第三章 砂の用心棒 アヌボット
「なにも分からないんだな。いーや、それだけでいい。俺にはよーく分かったよ、ありがとよ!」
乾いた砂まじりの風が、彼の首先まで伸びた長い金髪をかすめる。乱暴な口ぶりの彼、アヌボットは、口の中に入った砂を、ベッと足元に吐き捨てた。
今日も暑いなぁ、と、アヌボットは乱暴にリュックに手を突っ込んだ。太い腕と太い指は、探し物には不便だ。そのうえ、探しているタオルは全て宿屋でまだ乾かしたままのようで、くそっ! と誰に言うでもなく叫んだ。
仕方なく、腕に巻いていた緑のバンダナを額に巻いて、オールバックにした。眉を剃っている彼は、そうしないと目に汗が入ってくるのだ。
鎧もつけずにタンクトップで動き回る彼のことを、この町のだれも、まさかトラディーから来た団長だとは思ってもいないだろう。それに、団長の印である赤バンダナをしていても、トラディーから遠く離れたこの町では、それが何を意味をしているのかは誰も分からない。
「もうすぐお別れだぜ、ハチイチ砂漠」
トラディーからはるか北、この地にとばされて一か月。団長の一人アヌボットは、なんとか任務を終えようとしていた。八一砂漠を抜けた先の木曜岬の現状調査だ。
任務、と言っても、メルボネの陰謀による左遷なので、あくまで建前だ。
いくら団長とは言え、単独で八一砂漠を抜けて岬へ出るのは容易ではない。トラディーはこの島の地理を把握しているわけではないので、三十キロは続く砂漠道を抜けたら岬に出る、という噂話ひとつで、勇み進んで調査に出る者はいないだろう。
一か月前のアヌボットも、簡単に了承したわけではなかった。
ラムシティの開拓にひと段落ついたとは言え、隊員を一つもつけずに任務を用命されるなど、どう考えてもおかしかった。師団長命令とは言えど、反抗的な表情を初めは浮かべていた。
「なぁ、アヌボット。師団長の後継にも、実績がいるだろう」
この時点では、まだアヌボットやミラウには、シャドニー王が彼らを師団長や副師団長にしようとしている、という人事の噂は届いていない。あくまでメルボネだけが把握していた。通常であれば、団長にまで上り詰めれば、それ以上の昇進はない。
「師団長は世襲制でしょう? いくらバカな俺でも知っていますよ。俺にはなれませんよ。」
「俺は、実力がある者が継ぐ方がいいと思うんだよ」
「それって、その、そういうことですか? 俺、その気になっちゃいますよ」
「かまわんよ。後継者選びも大事な話だ。
ところで。なぁ、アヌボット。木曜岬、知っているか?」
そう問われて、下唇を噛んで天井を見上げて苦しみながら頭を動かすアヌボットの姿を見て、彼が軍学校での筆記試験の最低点を叩き出していたという噂をメルボネは思い出していた。難しい質問じゃないんだがな、と、黙って考え込むアヌボットを呆れながら見ていた。
「すんません。絶景だ、ってことしか」
「そうだよな。それしか知らないよな」
都合がいい、とメルボネはつづけた。
「砂漠の先の木曜岬が、どこか島外の輩の巣窟になっているという噂がある。大軍勢で行くと刺激するから、旅人のフリをして、一人で調査に行けないか?」
「え、一人ですか? 何人かいてもいいでしょう」
「一人の方が、油断してあいつらが襲ってくるだろう」
あぁ、なるほど、さすがっすね師団長! と親指を立てて喜ぶアヌボットに、メルボネは呆れ始めていた。
やはり、こんなやつに師団長はつとまらない。確実に排除しなければならない。アヌボットを派遣したら、すぐに彼の軍隊も地下牢に収容してしまおうと考えていた。
「単独で行っても確実に生きて帰ってこられるのは、お前くらいなんだよ、アヌボット」
「そこまで言われたら、やってやるしかないですね!」
そう意気込んで、ラムシティを出たのが、ちょうど一か月前だった。
メルボネからすれば、あとは一か月後、生死を確認しに誰か人をやり、生きていたとしても一か月も砂漠をさまよい息も絶え絶えになっているであろうアヌボットなら、誰にでも殺せるだろう、という魂胆だった。
しかし、メルボネに誤算があった。アヌボットの筆記最低点ということを、もっと考慮して指示をするべきだった。
具体的に何をどう調査しろ、なんて指示はされておらず、彼は木曜岬にはまだ足も踏み入れていなかった。
「この町全員に聞き込めばいいだろう。全員、分かりません、っていえば、『木曜岬の噂は、ありませんでした』ってことだ」
彼はズルをしているつもりもない。アヌボットには、これが唯一解だった。八一砂漠に入ってすぐ、ここバラマンディーの町を見つけて、ここで、聞き込みをしていたのだ。
そしてついに全員と話を終えて、大いなる達成感をもって酒場へ乗り込んでいた。
「また来たのかい、役人さん」
「おうよ、でももう終わりだぜ!」
アヌボットも、団長という自己紹介が通じないことが面倒で、中央の役人と名乗っていた。中央から少し離れたら、もう統治がこれだけ弱まるのだな、と、彼なりに軍の影響力の弱さに思うところはあったが、こうして仕事を終えて、酒をのむと、途端に忘れる。
続けざまに二杯を飲み干すと、自分の名前を冠して名付けた、腰に真横に差している柳葉刀「アヌボット二・零」に、少し重さを感じた。酒は好きだが、強くはなかった。
何日かゆっくりしたら、砂漠を抜けてさっさと帰るか。師団長になれるのはいつだろうな。アヌボットは夢見心地になり、カウンターでそのまま眠って夢を見始めた。
この風貌で、お酒に弱いのだから、ちょっぴりギャップの持ち主だ。
◆
ラムシティは思っていた以上に開拓が進んでいた。肥沃な土地を広大に使って、畑を延々と広げるまちづくりをしている、という噂だけを聞いていたけど、既に大通り沿いには住まいや商店街が形成されていた。
人通りはまだまばらだけど、あと二倍、いや三倍人が増えても、十分に食料も土地もある町だろう。すでに移り住んでいる人もいるようだった。そんなことも知らないなんて、改めて、中央トラディーには、隣町の情報さえほとんど集まらないのだなぁ、と感じる。
「冬になったら、この畑の風景は、何色になるのかな。グングン背丈が伸びる緑かな。実りの黄色かな」
クン、とダンチョーが鼻を鳴らした。ふと足元を見ると、早く行こう、と言わんばかりに前へタッと駆けて行ってしまった。大通りを、真っ白なダンチョーがタッタカと跳ねていく。わたしとしては、もう少し、こののどかな風景を見たいのだけど。
昨日からダンチョーを眺めていて分かったことが三つほどある。
一つは、ものすごく強い、ということ。いったいどんな訓練を受けたのか、それは王様に聞いてみるまで分からないけれど、あのタックルは壮絶だった。おそらく、あの足に差しているナイフも使うことができるのだろう。頼りになる番犬だ。
それと、女性が大好きだ。昨晩はトラディーとラムシティの境の宿屋に泊まったけど、撫でようとするおじさんの手にはツンと顔を横にそむけて、自分から女性の足元にすり寄っていった。オスのワンちゃんは、こういうものなのだろうか。
そして最後。これは推測だけど、ギャンブルを理解しているのかもしれない。唯一、おじさんたちのテーブルに近寄って行ったのが、彼らがカードで数字の大小で競う賭け事をしているときだった。そのときだけは、横のテーブルにヒョイと飛び乗り、その様子を眺めていた。
どの点をとっても、普通の犬ではない。どこまで信用していいのかは分からないけれど、わたしについてくる、いや先導する意思があって、それにわたしに好意をもってくれているのだから、ひとまずは敵視するほどではないだろう。
今は、ダンチョーについて行こう。この町には、いつかまた来よう。わたしはダンチョーに促されるまま大通りを進んで、この町を後にすることにした。
ラムシティを抜けると森が広がったけど、やがてすぐに開けた。雨量も少なく、気温も高い、典型的な砂漠地帯だ。この先は当然地図なんてない。ずうっと、北に三十キロほど進めば木曜岬に出るという。
絶景だ、なんて噂は聞いたことはあるけれど、たったそれだけの理由でこの先に進むのはさすがに危険だ。ラムシティで十分食料は買い込んだから、このまま西に進んで、山脈越えに挑むべきだ。
「でも、三十キロだったら、明日の朝にはつく、よね?」
木曜岬、という言葉の魅力に負けそうになっていた。ダンチョーはとくに何を言うでもなく、わたしを見上げて尻尾をブンブンと振っている。ちょっとだけ、進んでみよっか、と、わたしは砂地に足を踏み入れた。
まだ旅行気分だな、と我ながらその呑気さに笑ってしまいそうだ。
砂を踏みしめるちょっとしたウォーキングは、初めの十分ほどは楽しかった。歩きなれない砂地の感覚。ブーツが何センチか沈み込んで、膝から下の筋肉が張りそうな感覚は、非日常感をわたしに与えた。暑いといっても、そのときはまだ、森林からそこまで遠くなかったからか、空気も乾いていなかった。
しかしそのうち、いや、経過したのが本当に十分だけなのかどうなのか、今となっては分からないけど、明らかに空気が変わった。
パタリと風が吹かなくなり、砂が気体となり宙に浮いてわたしたちを取り囲んで、そんな砂の塊に体を突っ込んでいくような感覚を覚えた。このまま進むのは、危険だ、とさすがに分かった。
「ダンチョー、暑いの大丈夫?」
ダンチョーは首を横に振った。だよねー、じゃあ、行くのはやめた方がいいよねー、と、誰に言うともなく呟いた。木曜岬からの眺めは興味がある。でも、それ以上に、少ししか踏み込んでいない砂地からムワッと舞ってくる熱気に、足も気持ちも重くなった。
ダンチョーも無理だもんね、と言い訳に使っている自分に気づき、少しためらいは湧いた。これからも、こんな風に、どっちつかずな決断をするのかなあ、と。
ダンチョーと出会ったときの盗っ人騒ぎのときも、わたしはソードを抜くかどうか少しためらってしまった。この砂地にだって、木曜岬を見たいから入ったというのに、すぐに諦めてしまっている。
まだ自分の立場や行動を決め切れていない。今日寝るときに、少し考えようと思う。
「どうした、姉ちゃん。迷子かい、木曜岬観光かい」
声をかけられて、とっさに偽団員かと疑った。振り向くと、十五人ほどの小隊が、馬隊を組んでいた。先頭はおそらく隊長だ。誰かの団長がもつ三隊のうちの一つであろう。団長ならほとんどは顔と名前が一致するはずだけど、隊長クラスだと、分からない人もいる。
「そうなんですけど、思っていたより暑くて、一旦帰ろうかな、と」
迷っている時間はない。この状況を一瞬で計算して、判断、決断しないといけない。
まず、彼らは敵か。先日王様が城を抜け出した日、その日に接触したのがわたしだと突き止めて、追ってきたのだろうか。もしそうだとして、命を狙われているなら、わたしに勝ち目はない。死ぬだけだ。この可能性は考えるだけ無駄なので、敵ではないと仮定した。
じゃあ、彼らは別任務の途中で、たまたま通りかかっただけだったとしたら。もしそうなら、上手く利用して、古城までの護衛に使えるかもしれない。
しかし、王様派閥の団長はごくわずかで、北と南にとばされた団長二人くらいしかいないと考えた方がいい。じゃあ、この隊が、その二人の団長の配下である可能性に賭けるか。いや、団長不在の隊が遠征に気軽に出られるとは考えられない。
とすれば、この隊は、師団長一派にあると考えてよい。
そして、わたしと無関係の任務であれば、ここはやり過ごす方がよい。何かと詮索されると、ボロが出るかもしれない。ザックの中の手紙が見つかれば、内容をまだ知らないとはいえ、おそらく王様もわたしもただでは済まないだろう。
「観光なら途中まで乗せて行ってやるよ。任務なんてすぐ終わるしなー」
「いえ、一度家に帰って、準備をいろいろと」
「あれ、サーヤ?」
とっさに考えた言い訳を遮ったその声には聞き覚えがあった。先日、実技試験を終えた軍学校の同期だった。採用後、いきなり任務に出ているとは。
「知り合いか」
「はい。一緒に先日の試験を受けまして。女性で最終試験まで残った例は珍しいと思いますが、ご存知ありませんでしたか」
「なるほど、確かに女の例は聞かないな。いや、合格したやつの戦跡や点数は耳にするが」
幸い、まだ怪しまれていない。でも、わたしでさえ、今のわたしは王様が使える、隠密行動ができる数少ない人材の一人である、と勘づける。
この十五人の中の誰ひとりとしてそれに気づかないまま、この場を去ってくれることなどあるだろうか。
耳の内側まで鼓動が聞こえるほど、心拍数が上がってきた。
もしかしたら、命の危機なのかもしれない。彼らの反応だけ見ていれば、それはまだ現実のものにはなっていないけど、命の危機というのは、可能性の大小ではなく、有無だけで、全身の毛をそば立たせる。
もっと、忍ぶべきだった。もっと慎重に進むべきだった。もう一度、ラムシティを出るころからでいいから、気を引き締めて、やり直したい。
「やっと追い付いたか」
団長、と隊長がピシッと返事をした。またたくまに、十五人の隊員の全員の背筋が伸びた。団長、という言葉は当然、わたしの緊張感を最高潮に高めた。
少し奢侈な装飾のある馬に跨がり、隊長より一回り風格のある男が現れた。アデライト様だ。十人の団長の一人だ。最悪だ、先日の給仕仕事のときに城中で出会っているから、覚えられているかもしれない。なるべく自然な雰囲気で、フードを目深に被った。
「グレネ。なんだ、この女と犬は」
「団長、実は」
隊長は、グレネという名前らしい。グレネは団長に説明を始めた。隊はもはや、軽口を叩ける雰囲気ではなくなっていた。団長はその話に耳を傾けながらも、ずっとわたしのことを見ている。そして、最後には隊長の話を右手で制した。
「アヌボットに会うまで、連れていけ」
やっぱり、感づかれた。
「ただの観光の可能性も」
「おい、女! 記念受験の試験が終わって、のんきに観光か? 違うよな! 次は旦那探しをしないといけないだろう? それをせずに、なんでこんなところにいる?」
見逃されなかった。くそったれ、アデライト。こいつも女だからってバカにしやがって。
グレネたちはすぐに反応した。アデライトはわたしに顔を向けたまま、わたしにも十分聞こえる声量で隊全体に命令し始めた。
「隊の一部、そうだな、六人でいい。トラディーに帰して、王の近辺で動きがなかったか探れ。こんなに、王に有利な動きのできる人間はいないだろう。アヌボットへ何かしらの接触を図ろうとしている可能性がある。
こいつが何か、手紙とか文書でも持っていれば、確実だ。おい」
グレネはすぐに、命令通りに動き始めた。そして数人がわたしに向かってくる。どうする? 戦うか? ダメだ。隊長もいれば、団長もいる。ダンチョーは、唸ってはいるが、飛びかかる様子はまだない。勝ち目がないことを悟っているのか。
ふと、ひとつ気がかりなことがある。なぜ、アデライトは遅れてやって来たのか。
その答えが出る前に、先に動いたのはダンチョーだった。
後ろ足で、思い切り砂を払い、向かってきた隊員に、細かい石混じりの砂煙をぶっかけた。目に入ったらひとたまりもないだろう。
「ナイスアシスト!」
逃げるしかないのだ。踵を返して、わたしたちは駆け出した。
こんな砂地に、あんな重装備の馬で入ってきて、アデライトが機敏に動けるわけがない。他の馬隊もそうだ。一旦は逃げれば、わたしに追い付くのは同時ではなく、装備が軽い馬から順番になるはずだ。
それなら、二対一で迎え撃てる。馬体が一列になって伸びたら、勝機があるかもしれない。
わたしの足も上手く前に進まない。でも、馬の方が遅いだろう。降りてきたとしても、わたしと大差ないだろう。股関節から大きく足を動かせ。きっと、突き放せる、大丈夫。
「そんな靴で逃げるのは、得策じゃないな。」
そのグレネの声は、存外近くで聞こえた。
ダンチョーが作った砂煙を抜けて、グレネはあまりにも速く追い付いてきた。彼の足元が見えた。靴が沈んでいない。そうか、当たり前だ。砂地対策くらいしていたのだ。急な決断を迫られて、答えを出すのを焦ってしまった。追い付かれる。やられる。
「う、うぅ!」
今にも追い付きそうだったグレネの影は動きを止めた。ダンチョーだ。左の脇腹に思い切りタックルをしている。鎧の破片が少し舞っている。なんという破壊力だ。
今、迎え撃つべきか。少しだけ速度を落として、肩掛けのソードの柄に手を伸ばした。
それを制止するかのように、ダンチョーは、アン! と吠えると、わたしの前を颯爽と駆けていった。逃げる方がいいのか。その場に崩れ落ちるグレネに背を向け、ダンチョーについていった。
ダンチョーが、あまりに速い。信じられないほど速く駆けて行ったはずなのに、砂煙はほとんど立っていない。おかげで、ダンチョーの向かった方向はしっかりと分かる。
ザク、ザク。少しずつ後ろから音が聞こえてくる。何人で追跡してきているのか。わたしは勝てるのか。足元が不安な、軍に入れなかったわたしと、装備万端な隊員と。勝敗は目に見えているかもしれない。
「ダンチョー、待って」
ワンちゃん頼りだなんて、恥ずかしいかもしれない。でも、だんだんと、沈んだ足を引っ張りあげる体力がなくなってきた。
「こっちだろう」
「もうすぐ追い付くぞ。離れるな。三人がかりだぞ」
声が近づいてくる。わたしの速度は上がらない。呼吸に砂が混じる。肺の中に砂がたまって、いくら息を吸っても全然空気を吸えない。代わりに吐く息が血混じりだ。意識を保ち続けるだけでやっとだ。
追い付かれる。
そう悟って、諦めるかどうかのギリギリボーダーラインの瞬間、大きな声が、前方から聞こえた。
「よーし! よく走った。助けてやる!」
目の前に大きな影が現れた。助ける。その言葉が、わたしの警戒や注意を解いた。
その影の正体が分からないまま、目の前が真っ暗になった。疲労困憊の状態で眠りにつく、あのときと同じだ。意識を失う感覚だけがした。
◆
「アヌボット、様」
サーヤに追い付いたと思ったグレネの隊員たち三人は、たじろいだ。
「どうした、どうした。どこの隊だ。ははーん、俺の任務が終わる頃だと思っての出迎えか?」
蹴り飛ばせばラクダでも失神しそうな、厚底のブーツで砂地にどっしりと立つアヌボットが現れた。足元では、ダンチョーが呑気にしっぽを振って寝転がっている。
深緑の革のパンツがパンパンに張るほど、膝から上の筋肉はたくましく、意識を失ったサーヤを抱える左の腕も丸太のような力強さだ。
頭に巻いた緑のバンダナに、塩まじりの金髪がなびいている。数秒ほど、時間が止まった。
弱りきったアヌボットを討ち取り、アデライト団長の地位を上げる。そんな目論見だったグレネ隊は、目の前に現れた、万全な状態のアヌボットを見て、既に戦意を失っていた。
「どうして、一か月、こんな砂漠にいたのに」
「そう、そう。良い報告だ。このすぐ先に、バラマンディーっていう町があったんだよ」
隊員の一人はすでに槍を天に向け直して、戦闘態勢を解いていた。残り二人も、それを責めることなく、むしろアヌボットを刺激しないようそれにつづいた。
そこに追い付いたのが、団長、アデライトと、ぐったりしたグレネを抱えてやってきた隊員たちだった。あまりの重装備に息をきらした馬は今にも倒れてしまいそうだったが、当のアデライトはのんびりとやってきた。
「おうおう、アデライトじゃねぇか。お出迎えか?」
「グレネをやったのはお前か」
「誰だよ、そいつは」
一切弱っていないアヌボットを目にして、アデライトも誤算だったようだが、隊員の前なので虚勢を張った。アヌボットは柳葉刀に右手をかけた。アデライトの装備が、人を一人出迎えるにしては、攻撃的すぎると思ったのだ。
「なんで武器に手をかける? アヌボット、任務に背くのか」
「背く? もう終わったから帰ってきたんだよ」
バサ、と紙の束をアデライトの胸に投げ当てた。取り損ねたアデライトは仕方なく下馬して、パラパラと束をめくり、向かい合った。
「なんだ、これは」
「木曜岬の現状は誰も知らない、だから解明できません、っていうレポートだよ」
「ふざけるなよ」
「あぁ?」
アヌボットは心底ブチきれた。アヌボットは一切ふざけていない。これが答えだった。プレゼントを持って行ったら、いらない、と言われたような気持ちになっていた。
「なぁ、アデライト。お前の立場は分からねぇけどよ、俺の帰還を歓迎するため、の出迎えじゃないんだろ?
一応確認しておくけど、団長間の決闘は禁止だよな?」
「師団長命令以外でなら、な」
「なーるほど。俺は捨てられたってことか」
柳葉刀の柄にかけていたアヌボットの右手がほんの少し動いた。アヌボットが動いた、と隊員たちは恐れてたじろいだが、その隊員たちの様子を見て、アデライトは戦闘を決意した。
体力が万全のアヌボットに勝ち目はないはずだった。一度トラディーへ退却すべきだった。それでもアデライトは、隊員の前で、団長らしく戦うことを選んだ。
アヌボットの居合いは特別速い方ではないし、刀もべらぼうに重かったはずだ、とアデライトは見切った。それならば刀を抜く前に、その右手を切り落とそう、と左肩に差したソードに手をかけた。
アデライトは一瞬で間合いを詰めた。砂の上とは思えない、むしろ氷の上を滑っていくかのような動きで、抜刀も素早く、その一連の動作は団長足り得たものだった。
が、一瞬早く、アヌボットの左ストレートがアデライトの右頬を貫いた。アヌボットはそのままパンチを右にねじり、払うようなフォロースルーで、あえてアデライトを吹っ飛ばさなかった。その勢いのまま柄に左手をかけ、両手で柳葉刀を抜いた。
アデライトは殴られた瞬間に、切られる、と予感して、自分から後ろに吹っ飛んで距離をとった。そして空中で後ろに一回転し、ソードを再度構えた。さすが団長の動きであった。
「俺が勝つぜ、アデライト。そうまでして師団長につくのかよ」
「メルボネに与するわけじゃない」
「おー、師団長を呼び捨てか」
「俺も成り上がってみせる」
「出世のことを妄想するのは、ひとりベッドの中でしな」
二人が向かい合う中、さらに六人の隊員が追い付いた。そのうち二人は、ぐったりとしたグレネを肩で支えている。
「なぁ、アデライト。このままタイマン張って、そいつらが城に退却する時間稼ぎをするか。それとも、総がかりで俺とやり合うか。全員で来られた方が、ひっさびさに刀抜いた俺には不利だと思うぜ」
それは挑発だった。今の一撃で、どちらに勝算があるかは明白になった。あとは、一人でも多く城に逃げ帰り、態勢を整えてから再度アヌボット襲撃に出るのが最善策であった。当然、残りの隊員も、全員で飛びかかる様子はなく、撤退の一言を待っていた。
「一人で十分だ。お前たちは見ておけ」
アデライトは一番の愚手をとった。部下を前に強がるのは、この場でとれる最悪の選択肢だった。
「俺はなぁ、アヌボットよ。遊軍、遊軍とは言われて重宝されているけどな、結局こうして始末屋に指名される、便利者扱いがいいところさ!
隊員から見たら情けないよな。メルボネのコロコロ変わる指示で、俺の軍隊百人の動きを変えられて、疲弊して、なのに俺は文句も言わないんだからな。仕方ないだろ? 頼みやすい家柄の人間なんだからさ。
それでもな、アヌボット。『裏切り者のアヌボットを、アデライトが討伐した』っていう事実は、この状況を変えられる。成り上がれるんだぜ」
「俺もそう思う。でもそれは、誰がどうみても、俺が勝つからってみんな思ってるからだぜ」
それにはアデライトは答えずに、剣先をアヌボットに向けた。
「短期戦になる条件、分かるか?」
「お互いが殺意を持てば嫌でもすぐ終わるさ」
「ちょっと違うな。もしそこに、自分の命も守る、命が惜しい、なんてリミッターがあれば、どうしても長引いてしまう」
「今、お前にそのリミッターはあるのか?」
「身軽だよ」
その通り、決着は一瞬だった。先に間合いを詰めたアヌボットが、アヌボット二・零、と名付けた柳葉刀で右腰から左肩までズバリと切り裂いた。団長間にも、れっきとした力量差はある。勝負は決した。
「退け!」
団長の存在がこの世から消えた瞬間、グレネは隊長として命令を下し、残った隊員は一目散に逃げ出した。
アヌボットは後を追おうとしたが、足元でダンチョーがチョコチョコと、まるで動くのを邪魔するかのようにうろついた。
「そうか、確かにこの女の子を守るのが優先か」
アヌボットは、一人と一匹と一緒に、バラマンディーへ一度引き返した。
「今日、帰るつもりだったんだけどなぁ。
あぁ、でも、団長を斬っちまったからな。俺、どうなるんだ?」
サーヤを両手でお姫様のように抱えていたアヌボットは、ぽかんと口を開けて立ち止まった。十秒ほど、うーん、うーん、と唸って、
「まぁ、俺に分かる話じゃねぇな。誰かに聞いてから、トラディーに戻るか!」
これは名案だぜ! なぁ、白犬! と、白い歯をいっぱいに見せて、ダハハ! と笑い飛ばした。
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