灰原鉄左
翌日は五時半に起き、六時にかよ達が作ってくれた朝食を食べた。飯炊き女達は男子寮に朝食を配りに行ってしまったので、一人で朝食を摂ることとなった。
深町一丁目にいる時に食べていたように上品に食べていると時間に遅れそうになったので、最後はかっこむ形となってしまった。
七時に集合場所に向かうと、既に五・六十人の男達が集まっていた。
「みんなー、今日から入る、菜穂子くんだ。若いが腕は確かだ」親方は菜穂子をみんなに紹介すると、自己紹介するように促した。
「菜穂子です。現場は初めてですので馴れないとは思いますが、よろしくお願いします」菜穂子はお辞儀をした。
ヒューッヒューッ。口笛が飛んできた。
「お姉ちゃん、彼氏いるのー?」野卑な声も飛んできた。
「お前ら、ふざけるなー」親方が明らかに二日酔いの息で怒鳴った。すると、場内は静まり返った。
「取り敢えずは、灰原と組んでもらおう」親方はそう言うと灰原を呼んだ。
「灰原、ちょっと来い」
すると、左手と左足が機械になった男が、機械の脚を引き釣り気味に前に出た。そしてその後ろから一頭のバームが付いてきた。
バームは西政府が開発した人造人間で、身長は優に三メートルを超えた。
「灰原鉄左です。よろしく」鉄左は右手を差し出した。
「菜穂子です。宜しく」菜穂子はその手を握った。
「俺も鉄左と呼んでくれ」と言うと「後ろのバームを指差し、「黄色目だ。黄色い目と書いて『キーロメ』と読む。気立ての良いやつだ。こっちも宜しくな」
黄色目は文字通り白目の部分が黄色くなった三メートルを有に超えるバームだった。
「菜穂子は三号機を使ってくれ」親方が口を挟んできた。
「解りました」菜穂子はヘルメットを被ると、磔刑文字で「3」と書かれたヘンデクランに歩いていった。
その日の作業は直径二メートルのボイド管をトラックから担ぎ出し、セメントを流し込んでいる間、立て掛けたボイド管を支え持つという簡単な物だった。
菜穂子は黄色目と協力しあってトラックから大きなボイド管を抱え持つと、息を合わせて所定の場所まで運んで立て掛けた。
黄色目は灰原の言うことをよく聞くパームで、灰原が適切な指示を与えると、大人しく言う通りの事をした。
作業は単純で、ヴァッサーツォイクに乗り馴れた菜穂子にとっては単調なものだった。バランスを取るのが少しコツが要ったが、すぐにそれは解消された。
コクピットは密閉されている筈だったが、何処からか砂塵が舞い込み、手拭いで口を抑えないと口腔内に入ってきた。
ボイド管の立て付け作業の後は、鉄筋と作業とL形アングルの積み下ろし作業だった。こちらはパームよりヘンデクランの方が向いていて、殆ど菜穂子が作業した。
そうこうしていると、あっという間に時は過ぎ去り、昼休憩を知らせるサイレンが鳴った。
菜穂子は徹左に頼まれ、棒状の餌を入れた桶と水を入れた桶を取ってきて、黄色目の前に置いた。黄色目が美味しそうに餌を食べるのを見届けると、鉄左と菜穂子は飯場に向かった。
昼飯は緑牛と合成肉のシチューと南海キャベツのサラダだった。いずれも深町一丁目には無かったものだったのだが、案外口にあった。徹左の話では本物の牛はもう地上にはいないらしく、本物の牛肉を食べた事があるというと、徹左は甚く驚いた。この街には遺伝子改造された緑牛や猫目大豆で作った合成肉くらいしか無いそうだ。
「後は、ツノイノと水豚くらいなもんかなぁ」鉄左はスプーン片手に天井に目をやりながら言った。
「ラム肉も無いんですか?」
「ラム肉?何だそりゃ?」
「子羊の肉ですよ」菜穂子が答えた。
「山の方に行きゃ、崖羊がいるがのぅ。ここらじゃあまり食べんな」
「そうですか……」菜穂子はもう本物の牛や子羊の肉は食べられないのかと悲しんだ。
しかし、前日見たメニュー表には菜穂子が見たことのある魚料理は豊富だったので、魚料理では故郷の海底居住区を思い出せると思った。
午後の作業も同じような建築資材の積み下ろし作業や廃材の積み込み作業が主だった。
朝の野卑た声掛けに反して、菜穂子にちょっかいを出してくる者はいなかった。
側にはいつも徹左がいてくれたお陰だろう。
鉄左は口数の少ない青年だった。左腕と左脚が機械の手足になっていて、傍から見るとちょっと脅威になるようだったが、実は気の優しい青年だった。勝手の分からない菜穂子に何かと言えば、手取り足取り教えてくれた。
夕食の時も菜穂子のために代用ビールを持ってきてくれて、コップに注いでくれた。
「どうだい?仕事は慣れたかい?」鉄左は菜穂子のグラスに代用ビールを注いだ。
「はい。鉄左さんが色々教えてくれるので」菜穂子も鉄左のグラスに代用ビールを注いだ。
「俺みたいなサイボーグで良けりゃ、何でも言ってくれ」鉄左は左手をガチャりと鳴らせた。
その時、飯場のドアをガラガラっと開けて中に入ってくる三人の男がいた。
「よおっ、鉄左」そのうちの一人が鉄左に声を掛けた。
昼間に会っていたが、名前の知らない三人だった。
「よお、一緒にどうだい?」鉄左が三人をテーブルに誘った。
「お嬢さんも一緒かい?」背が低く坊主頭の男が訊ねた。
男は名を「袈裟」だと名乗り、鉄左が「律師二等兵の元僧兵だ」と紹介した。すると男は、
「僧兵崩れな訳だ」と何故か坊主頭を撫で回し頬を染めて照れた。
もう一人、背が高くがっしりした体つきの科目な男は、西郷と名乗った。彼は元東政府の狙撃兵をしていた狙撃の名手だそうだ。
再小瀬の一人は、背が低く、手の指に水掻きのある少年のような男で、「河童』と名乗った。驚いたことに、瑞牆だけではなく、エラ呼吸する鰓も付いていた。
三人は今日の定食のズボの煮物定食を取ってくると、菜穂子達と同じテーブルに付いた。ズボというのは菜穂子達が「赤目鰻」と呼んでいいたもので、深町一丁目で食べた赤目鰻の蒲焼きと変わらぬ味がした。
「今日は随分といい天気だったから、コンクリの乾きもいいだろうな」左官の袈裟が言った。
「うん、風も良かったから、袈裟さんの仕事には良かろうが、こっちは落ちやしないかとヒヤヒヤだったよ」鳶職の河童がそう言った。
溶接工の西郷は寡黙でひたすら代用ビールを煽っては定食を食べていた。
「菜穂子は何処から来たんだい?」鉄左があけびタバコを吸いながら訊ねた。
「東の方にある深町一丁目です」
「知らねぇな。肘折半島の方かい?」袈裟が訊ねた。
「まぁ、そんなところです」菜穂子は自分の故郷について語ろうとしなかった。
それはここ猫崎があまり治安の良い街ではないと気付いていたからであった。大顔地区に住み着く悪党が深町海底居住区にまで押入れば、海底居住区の平和は失われてしまうと思ったし、海底居住区の人間も地上が居住可能だと解ったら、地上に押し込み、混乱を招くのではないかと危惧したからだ。
「肘折半島は海軍ぐらいしかいないんじゃないかい?」河童が訊ねた。
「それは……」
「まあ、いいじゃないか。菜穂子に里心がついちゃいけねぇ」と鉄左が助け舟を出してくれた。
「そうだ、漸く五人でワンチームになれたんだからな」寡黙な西郷が珍しく口を挟んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます