第二章 純白のモコモコ

 肩まで伸びたサーヤの深緑の髪は、よく手入れされていて、彼女自身とても気に入っていた。カッと頭に血が上ったときの口調が荒々しいのと、腕っぷしがあまりにも男勝りというギャップは、近所ではちょっと有名だ。


 あとは、ファッションに無頓着なところが、何かのきっかけで変わればいいんだけど、と言われるたびに、服なんてなんでもいいでしょ、と言い返していた。


 さて、初夏のカラッとした冷える朝であるが、彼女の出発の朝である。


 ベルトの左腰側に短いナイフだけ差して、それを隠すように革のポーチを上からまいた。これでは不足だと思ったのか、肩に細いソードをかけ、薄い布のマントで隠した。どうしてもその柄のせいで右肩が出っ張ってしまうので、チクチクとマントにフードを縫い付けて誤魔化すことにした。


「ただの旅行でしょう。どうしてそんな物騒なものを?」

「偽団員に出くわしたら、危ないからね」

「じゃあ、やっぱり家で大人しくしておく方がいいんじゃない?」

「トラディーの外、この町の外、知らない世界を見てみたいから」


 父さんも、後押ししてくれたもん、と、サーヤは口角を上げて、肩をグルンと回した。


 肝心のお供について、シャドニーからの続報はなかった。


 うかつに連絡を取れなくなっただけだろう、とサーヤは信じることにした。多くは語れない、などと言い逃れた王の話なので、本当にお供をつけるのかどうかさえ分からない、というのが本音ではあるが。


 今渡されているものといえば、旅の資金と、古城の護衛をしている団長・パディントンに渡す封筒ただひとつだけで、あまりにも身軽だった。サーヤはその封筒をザックに入れて、ひょいと軽く担いだ。


「行ってくるね、父さん、母さん」


 手を振りながら家を出たサーヤは、クンと伸びをした。彼女にとって一か月と少し、しかし十六年の人生に匹敵するほど長く感じるほどの、古城への旅が始まった。


 ◆


 それは、純白だった。


 新緑のたてがみが頭から背中まで生えそろい、首に巻いた赤いスカーフがアクセントになった、目が大きい、どこか妖艶さもあるワンちゃんだった。犬というより狼に近いかもしれない。でも、そのかわいらしさは、やはりワンちゃんだ。


 トラディーを出る前に、商店街でオレンジを三つ買って、お店を出たところで、まるでわたしを待っていたかのように、その純白のワンちゃんはチョコンと座り込んでいた。


「かわいいー! 綿あめ? 羊? かわいすぎる!」


 たまらずしゃがみ、ワシャワシャと両手で撫でまわした。


 ガチョウの羽でできたフワフワの布団のように、柔らかく、それでいて跳ね返ってくる弾力のある感触で、手が止まらない。ワンちゃんにはさらに体温もあるのだから、最高だ。指と指の間から、手入れされたハリのある白い毛がもこもことはみ出てくる。


 気持ちよさそうに、ワンちゃんも目をとじて、クゥーン、と鳴いた。わたしの口元はだらしなく下がっているだろう。


 カラン、と音がした。見ると、ナイフが落ちていた。腰に差していた短刀だと思い、慌てて拾って、急いで納めようとした。でも、そこにはすでにわたしの短刀が差さっていた。


 クン、と、ワンちゃんが鼻を鳴らした。ナイフを所望するかのように。


 よく見ると、後ろ足の付け根に、レザーのホルスターが差さっている。まさか、と思い、おそるおそる差すと、カチリ、と音がして、ぴったりと納刀できた。ワンちゃんは口をのばし、ホルスターの先についた紐をくわえ、器用に柄にグルグル巻き始めた。


 凶器をもった犬。いや、狼。


 急に恐ろしくなった。首のあたりに冷気が走る。体温が二度は下がった気がする。


 いったん距離をとるために後ろに飛びのこうとしたけど、まだ体が冷静に反応できないようで、腰がうまく立たない。違和感は恐怖に変わった。


 とはいえ、すり寄ってくるワンちゃんには依然殺気はない。それどころか、しつこくわたしの脛に顔をこすりつけてくる。


「一応聞くけど、あなた、しゃべったりできる?」


 少し顔を上げたけど、とくに何を答えるでもなく、キツネみたいに大きな尻尾をブンブンと振り回している。


「もう一つ聞くけど、わたしが何を言っているかは分かる?」


 今度は首をかしげた。でも、ほんの少し、口角が上がったような気がした。さて、どうかな、とでも言わんばかりに。


 キャア、と高い声がしたのは、その時だった。


 声は付近三メートルくらいから発されたように聞こえた。金属が品なく擦れ合う音が聞こえる。貨幣が乱雑にぶつかる音だ。


 また偽団員騒ぎだろうか。城下町に白昼堂々現れたという話は聞いたことはないけれど、城内に侵入者がいたのだから、今さら驚くことではないのかもしれない。


 声のした方へ振り向き、マントの下に右手をもぐらせて、肩にかけたソードの柄を探した。抜くか。ちょっと待って。あまりに人が多すぎる。でもここで抜いて目立ってしまうと、任務に支障が出るのでは。そんなためらいのうちに、下品な金属音が少しずつ遠くなっていく。


 わたしが動けないうちに、純白の塊が、高速でわたしの脇を駆けて行った。赤いスカーフがなければ、わたあめが強風で飛んで行ったようにも見えたかもしれない。


 気づいた時には、ワンちゃんが、盗っ人の背中に猛烈なタックルを繰り出していた。人混みの雑踏をジグザグに、到底ヒトでは不可能な切り返しをしながら進み、十メートル手前からタッと跳ね、ねじるように頭を、恐らく骨がきしむぐらいにズシンと食い込ませた。


 犬の動きだけど、犬ができる動きじゃない。


 不思議な気持ちを抱えながら、わたしはワンちゃんに急ぎ駆け寄った。


 ぶっ倒れている盗っ人の周りは、ちょっとした歓声で包まれた。狼藉者が、目の前で犬にやられて白目を剥いて倒れているのだから当然だろう。彼が偽団員なのか、ただの盗っ人だったのかは、今となっては分からない。


 ワンちゃんは、ホルスターをくわえて、紐に歯を引っかけていた。もしかして、抜刀して、とどめをさすの?


「危ないよ、もう終わったから」


 右手を伸ばして、ホルスターを握って止めた。人間のように、キョトンと目を丸くしてこちらを見てきた。なんで? と言いたげだな。


 一瞬、わたしとワンちゃんとの間に緊張が走ったような気がしたけど、ありがとう、ありがとうね、と言いながら質屋の店主さんがやってきたことで、事なきを得た。質屋への強盗だったのだろう。


「おや、サーヤちゃんじゃない。この犬、あなたの犬なの?」


 違う違う、と訂正しながら、事情を聞いた。強盗がやってきて、金庫がこじ開けられたんだよ、ぼくの目の前でだよ! とおじさんは嘆いた。そんな、夜中にこっそりやるような犯罪を、白昼堂々したのか。


「よっぽど、盗みの腕に自信があったんだろうな」

「金庫を突破できる腕を持つ盗っ人なら、自信なんて関係なく、バレないことに最大限の集中を注ぎますよ。

 それをしないってことは、単になめられているんですよ」


 城中に現れた偽団員も、逃げ切るのは簡単だ、なんて豪語していた。やっぱり、こいつも、偽団員だったのかもしれない。


 段々と、偽団員の行動範囲が、わたしの生活範囲に近づいている。


 少し暗い考え事を始めてしまったわたしをよそに、おじさんはワンちゃんに感謝しきりだ。手を伸ばして撫でようとしているけど、ツン、と鼻先でそれを拒んでいるようだ。あんまり人には懐かないのかな。さっきわたしには顔をすりつけてきていたけど。


 少し遅れて、おじさんの娘がやって来た。わたしと同い年で、今日も声をかけてから町を出ようと思っていた。


「ほんとありがとうねー! ワンちゃん。あ、赤いバンダナ、かわいいー」


 おじさんのときと違って、ワンちゃんは今度は自分から歩み寄って、撫でられに行っている。そうか、たぶん、この子はオスなのだろう。


「あ、サーヤちゃん。犬なんて飼っていたっけ」

「ううん、違う。さっき店の前にいて、撫でていただけでさ」

「あれ、話変わるけどさ、その恰好どうしたの? どこか遠出するの? マントなんか羽織ってさ」


 わたしたちは二人で向かい合ってしゃがんでしゃべりながら、その間ずっと、あおむけになったワンちゃんを撫でまわしていた。


「ねぇ、サーヤちゃん。この真っ赤なスカーフさ、団長みたいじゃない?」

「ほんと、赤バンダナみたい。」


 ダンチョー、と呼ぶと、ワンちゃんの耳がピクンと反応した。気がした。そして、何かを思い出したかのように、ピョンと跳ね上がり、わたしの脛にまたすり寄ってきた。


 もしかして。王様が言っていたお供というのは、この、番犬、ということだったのだろうか。


 そしてそれをわたしに、師団長メルボネ陣営にバレないように派遣して、そしてこの子が仲間だと伝える手段として、この赤バンダナを巻いたのだろうか。そうとでも考えないと、ナイフを携帯した犬なんて、あまりにも不自然だ。


「ダンチョー?」


 呼びかけるように口にすると、アン! と元気よく吠え返した。やっぱり、わたしの言うことを理解しているのかな。


「えー、名前、ダンチョーなんだ。かわいいね」

「どうなんだろう? でもワンちゃんが団長って呼ばれるの、かわいいよね」

「お前ら、なんでもかわいいだな」


 かわいいにも色々あるからいいんです、と質屋のおじさんにベッと舌を出した。


 まだ状況に納得はできていないけど、理解はようやく追いついてきた。


 わたしは西の古城へ、ワンちゃんと一緒に行くのだ。あらためて言葉にすると、とても心細いけど。


「西の古城へひとり旅ねぇ。山脈を越えないといけないだろう」

「うん。だから、少し遠回りしながら、登れそうな山道を探すつもりです」

「あのへんの地図なんてないからなぁ。まぁ、近くの村や町までいけば、詳しい人間はいるだろうが」

「山のふもとに町があるんですね!」

「あるんじゃ、ないかなぁ」


 何か良い道筋でもあれば、と思い、おじさんに目的地を伝えたけど、無駄だったようだ。


 改めて、トラディーから外に出ることの不便さを感じる。王様の仰っていた、この島の各所の情報を集める、という改革は、きっと正しいものなのだろう。


「ひとまずラムシティに行きます。開拓もひと段落して、栄えているみたいですし」

「そりゃいい。あの町は、偽団員もあまり出ないらしいよ。さすが、アヌボット団長の開拓だ」


 北のラムシティは、トラディーの人口が増えすぎたときのために開拓された村だった。アヌボット様の軍隊がその開墾にあたっていたけど、当の本人が、今回の師団長政治に巻き込まれて北の砂漠へ左遷されてしまっている。


 思えば、わたしは城下町と海以外の景色をほとんど見たことがない。わたしの将来のために、この任務は必ず成功させなければいけないとは言え、もし余裕がありそうなら、ちょっと他の景色も見てみたい。砂漠も見てみたい。トラディーを出るというワクワクが、未知の大地に足を踏み入れる抵抗を大きく上回っていた。


 ふと、父さんの言葉を思い出す。


「サーヤ。この大地をうんと見て回りなさい。きっときみの財産になる」


 父さんもそう言ってくれたのだから、と、わたしは砂漠への寄り道を決めた。


 ◆


 サーヤがまさにトラディーを出て、ラムシティに向かおうとしている丁度そのころ。トラディー城最上階にある師団長室に、一人の来客があった。


「これは、これは。シャドニー王。わざわざどうされましたか」

「わたしの家族は、いつまで誘拐したままなのかね」

「誘拐! 人聞きの悪い! 王妃にも王女にも、王様の仰った通り、ひろーくこの国のことを知ってもらおうと思って、わざわざ団長もつけて古城見学に向かわせたというのに!」


 シャドニーの拡大政策をだしに、両手を大きく広げて、煽るようにメルボネは口答えをした。シャドニーもバツが悪くなり、もう一つの話題を振った。


「アヌボットくんやミラウくんの単身任務だが、そろそろ一か月だろう。そろそろ帰って来るだろう」

「いやいや! 成果が出るまでは帰ってこないでしょう。団長なんですから。

 忘れたのですか? この国を広く統治するには、まずは地理を把握して、地図くらいは作れないと、と仰ったのは、繰り返しますが、あなた自身ですよ、シャドニー王!

 大事なお役目です。のんびり、二人にまかせましょうよ」


 メルボネはニヤニヤしながら、どう見ても失礼な態度をとっていた。目の前にいる王の味方はこの城内にはいないと分かりきっているがゆえの態度だった。


「王の大事な、大事な目標のための任務なんですから。それに失敗するようじゃ、師団長になんてなれませんよね」


 メルボネには、とくにこの国の未来というビジョンはないので、拡大政策そのものに反対しているわけではない。まさにこの、師団長の座をほかの団長にとられる可能性に、ここまでの怒りをぶちまけているのだ。


 勝負あったな、と、余裕綽々といった口ぶりのメルボネに、シャドニーの眉は明らかにつりあがった。


「メルボネ。千人いる今のわが国軍なら、外敵が現れたとしても、このトラディーを守ることくらい、なんてことないだろう。

 そんな余裕が、きみの現状維持を望む慢心を生んでいると思わないか」

「王という絶対的な立場という余裕があるから、改革を望んでいるんでしょう。似た者同士ではないですか」


 シャドニーはそれには答えず、部屋を出て行った。メルボネは、王妃や王女といった家族と、頼りにしている団長も人質のように奪われてしまえば、王はもっと弱気になるだろうと算段していたので、こうしてけんか腰な王の態度は少し誤算であった。


「たしかに、もうすぐ一か月か。そろそろ、アヌボットにもミラウにも、死んでもらわないとな」


 メルボネは小走りで、アデライトの団長部屋を訪ねた。


 一方で、王室に戻ったシャドニーは、サーヤのことを考えていた。今や、あんな少女を頼るしかないという自身の状況は悲観していた。そして、いつもそばにいる例の犬も、サーヤに預けてしまったため、今や身の安全も保障されない。


「彼は必ず、任務は遂行するだろう。でも、喋ることはできないからなぁ」


 あの犬はいったい何者なのか、その説明をサーヤにする暇もなかったことも、シャドニーをより不安にさせた。


「信じよう。彼も、団長だ」

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