店主
「そうだ、君にも紹介しないと! こっちにおいでよ」
「ウン?」
何かを思い出したハチワレは、力強く獣の手を取る。
戸惑いの声を上げる獣だが、ハチワレはそれを同意と取ったのか、強引に祭祀場の奥へと引っ張った。
東西南北、4つ出入り口を設けられた円形の広場の中に、ヨーギルの泉はある。ハチワレがひっぱったのは、その広場のうちの一つ、北に位置するものだ。
その位置は、獣が入ってきた南とちょうど反対側になる。
「ワー……?」
入り口の梁を越えると、そこは石壁の通路になっていた。長方形に切り取られた黒灰色の石が、それぞれ互い違いになるよう規則的に組み上げられている。
しかし、石壁は永い年月によって、布の端が次第にほつれるように崩れていた。獣が歩く通路の一部は、混沌とした瓦礫の山になっている。
ハチワレと獣は、自分たちの身長よりも高い瓦礫の小山を避け、進んでゆく。
すると、その先には――
「ほら、ここがね、お店屋さん! お菓子も、チャリメラもあるよ!」
喜色の混じった声でハチワレが獣に振り返って告げる。
彼が小さな手で指した先には、木製の台に、垂れ布で飾った「屋台」があった。
垂れ布には、文字なのだろうか? うねる黒蛇を思い起こさせる、不定形で曲がりくねった文様が横1列になって書かれている。黒蛇は黄色や赤といった、とても可愛らしい花の模様で飾られていた。
殺風景で冷たい石の壁にはとても似つかわしくない。
「……ワァ! ウン?」
屋台に驚いた小さく可愛らしい獣。しかしかれは小首をかしげる。屋台のなかに、奇妙なものを見たからだ。
台の上には、遠い昔、この大地を駆け回った獣を象った小物入れ、ポシェット、雑多な食料品や雑貨がある。これも珍妙、奇妙なものばかりだが、それではない。
店主だ。
屋台の店主は黒金の全身鎧に身を包んでおり、兜の口元だけが露出していた。
ことさら奇妙なのは、口元と言っても、そこに唇がないことだ。店主は歯茎を露出していて、むき出しになった白い歯が並んでいるのが見えた。
「よす」
「ワ……」
返事する店主の異様な風体に、矮小で可愛らしい獣は、短く声を上げて縮み上がる。その反応が興味深かったのか、獣を見た店主も間延びした声を上げた。
「オー?」
「えっとね……この人は鎧さん!」
「オ~新しいお客さん……ヨロシク」
獣の緊張をよそに、ハチワレはひょうきんな声を上げ、店主も獣に対して軽く手を振り、気さくに挨拶した。
獣は二つのちいさな手を、体の前でにぎにぎしている。
緊張、警戒、そういった動作に見える。
そう、獣は人見知りをしているのだ。
この矮小な獣の生来の性格なのか、それともこの世界のことをよく知らないからなのか、それは判然としない。
獣はこの2人に、どう接したら良いのか、それがわからないのだ。
「ウ、ウワァ……」
「あ、泣いちゃった」
「お~っ?」
矮小な獣は体も小さければ、その感情の限界も小さかった。
その小さく、黒い目から獣はとめどなく涙を流す。
「はじめて人に会ったから、びっくりしちゃったのかな?」
「あ~そうだ、コレ」
鎧さんと呼ばれた店主は、屋台の商品、その一つをゆっくり手に取ると、瞳を涙で濡らした獣に渡す。薄めた赤色をしたそれは森林地帯に住む猛獣「血狂い熊」を象った小物入れだった。
「ワ……」
「コレ、始めてのお客さんに渡すやつ。サービス」
「ウー……」
瞳をうるませた獣は、手渡されたそれを身につけた。
不思議とそれはしっくりくる。まるで最初から身につけていたかのようだ。
獣が小物入れを身につけると、店主は屋台の横へよけ、獣の前に姿を出す。
そして――
「ホラお揃い」
店主の腰元には、矮小な獣が身につけたものと同じ「血狂い熊」のポシェットがあった。店主は軽く膝を折ると、そのポシェットを見せつけるかのように、腰を振って二頭の獣に踊ってみせた。
「使ってマ~ス」
「フ!!」
「もう笑ってる!」
獣は泣き止んだ。
みると、ハチワレも色違いのポシェットを身に着けている。
彼らとのつながりを小物入れから感じた獣は、もう泣き止むのをやめた。
受け入れられた喜びか、安堵か、獣は息を吸い込むと、大きくそれを吐いた。
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