水龍川軽便鉄道 外伝 ヘンデクラン

相生薫

差配師

 暮れなずむ街の中、菜穂子は差配師の源次郎を待って佇んでいた。


 街は至るところ破壊され、通りのビル群は一つおきに完全に崩壊していた。


 一陣の風が菜穂子の長い黒髪を撫で付けた。


 やがて源次郎が一人の男を連れ、小走りにやってきた。


「この娘がヘンデクランの操縦者かね?」男は菜穂子の前に着くと、開口一番、明らかに菜穂子の年齢と性別に驚いたように言った。


「ヴァッサーツォイクの操縦が出来るそうだ」差配師はそう言って菜穂子を紹介した。


 ヴァッサーツォイクは水中用の二足歩行重機で、海底深くまで活動できる潜水ロボだった。


「国木田菜穂子です」菜穂子はそう言うと右手を差し出した。


「こちらが親方だ」源次郎が男を菜穂子に紹介した。


 親方は不思議な物を見るような視線で菜穂子を見つめ、その手を握った。


「ヴァッサーツォイクだと?」親方は訝しげに訊ねた。「あんな大戦中の代物を動かせるだって?」


「遠い街で操縦してました。本当です」


「なぁに、海女でもやっていたんだろう」源次郎が助け舟を出した。「問題はヘンデクランを操縦できるかどうかだろう?」


「ヘンデクランの操縦経験は?」親方は未だ疑わしげにそう訊ねた。


「ありませんが、聞いた所によれば、操縦できそうです」


「オムニコントローラーの扱いは?」


「大丈夫です」


「まあまあ、実際、操縦して貰ってから、決めても良いんじゃないかね」源次郎は差配師らしい口調で宥めた。


「じゃあ、ちょっと乗ってもらおうか?」親方は興味半分揶揄半分といった感じでそう言うと「ちょっとこっちに来な」と、一人歩き出した。差配師と菜穂子は後に続いた。


 五分程歩くと、広大な工事現場についた。現場には三機のヘンデクランが屹立していた。


「ヘンデクラン」とは二本の腕にそれぞれ五本指が着いた二足歩行式の装甲重機で、大戦中は戦闘に用いられていた乗用武器だ。両手ヘンデクレーンクランでヘンデクランという名がついた。地上版のヴァッサーツォイクという訳だ。


 親方は三機のうちの一機に向かい、その前に立てかけてある脚立に登って、キーを差し込み、回した。すると、胸の部分が開き、コクピットが顕になった。そしてコクピットのスイッチを幾つか弄り、頭部のライトを付けた。


 暮れかけた野にライトのビームが輝いた。


 親方は脚立を降りてきて、今度は菜穂子が乗るように指差して促した。


 土木作業に使われるだけあって、コクピットは所々土が付いており、デザインも無骨だった。菜穂子の操縦していたヴァッサーツォイクとは雲泥の違いだったが、操縦方法は変わらないようだった。


「こっちの鉄筋をあっちに移してみろ」親方は大きな声で言った。


 菜穂子はコクピットに乗り込み、ハッチを閉めて、シートベルトを締めた。腕部と脚部のブレーキレバーを解除すると、フットペダルを踏んで、三歩後退した。オムニコントローラを軽く動かすと、指がワラワラと動き出した。


 菜穂子はヘンデクランを回転させ、三束ほどの鉄筋を掴むと、移動して親方が指し示した所へ鉄筋を降ろした。


 ヴァッサーツォイクと比べ、浮力が働かない分、しっかりと地面を踏みしめなければならず、平衡感を掴むのに少し苦労したが、慣れれば何ていうことはなかった。


「ようし、じゃあ、今度は戻してみろ」集音マイクが聞き取った親方の声がスピーカーから聞こえた。メインモニターに映る親方は今降ろしたばかりの鉄筋を指差していた。


 菜穂子はバランサーを操りながら、フットレバーを踏み、ヘンデクランを前進させ、脚立の位置まで戻った。


「初めてにしては上出来だ」親方の声がスピーカーから聞こえた。


「じゃあ、今度はこれを投げてみろ」親方は二十五ミリ×百ミリ位の六角ポルトを拾い上げ、菜穂子の方に差し出した。


 菜穂子はオムニコントローラーを器用に動かし、指先でボルトを掴み上げると、右手で前方に投げた。ボルトはメインライトに照らされながら放物線を描いていった。


「よし、良いだろう。降りてこい」


 親方の声に従い、菜穂子はハッチを開け、コクピットから降りてきた。


「住み込み希望だそうだな?お姉ちゃん」親方が黄色い目を見せて、菜穂子に訊ねた。


「はい、菜穂子でいいです」


 菜穂子は『お姉ちゃん』呼ばわりされるのは厭だったが、仕事と寝床が見つかったことは正直、嬉しかった。


「寝床は飯炊き女達とおんなじプレハブだ。いいな?」


「はい、それで結構です」


 菜穂子がそう言うと、差配師は二人を街まで連れていき、一軒の料理店に入った。


 料理店の入口のドアには「失業者と求職者お断り」というステッカーが貼ってあった。失業者と求職者の何が違うのか分からないし、何故「お断り」なのかも判らなかったが、取り敢えず、自分は今の所どちらでもないと菜穂子は自分に言い聞かせた。


 席に付くと親方は菜穂子にメニューを放り投げた。


「今日の夕食は間に合わん。好きなものを食べろ」と親方はぶっきらぼうに言った。


「あの、お金は……」菜穂子は金を十元しか持ってなかった。さらにメニュー表にはウォンとユーロの金額しか乗っていなかった。菜穂子はメニュー表を差し戻した。


「なぁに、入社祝いだ。好きなものを頼め」親方は再びメニュー表を差し出した。


 メニューを見ても菜穂子が食べた事があるものは少なく何だか良く解らないメニューだった。仕方なく、食べたことのある緑烏賊の刺し身定食を頼んだ。


 食事を頼んでいる間、差配師は書類を取り出し、何かを記入した後、菜穂子と親方にサインするよう求めた。


 二人がサインを終えると、差配師は満足そうに笑った。


「さぁ、これで契約成立だ。たんと食べてくれ」差配師がそう言うと、丁度料理が届けられた。




 菜穂子が差配師の源次郎に出会うまでそう時間は掛からなかった。


 菜穂子がこの地に降り立ち、少し頭痛のする中、この街を彷徨した。瓦礫だらけの街。だけれども、復興に向けて大勢の人達が仕事をしているのを見て回った。


 みんな必死で生きていた。あるものは猫車で土砂を運び、あるものは機械で地面を慣らす。あるものはセメントを流し込んでいた。瓦礫を取り除いている者もいれば、新たに建物を建てる者もいた。ヘンデクランを操縦しているもの、パワーショベルを操縦するもの、身長三メートル以上はある人造人間のバームを使役するものも見えた。


 そんな時、源次郎に声を掛けられたのだ。


 初めは夜の街で働かないかと訊ねられた。深町一丁目のシスティナな横丁にもそんな店があったので、夜の街で男達に酌をする仕事があるのは知っていたが、菜穂子には務まりそうもなかったし、何しろ年齢がバレれば政府に捕まる可能性があった。


 十七歳の菜穂子には少し早い世界だった。


 他になにか特技はないかと聞いてきたので、菜穂子は正直にヴァッサーツォイクの操縦経験を話した。


 ヴァッサーツォイクは大戦中の物なので、現在はこの街に無いようだったが、大戦経験者の源次郎はヴァッサーツォイクを知っていた。源次郎は日雇い人夫の差配を主な生業にしていて、それじゃあ、親方に相談してやる、という話になったのだ。


 親方は親方で、長期間雇えるヘンデクランの操縦者を探していた。人夫は日によって雇える人数が違っていたので、日雇いで充分だったが、ヘンデクランの操縦者はは長期間雇える者が欲しかった。


「飯代と寮費は給料からの天引きでいいな」


「私は雇って貰う身ですから、そちらの都合のいいやり方で結構です」


 菜穂子と親方が契約を終えると三人で三叉握手をして、場を締めくくった。


 食事を終えると、親方は菜穂子を寮に連れて行ってくれた。寮と言ってもプレハブ平屋建ての飯炊き女が寝起きしている施設だった。


「寮は男子禁制だ。男など連れ込むなよ」親方は軽口を叩いた。


「……」それには何も答えなかった。


「おい、かよさん。かよさん!」


 親方が玄関から叫ぶと、バタバタと足音がこちらにやってきて下膨れの女が顔を出した。


「かよさん、今日から入ることにした、菜穂子だ。開いてる部屋を用意してや

れ」


「飯炊きですか……。それなら……」かよが言い終わらぬうちに親方が、


「ヘンデクランの操縦者だよ。飯は作らん」と言った。


「はい、はい」かよは何だか少し迷惑そうに言った。


「それから、布団と毛布もだ」


「解ったよ。付いてきな」かよはまたもや迷惑そうに言うと、とっとと奥へ下がっていった。


 仕方なく、菜穂子は黙って加代の後を追った。


「明日は七時集合だぞ。寝坊するなよ!」親方の声が背中に突き刺さった。


「解りましたー!」菜穂子は振り返ってそう言った。


 菜穂子が案内されたのは、四畳ほどの部屋で、ベットが置いてあり、それだけで他に何も入らないような部屋だった。部屋の天井は合成メタンのランタンが出す黒い煙に煤が掛かっていた。


「あんたの部屋はここだよ。布団と毛布は今持ってくるから」とかよが言った。


「ありがとうございます」菜穂子が礼を言うと、かよは布団と毛布を取りに行った。


 暫くして、かよが布団と毛布を持ってくると、それに包まり菜穂子は睡眠に付いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る