第41話 竜宮城帰りの丘石先生

 赤瑪瑙の石が真っ二つに割れると、龍穴からどす黒い霧と溢れ出し、天高く黒い霧が筒状に立ち上ると、そこから津波の龍も姿を現した。

 


 十六時八分、福田先輩と野田が庁舎前まで走って来ると醤屋公園の方角に津波の龍がたち昇ってゆくのが目撃した。

「うわぁぁ……あれ見てくださいよ。りゅうですよ?ひえぇぇ……」


「なんやあれ……マジッかよ。すげ〜本物だァ……おい野田、こんなところに座り込むな!早く行くぞ!」 

 腰を抜かして、その場にヘタり込んだ野田君を、福田先輩がすぐに引き起こし、庁舎の中へと入って行った。  

「はひぃ……」

 



 同時刻、一向に防災無線が途切れないために、町長は苛立ちを覚えて立ち上がり、すぐに総務課へ電話をかけて現状の確認を始めた。

「私だが……一体なにが起こっているんだ?」

  

 

 同時刻、消防署に丘石先生がやって来ていたのだが、ドアの手前で公園の霧騒動も、五條の罠ではないのかと一瞬足を止めて戸惑っていた。

 

「丘石先生じゃないですか?こんなところにいたら危険だ!早く逃げてください」

 山寺さんが青ざめた顔をして走り寄ってきたのだが、丘石先生は山寺さんがなにを慌てているのかが分からずに戸惑っていた。

「あぁ……山寺さん……えっと、逃げる?」

「そうです!あれを見みてください」

 山寺さんは怯えながら、立ち上ってゆく龍を指さして怯えていた。

「あれ……とは……?」

 しかし、鱗に触れていない丘石先生には、その龍の姿どころか黒い霧すらも見えてはいなかった。

 

「山寺さん、えらいことになったなぁ……」

 消防署の中に居た大畑さんが、勢いよく飛び出て来て、慌てふためいていた。

 

「あんな化け物がいるなんてなぁ……驚いたよ」

丘石先生は二人の緊迫した会話であったが、その中に入れずに困っていた。

 

「とりあえず、消防隊と消防団に、避難できるように緊急連絡を出しました」

「ワシも署の方へ応援要請は出したが、来てくれたところで、どうすることも出来んじゃろう……」

 

 その真剣な表情と話す内容のギャップの差が、丘石先生をさらに困惑させ、納得出来ずにいた。

「あの〜すみません。いったいなんの話をしていらっしゃるのですか?」

 

「はぁ……」

「なにを言っているんだい先生?気は確かか?龍だよ!あの龍が見えないんですか?」

「はぁ……?」

丘石先生は龍と聞いてもピンとこずに、眉をしかめて困った顔をしていた。

 

「とにかく先生も早く避難してください」

 山寺さんと大畑さんは駐車場に停めていた消防車に乗り込むと、すぐ町に向かって走り去ってしまった。

 

「ええい、なにがなんだか、わけがわからん!」 

 二人の深刻そうな対応から、ことの重大さはわかったつもりだったが、やはりまだ全てを理解、仕切れておらず呆気に取られたままであった。

 

「とにかく一旦、役場に戻るか……」

 そのまま、とぼとぼと役場までの道のりを、重い足を引きずって歩いて行った。


 十六時十七分、カッカッカッ……と、三階から誰かが階段を降りてきた。

「こんな混乱を招くようなことをしているのは、きみかね……テレビの見すぎじゃないのかね!」

 

 その人物とは丘石町長であった。この騒動を抑えるため、執務室から降りてきたのだ。放送室の前まで来て、ギッロッと俺を睨みつけている。

「俺はテレビは好きだが、嘘は言っていない……」

「津波がくるなんて馬鹿げた話、どこが嘘ではないと言い切れるんだ?もし津波来なかったら町はパニックに陥るだろう!そんなことも分からないのか?キミは……」



 その『もし津波が来なかったら』という言い方にイラッとした俺は知らぬ間に、町長の首根っこをグッとつかみ、啖呵を発していた。

 

「丘石先生が言っていたよ。男には、やってはいけないことが二つある。生徒を苦しめることと時間を粗末にすることだ、ってな」


 すると丘石町長も怒りに満ちた表情のまま、口をへの字に固く結び、俺を睨みつけていた。俺も丘石町長を睨み返し、追い討ちをかけるかのように反抗した。

「それじゃぁ、もし逆に津波が来たらどうするつもりなんだ?今やれることをやらないのか?これだけあんたを慕う町民達がいるんだよ。それには応えてやれよ」


 そこへ役場に入った福田先輩が、町長と揉めあっていた俺を見つけ、慌てて飛び寄ってきた。

「おい、五條ここにいたのか!大変だ……龍が現れやがった。早く逃げないとみんな殺されてしまうぞ!」

 

 俺は思考を凝らして考えた…… 

――なぜ福田先輩に見えている龍が町長には見えていないんだ?もしかすると鱗に触れたものは龍の姿を見ることが出来るのではないだろうか?

 

「丘石町長、この鱗を手に持って窓の外を見てください。話はそれからです……」

 その仮説を実証するため、町長の手に鱗を渡し、窓の外を見るように促した。

 

「何を馬鹿げたことを言って……」

 町長は窓の外をみて、タラりと冷や汗を掻き自分の目を疑い擦っていた。そして再び窓からの景色を眺め、足をガクガクと震わせ恐怖におののいていた。

 

 それもそのはず窓の外では立ち上る霧の中に、巨大な黒い津波の龍が映り、大空を我がもの顔で泳き、登ってゆく様が見えていたのだ。

 

「これが今、現実に起こっていることなんだよ。俺は呼詠を護りたいだけだ。そのためだったら、この命、賭けてやってもいいんだ!あんたも、たまにはその命、住民のために、賭けてみたらどうなんだ!」


 町長も子供の戯言など信用出来るはずもなかったが、龍がいる光景を目の当たりに見せつけられては、その重い腰をあげざるを得なくなっていた。

 

「……役場職員全員に告ぐ!大至急、避難勧告を出し対応と各自の避難に当たれ……大至急だ!」 


 町長の業務命令には、職員全てが動揺し驚きを隠せずにいた。しかし、町長命令である以上は、動かざるを得ずやむなく、すぐさま対応を取ることとなった。

 

「消防署と警察署に連絡を入れたところ、既に行動を起こしているとのことで、もうすぐこちらにやって来るそうです」


 消防と警察の対応の速さには、みなが驚いていた。たぶん山寺さんと大畑さんが、段取りよく事を運んでくれていたおかげであろう。

 

トントントン……

「少しいいだろうか?」

 丘石町長自ら放送室の扉を軽くノックして中にいる叶芽に呼びかけた。

 

「キミ達が、どうやって地震のことを知ったのかは分からない……だが、早くこのことに気づけて良かった。心から感謝する。ありがとう、そして申し訳なかった。許して欲しい」

 丘石町長は中にいる叶芽に深く頭を下げて謝罪した。するとドアの向こうから叶芽の声だけが聞こえてきた。

 

「わかって頂けただけで十分です」

「ありがとう、あとのことは私が代わりにやろう。だから、このドアの鍵をあけてはもらえないだろうか?」

 

……ガチャり 

 すると固く閉ざさた放送室のドアの鍵が開かれ、中から叶芽がゆっくりと顔を出した。


 すると叶芽の髪は、バッサリと切られたショートボブの叶芽がそこに立っていた。俺と福田先輩は口をあんぐりと開けたまま硬直してしまった。

 

「ありがとう、恩に着るよ」

 そして町長自らが放送室の中に入り、マイクを手に取って、住民に呼びかけた。

 

『私は廣河町長の丘石 良樹です。もうすぐこの町に津波が来る恐れがあります。住民の皆さんは早急に高台に避難してください。繰り返します……』 



 町長の放送を聞いた住民達は、これは一大事であると実感して、すぐに全水門を閉め始めた。

 しかし赤門だけは地震の影響で地面が歪み、上手く閉じなかった。


 そこへ丘石先生が、役場の中に入ると職員全員がバタバタと動き回っている。なにがどうなんっているんだという表情で戸惑っていた。

 さらに階段を登り二階まで、やってくると町長までもが慌ただしく動いていた。それはまるで竜宮城から帰ってきたばかりの浦島太郎のような孤独感にさいなまれていた。

 

「英樹!さっきは済まなかった。許して欲しい」

 丘石町長が自らが、息子に頭を下げた。これには丘石先生も面食らってしまった。 

「ええっと……これはどういうことなのか教えて欲しいんだが……」

 

「先生……それじゃ、これを持ってあの窓から外を見てください」 

 俺はドヤ顔で先生に鱗を手渡し、窓の外を眺めるように促した。先生は半信半疑のまま窓の外を見詰め、口をあんぐりと開けたまま、硬直して真っ白になってしまった。


 


十六時三十分、赤瑪瑙の石が光出して粉々に砕け散り、黒い津波の龍が戸愚呂を巻いて、うねり出すと天高く舞い上がった。

 そして津波の龍はぐるぐると渦巻き状に巻き始めると、急に地上に向かって落下した。

 

ズズズズッ……ズドドド――ン!

 十六時三十三分、本震の地震が……始まってしまった。

 

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