うつろな目で、大きなあくびをしている。仕方ないので、一旦様子見だ、と、ザックを背負って一人だけで先にピョンと飛び出した。


 やはりここは知らない町だ。


 細い道を取り囲むように、乱雑な区画で、ぼろぼろの家々が並んでいる。今飛び降りた壁に手をかけると、砂を固めたような、粘土質の壁で、ポロポロと剥がれ落ちた。二階建てのようだけど、今の建物がこのあたりで一番高いかもしれない。それくらい、町全体の建物が低い。砂や土で固めた家だから、あまり高いものは造れないのかな。


 往来はみな、顔に布を巻いている。砂嵐対策だろうか。ここも空気は乾燥しているけど、さっきの、意識を失う直前のようなほどではなかった。


 八一砂漠に、町があったのか。意外だ。治安は大丈夫だろうか。


 治安のことを思うと、王様から預かった封筒のことが心配になって、一度ザックを下ろした。


 一瞬の油断だった。わたしのザックは、何者かによって蹴飛ばされ、中味が散乱した。


 あっ、と叫ぶ間もなかった。数枚の金貨の入った革袋も飛び出た。金目のものなら何でもよかったのだろう、計画性のない犯人のはずだったが、お宝が飛び出たものだから、わき目もふらずにそれを盗まれた。


「ダンチョー!」


 わたしが叫ぶより先に、ダンチョーは窓から飛び降りていた。目は冴え切っているようだった。


 でも、盗っ人は複数人いたようで、革袋を投げ合いながら、一瞬で人ごみに紛れてしまった。ダンチョーも困ったように伏せをしたが、すぐに、アン! と吠えた。


 その先には、緑のバンダナでオールバックにした、眉のない人相の悪い大男がいた。図体は立派で、軍にいれば相当な役職に就いているだろう。だけど、こんな人相の悪い人間は、少なからず団長にはいなかったはずだ。


「こいつも盗っ人の一味? いや、親玉? ダンチョーは鼻がきくね。あんた! さっきの泥棒の仲間?」

「どうした、どうした。俺は命の恩人だろ?」


 恩人? と素っ頓狂な声が出てしまったけど、彼と話して、すぐに誤解は解けた。わたしを砂地から介抱してくれたのは、この人だった。


「助けてくれた、って、わたし追われていたでしょう」

「おう、追っ払ったぜ」

「その、えっと、ごめんなさい。勘違いをして」

「いいんだ、いいんだ。元気になったならな。よーし、まずは挨拶だ。俺はな」

「ごめんなさい。助けてもらっていて、ワガママなんだけど、わたし、名乗るというか、そういうことができなくて」


 彼は、あーん、そうか、そうか、まぁ、俺も貸し借りのために助けたんじゃないからいいや、と、誰に言うでもなく、手をぶらぶらと振った。


「ところでよ、危険だぜ、砂地に踏み入るなんてな。訳ありなのは分かるがな。

 俺は、ちょいと野暮用を済ませたら、すぐにトラディーに帰る。一日くらい、さっきの宿で泊って待っていられるなら、トラディーまで一緒に行ってやる。どうだ」

「ありがたいけど、わたし、西に用事があるの。だから、急いで出ようと思う」

「あー、分かった、分かった。詮索はしねぇよ。こんな犬と一緒なんだ。よほどの訳ありなんだろう」


 彼はその場でしゃがみこんで、ダンチョーにそっと手を伸ばした。ダンチョーは、男にそれをされたら必ずそっぽを向いていたのに、彼に対しては、一歩引いただけで、顔はそむけていなかった。


「ちゃんと、この姉ちゃんを守るんだぞー。じゃあ、俺は木曜岬に行くからな」

「え、木曜岬? 行く!」


 自分でも驚くほど無計画な飛びつき方をしていた。


「あぁ、でも、さっき、お金を盗まれて」

「そりゃあな、この町は治安が悪いぜ。中央の管理なんてこれっぽちも届いてねぇからな。

 まぁ気にするな、俺の金で、ちょうど木曜岬まで行く手段ができたところだ。いいから、いいから、別に貸し借りを作りたいわけじゃないんだって」


 名乗らなくてもいいから、と、彼は通りの向こうに連れて行ってくれた。


「なにこれ、馬車、じゃないよね」

「馬じゃなくてラクダだよ」


 御者は、お嬢さん、今、なんて遅そうな、なんてなめただろう! と指をさしてきて、そのまま一息にまくし立ててきた。


「ラクダはねぇ、百キロの荷物を持っても、一晩あれば三十キロは進むんだよ。何も背負わなければ、八十キロだ。どうだ、なめてもらったら困るんだよ!」

「おー、すごい、すごい。ほれ、見ろよあんた。こいつは、この町で食料を仕入れて、ラクダ三匹に荷物を引かせて、木曜岬まで行商しているそうなんだよ」

「その食料を買わずにあんたを運ぶんだ。相当だよ、こんなのは!」

「だからたっぷり払っただろう」

「二人とは聞いてないぞ。なんだ! その犬は!」

「もっと払えばいいんだろ」


 非常に元気な御者に、彼はさらにお金を払った。口調や見た目からは想像もつかないほどの資金があるようだ。やはり先ほどの盗っ人とつながりがあるのではないかと疑ってしまうほどだ。


「さぁ、あんまりしゃべっていたら、余計なことをしゃべっちまうかもしれねぇぞ。ひと眠りしたら、木曜岬に着く。俺も寝るから、あんたもそうしな」


 彼はバンダナをはずして、長い髪をふって、足を投げ出した。本当に今にも寝てしまいそうだったので、慌てて尋ねた。


「ねぇ、一つ、聞いてもいい?」

「おお、俺は大体のことなら答えてやるぞ」

「犬を連れているから訳あり、って、どういうこと?」

「そいつの赤バンダナ、団長バンダナだろ。城の紋章も書いてあるから、間違いない。

 そいつがとんでもない速さで俺のところまでやってきて、靴にかみついたと思ったら、今度はあんたがいるところまで連れて行くように走っていったんだよ」


 ダンチョー、ありがとうね、と、椅子の下で寝ているダンチョーをさわりとなでた。


「すごいね、やっぱり、団長バンダナっていうのは、こんな遠くの町まで来ても、一目で何かっていうのがわかるんだ」

「違う、違う、俺がトラディーだからだよ。この町の奴らは、団長だとか隊長だとか、そんな制度知らねぇよ。

 トラディーを出て分かったけどな、中央の軍事なんてこの島にまったく浸透してねぇ。さっきの盗っ人もそうだ。治安が悪いんだよ、このあたりは。

 そう考えたら、木曜岬の調査は、やっぱり必要なんだなーと思ってよ」


 その語りぶりから、少しずつ、目の前の彼が何者なのか、分かってきた気がした。


「もしかしてあなた、一か月前くらいから、砂漠の調査に来ている?」

「あーれ? あんた、師団長の遣いか? あんたが、俺の任期がちょうど終わるからって迎えに来てくれたってこと?」


 そうか、やっと分かった。彼が、師団長が南北に左遷したという団長の一人だ。


「アヌボット、様」

「よせや、今さっきまで友だちみたいに話しといて、今さら、様、なんて。むずかゆいぜ。

 まぁ、あんたは俺の敵じゃないだろう? それなら、木曜岬までよろしくな。おやすみ」


 話すだけ話して、額に巻いていた緑のバンダナを外して、彼は寝てしまった。あぁ、確かにこうしてみると、アヌボット様だ。


 腕っぷしと言えばアヌボット様だよ、そう誰かが言っていた。力強く豪快で、隊員の面倒見も良い。そんな噂通りの、あこがれの団長が、今目の前でぐっすりと寝ている。


 彼なら、王様、あるいはわたしの味方についてくれるはずだ。今ここで起こして、もし不機嫌になるといけないから、明日朝一番に話そう。そう決めて、わたしも寝ることにした。


 ◆


 どっと疲れがあふれたサーヤであったが、ベッドで横になるわけではないので、深い眠りにはつけなかった。浅い眠りと覚醒を繰り返す中で、何度も何度も夢を見た。


 一度、幼いころの家族との思い出の夢をみた。


 木曜岬からの行商人が城下町に現れて、それはそれは美麗な景色なのさ、と語っていた話を聞いたサーヤは、家に帰るとすぐに旅行がしたいと両親に願った。まだ実家の貧窮さを理解していないころであったので、すぐに断った両親にふくれっ面をした。


「たまにはどこかに連れて行ってくれてもいいでしょ、父さん!」

「サーヤ。母さんがどこかに連れて行ってあげるから、我慢して」

「外はね、危険なんだ」

「危なくないもん。隊員さんがたくさんいるもん」

「そうじゃ、ないんだよ」


 わけがわからない、と少し怒ったサーヤだったが、その後どうしてそれを諦めたのか、さすがに遠い思い出すぎて、夢としての尺も足りなかったのか、またすぐに覚醒してしまった。


 ◆


 車体がガタガタと揺れ始めた。ちゃんと寝ていないのでまぶたが重いが、手のひらほどの垂れ幕をめくって外を見ると、どうやらとっくに太陽は姿を現しているようだ。


 どうやらこの車体の揺れは、小石が増えたから、というような、車輪由来のものではなさそうだ。同様に、ラクダの疲労や歩行の不安定さによるものでもない。


 風だ。岬が近づいているのだ。トラディーも海が近いけど、岬のように切り立った場所はないので、そこまで海風を意識することはない。


 でも、木曜岬という名前なのだから、海に切り立った場所なのだろう。遮ってくるものがない以上、海風は力いっぱい叩きつけてくるのだろう。


 まだ海は見えないけど、少し、潮の香りがする。地面は赤土だ。八一砂漠に足を踏み入れたときとは明らかに違う景色の変化に、あまりに興奮して、つい、


「すごい、すごい、こんなのはじめて!」


 と、団長をゆさゆさと揺らして起こしてしまった。


「なんだ、朝か」

「あ、ご、ごめんなさい。団長に、わたし」


 彼は両腕をゆっくり広げて大きく伸びをして、うなりながら、


「だーかーらー。急に堅苦しくなるなって。この一か月、俺に敬語を使うやつもいなかったんだ。フランクな方がいいんだ」


 と言うと、アヌボットは長い髪をぼさぼさと掻き始めて、またバンダナを頭に巻いた。長い髪がうっとうしそうだ。


「あんたは軍隊でもない。礼儀なんていらないから、てきとーにしゃべっていればいい」

「わたし、隊員になりたくて。この前も、試験を受けて」

「は? え、本気で? 一勝でもできたか?」

「四勝したけど、落ちちゃって」

「おかしいだろ! それは!」


 急に覚醒した彼は、左右をそわそわと見て、膝を叩いたり髪を思い切りかきむしったりしている。


「ますます、お前の正体が分からねぇ。でもよぉ、四勝で落ちるって、おかしいぜ」

「アヌボット、なら、えっと」

「呼び捨てでいい」

「アヌボットなら、わたしを採用していた?」

「その一敗がよほどひどくなけりゃな。なんで負けた?」

「負けたんじゃないよ」


 わたしはことの顛末を話した。


「じゃあ、五勝したようなもんじゃねぇか」

「でしょ、でしょ?」

「まぁ、俺たちには、そんな事情は知らないから、最終戦ほっぽりだした、って思うしかないな。

 そうなると、残念だが、規律を乱しかねないやつは、ダメだな」


 ここまで乗せておいて、急に落とすなんて、と、いっそう嫌な気持ちになった。


「なぁ、えっと、あんたは」

「サーヤ。ベル・サーヤ」

「よし、サーヤ。俺が無事帰ったら、ちょっとくらい交渉してやるよ」

「アヌボットの隊はダメなの?」

「俺の隊は、その、今は、ちょっとな」


 わたしから聞いておきながら、今は彼の軍隊は師団長によって収容されていることを思い出した。ひどい話をしてしまった。


「ついたぞ、金持ちの客!」


 御者の大きな声を合図に、わたしたちはラクダ車を降りた。


 そこには、砂地を抜けたとは思えない景色が広がっていた。


 くるぶしの高さにも満たない短い草ではあるが、緑がある。夏が近づいているとは思えない。冬ではないかと思うほど青々としていた。つま先で少し掘り返すと、小石混じりの砂ではなく、作物も育ちそうな土が露出した。あまりの強風で耕作には適していないと思うけど、その風に煽られてうねる白波が海面を踊っている。


 一言も発さず、岬の先端まで歩いてきた。岬の先には、海面から顔を出すように、いくつか、緑を被った岩石がのぞいている。その先端に器用に鳥がちょこんとたたずんでいる。よく見ると、鳥の足元、いやわたしの足元にも、白や紫の小さな花が咲いていた。


 すでに季節は夏だ。もうじき草木は枯れ始めるので、この景色を見られるのは、本当にギリギリなのかもしれない。


 振り返ると、アヌボットも呆けて景色をながめていた。


 見たことがない風景に対して、きれい、という形容詞はあまりに不適切だった。あえて一つの形容詞で表現するなんてあまりにもったいなくて、目に映る自然をひとつひとつながめて、口をぽかんと開けてため息をつくのが唯一解な気がする。


「はあ! 見とれていたな。見ろよ、サーヤ、この花。デザートピーだ。花言葉は、夢、とか、栄光だ。こうして木曜岬を見られたんだ、俺も栄光が近いぜ」


 アヌボットは、急に花言葉を語り始めた。ちょっぴりギャップを感じる。


「すまねぇな、御者。俺たちを運んだ分、代わりに売り物持ってこられなかったんだ。

 そのせいでこの町が飢えちまったら、悪いよなぁ」

「大丈夫だよ、金持ち。ほら、見てみなよ」


 切り立った岬から下をのぞくと、そこは入り江のようになっていて、一隻の舟が入っていた。


「この岬の港町はな、ここからずっと西、カラマリっていう町と、あぁやって舟でやり取りしているんだよ。だから、俺たち行商がいなくても、生きてはいけるんだ。ただ、バラマンディーとか、トラディーのものが欲しいとなったら、俺らの出番なんだけどな」

「そのカラマリっていうところにも、あんたらは行商に行くのか?」

「いやいや、行かないよ。あそこは、どうやって仕入れているんだろうな」


 アヌボットは少し思案していた。先ほどまでの楽しげな表情ではなくなっていた。


「なぁ、サーヤ。メモか何かあるか。俺、字が汚くてな。レポートなんていうのが、苦手なんだよ」


 アヌボットから言われるがまま、ポーチから紙を出して書き留めた。


「俺はよ、砂漠の中にバラマンディーっていう町がある、そんなことさえ知らない中央の情報力もやべぇと思っていたけどさ。でもまぁ、あれだけ治安も悪いんだから、バラマンディーなんて脅威にもならねぇな、ってたかをくくっていた」

「たしかに、統率なんてとれそうにない」

「けどよ、この木曜岬が交易しているカラマリっていうのは、どこの町だ。そんな町と交流させていたら、このバラマンディーも力をつけて、脅威になる可能性がある。

 トラディーとしてはよ、この木曜岬までの交通を整備して、バラマンディーも、あとそのカラマリとも交易させないと、やべぇと思うぜ、これは」


 腕を組みながら、感想のようにツラツラと話すアヌボットの話を書き写した。その一言一言には、団長の言葉の重みがあった。


「なぁ、サーヤ。学校で勉強したばっかりだろう? あれって何年前だったか、あのー、あれだ、寒くて、なんとかの」

「大寒冷の話?」


 何十年前か知らないけど、わたしたちが住むトラディーは、西の古城から移ってくる形で建設された、らしい。その年の夏は途方もない大寒冷で、少しでも温暖な東海岸へ、と、住民総出で移り住んできたそうだ。


「不思議な話だよね。城ができた大事な年だっていうのに、大体何十年前、なんて伝わり方するだなんて。それが、どうしたの?」

「木曜岬、バラマンディー、それから、どこかの港町のカラマリ。そのあたりがよ、武器を手に入れて、さぁ住みやすい場所を探そう、って思ったら、狙われるのはトラディーなんじゃないか?

 いや、そんな野心に溢れていなくてもいい。それこそ、また大寒冷でも起きたら、こいつらやあいつらは、トラディーを目指すんじゃないか?」


 そこでアヌボットは頭を抱えて、だから、その、あれだよ、と言葉が出なくなった。言いたいことは分かるよ、と言って、他の村や町からの侵攻を防ぐ手立てを考えるのは、喫緊の課題になる、と書き添えた。


「よし、天才だ。相手の言いたいことを引き継げるっていうのは、よく理解した証拠だな。

 さぁ、これだけまとめたんだ。これで任務完了だろう。御者、帰るぜ」


 ラクダ車まで戻ると、通ってきた道が視界に入った。すぐそこまで赤土が迫ってきていて、その向こうは、ゴツゴツと岩肌が露出している。こんな道を通ってきたのか、と思うと、わたしの行程の見通しの甘さを痛感する。


 ラクダ車はバラマンディーを目指して、またわたしたちを揺らし運び始めた。


「ねぇ、アヌボット。よく聞いて」


 わたしは声をひそめて、アヌボットにすべてを打ち明けた。


 ミラウを含めて二人が左遷されて、殺されそうになっていること。王様は家族を人質にとられていること。わたしはその人質を解放して、王様が自由に動けるようにするという任務があるということを。


「おいおい、じゃあアデライトはマジで俺をぶっ殺しに来たのかよ。じゃあ代わりの誰かが俺を追いに来るじゃねぇか!」

「そういえば、アデライトは、今、どこに」

「決闘をして、俺が生きている。それが答えさ」


 殺したんだ。そう思うと、肩に力が入った。生唾が、たぶんアヌボットに聞こえるくらいの音を出しながら、喉を通った。まだ、命のやり取りには慣れない。


 隊長のグレネはトラディーに戻っていったことを聞いた。つまり、アヌボットのことはトラディーに知れ渡っただろう。わたしは? わたしがあの場にいたことは、どういった形で伝わっているのか。


 事態は悪化している。でも、これを少しでも利用して、アヌボットを味方につけないといけない。


「今、あなたがまっすぐトラディーに帰るのはすごく危険だと思う。

 アデライトを失った分、師団長は新たな軍隊を仕向けるかもしれないし、あるいはあなたが乗り込んでくることに備えて迎撃態勢を整えているかもしれない。

 アヌボット。わたしと一緒に、西に向かえないかな」

「西、か」

「あなたも、立場的に、王様が失脚してしまったら危ないでしょう。

 まずは、人質解放を最優先にするべきだと思う。わたしも、あなたがいると心強い。お願い」


 アヌボットは、そうだなぁ、と車体の天井を手のひらでペタペタと触りながら、どうやら思案しているようだ。


 わたしのロジックは短絡的だったけど、それでも、彼にとっても悪い話ではないはずだ。これは交渉だ。少しでも難色を示したら、次のカードを切って、なんとしてでも一緒に来てもらうしかない。


 彼はこちらをじっと見つめて、


「そうだな。西までついていくよ」


 と、簡単に返事をした。おそらく、あまり深く考えていない。わたしをみて、少女ひとりで行かせるよりは、みたいな、保護者のような感覚で答えたのだろう。目を見れば、大体予想がついた。


 少し不本意な理由だけど、これで、強力な仲間ができた。


 夕暮れ前にはバラマンディーに戻った。確かに、ラクダ車はとても便利だ。砂上の馬は、ラクダのことなのかもしれない。


 明日の朝には町を出る、と言うと、その夜、アヌボットはダンチョーを連れて、宿を離れてしまった。どこに行くのだろうか、という不安もあったが、久しぶりにベッドで寝られるという事実に、自然と意識を失ってしまっていた。


 ◆


 サーヤが目を覚ますと、そこには顔を真っ赤にしてテーブルにつっぷしているアヌボットと、前足で金貨を何十枚もジャラジャラと倒してじゃれているダンチョーがいた。


「どうしたの! あ、わたしの取られたお金を取り返しくれたの?」


 うーん、とうなりながらアヌボットは身を起こした。彼はお酒に非常に弱い。


「違う、違う。やっぱり、ダンチョーは、すげぇよ。盗士だ、盗士」


 このときのサーヤはまだ、アヌボットは闘志と言ったのだろう、と、その一言を聞き流していた。


「こいつはよう、やっぱりギャンブルの天才だ。ダンチョーの吠える合図のまんまカードを切るだけで、ほれ、この通りだ」


 と、アヌボットは足元から大きな革袋を持ち上げた。貨幣がこすれあう音は、品はないが、一文無しになってしまっていたサーヤにとってはありがたい音だった。


 西の古城に急がないといけないサーヤの行程としては、大きな遠回りだったかもしれない。それも、いきなり、師団長側に、存在を知られてしまった恐れまである。


 ただ、こうして彼女の希望通り木曜岬を見ることができて、資金は増えて、アヌボットという強力な仲間を得た。もし、師団長一派がサーヤに狙いを定めて襲ってきた場合、今それに真っ向から立ち向かってくれるのは、アヌボットだ。


「さて、サーヤ」


 宿を出発して、サーヤの数歩先を歩いていたアヌボットは、顔だけ振り向きながら、大きな声で呼びかけた。


「試験で四勝するあんたは、相当優秀だ。であると同時に、隊員じゃねぇ。ただの町民だ」

「わざわざそんなこと言わないでよ」

「何もかも無事に終わって、町に帰ったら、俺はサーヤが入隊できるようきちんと紹介するつもりだけどよ、この古城までの旅路までの間に体がなまって、弱くなっちまったら、紹介する俺の立場がない。分かるよな?」

「そんなすぐに衰えないよ」

「ちがう、ちがう。もっとだよ。もっと強くなってくれれば、俺としても話しやすいんだよ。俺は頭はそんなに良くないし、しゃべりも上手くないんだ。サーヤが強ければ強いほど都合がいいんだよ」


 革袋をぶんぶんと振り回しながら、アヌボットはサーヤに向き合った。


「古城につくまで、毎晩、稽古だからな」


 ニヤリと笑うアヌボットに、サーヤは、明らかに目を輝かせた。


「団長直々に?」

「おう。就職の面倒くらい、みてやるさ」

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