泥の中に埋まるもの

 ぬたり、ぬたりと一歩ずつ墓場の泥をかき分けるようにして歩みを進める獣。


 獣の脚は短く、小さい、それゆえに、一歩踏みしめるごとに体全身でもって泥を振り払わねばならない。


「ワァ!」


 獣は、べしゃり、と粘り気のある水音を立て、前のめりになって泥の中に倒れた。


「ウゥー……」


 唸りは泥に向けた怒りか。それとも自身に向けたものか。定かではないが、向けどころのない怒りで自身を忘れないほどの分別は獣は持ち合わせていた。


 この泥の中、一体どうやって渡ったものか。獣は周りを見渡し、役に立つものを探した。そして、それはあった。獣は足場になりそうなものを見つけた。


 ――墓碑だ。

 誰のものかわからぬ、もはやだれも訪れることが無い、獣の勇者のもの。


 獣は刺股で墓碑を押し倒すと、短い手足でもってそれによじ登り、足場とした。


 墓碑は乾いた砂と埃を巻き上げながら泥に倒れる。

 泥をかき分けた津波は獣を襲うが、そんなことには構っていられぬ。


「フゥ……!フゥ……!」


 墓碑を継ぎ足し、継ぎ足し、足場にしていく。泥の海を抜け、ようやく足場の確かな場所についたころにはもはや息も絶え絶えだった。


 水、水が欲しい。

 しかし、この場所で水を求められるような場所は見当たらなかった。

 ……乾く。

 息を吸い、吐く、その繰り返しごとに、喉が不愉快にねばりつく。


「ハァ……アッ!」


 あたりを見回す獣の視界に、あるものが映った。

 丸い石造りの噴水だ。


 獣は水を求めて、草と果物が象られた装飾のなされた噴水に近寄る。

 しかし、その泉はとうに涸れ果てていた。


「ウゥー……」


 噴水の底には黒く乾いた砂、そして割れた石の板しかない。

 しかしきらりと白く光るものがあった。獣はそれを手に取る。


 ――瓶だ。中には乳色の液体が入っている。

 しかし内容物は見たことが無いものだ。


 液体のようで液体ではない。固体のようで、固形物ではない。

 それはさながら、生きている霞のようだった。


 獣は知る由もないが、これはヨーギルという秘薬であった。


 既に此方の世界では、その秘法は失われて久しい。

 だが、プチプリティの世界では、まだこれを手にすることが叶うのだ。

 獣は瓶の封印を解き、まるでそれが最初から何であったのか、知っていたかのように指先で拭って、口に運んだ。


 ――甘露。


 かつて神の子孫である王が仁政を行った治世に、天が降らせたという甘いつゆ。ヨーギルとはその名残だ。

 獣の体に力がみなぎる。乾ききって、空気を拒絶していた喉に息が通る。


「ホッ……ウン……!」


 獣は空になった薬瓶を放ると、指股を握り直す。

 そして、また歩み始めた。あの霧の向こうへと向かって。

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