第23話 叶芽の告白

 夏真っ盛りの八月の半ば頃、俺は毎日のように呼詠さんの喫茶店に通い、お手伝いをしていた。かなりの繁盛ぶりに休む暇さえなかった。

 

 厨房の暑さも然る事ながら、フロアにいる客たちも夏を楽しもうとする熱気がもの凄かった。

 忙しすぎる……もうダメだ。俺が根をあげた時だった。

「お客さんも居なくなったことだし、そろそろ休憩にしましょうか?」

 

「やったぁ……」

 忙しかったお店に休息のひと時が訪れた。俺は空いたテーブル席に座り、テーブルにぐったりと倒れていた。

 

 そこへ叶芽がやってきてオレンジジュースが注がれ、露のかかりギンギンに冷えたグラスを一杯、俺の前に置いてくれた。

「お疲れ様、大丈夫?……最近、お店の仕事にも慣れてきたみたいじゃない」 

 

「ありがとう、喉もカラカラだったんだ……」

 俺はそのジュースを一気に飲み干すと、頭がキーンと痛くなった。グラスの中に入った氷が、カランと音立てて崩れ落ちた。 

――やっぱり叶芽の入れてくれたオレンジジュースは最高だ!

 

「お店も余裕が出てきたようだし、海にでも行ってみない?」 

「いいね……行こうか!」

 俺が一歩店を外に出ると、額から汗がにじみ出ていた。その横には叶芽がいる。真夏にサンサンと光る太陽を仰ぎみていた。


「ハイ、智くんもお疲れ様……」

 美和母さんが福田先輩に、アイスコーヒーを出してもてなしてくれた。福田先輩も夏の暑さと、客の熱気でバテバテになっていた。

 

「美和さん、ありがとうございます」

 そう言って差し出されたアイスコーヒーを飲んでいた。

「あの二人っていいわね……智くんも早く彼女作ればいいのに……」

「………………」

 福田先輩は店の入口付近で楽しそうに話をしていた俺達を恨めしそうな顔で眺めていた。その視線に俺は悪寒が走り、身震いをしてあたりを見回した。


「どうしたの陸?」 

「いや、なんでもない」

「そう?」

 

 真っ青な海と白い砂浜には、たくさんの観光客で賑わい、遊泳を楽しむ声が聞こえてくる。夏は人を解放的な気分にさせる。もちろん、それは叶芽も例外ではなかった。

「今日も暑いね……新しい水着買ったんだ。一緒に泳ごうよ」

 

 叶芽はTシャツにデニムのショートパンツ姿は、すごく大人びた彼女はとてもセクシーであった。さらにその下に水着を着ているようだった。


 できることなら俺も叶芽と一緒に泳ぎたい。だが……俺にも苦手なことがあった。それは……

「ごめん……俺、水が怖くて泳げないんだ」

 

「そう……なんだ」

 俺の悲しげな表情を見て、残念がる叶芽は少し寂しそうに見えた。しかし、そんな叶芽を愛おしく感じていた。


「それじゃ、足だけでも入りに行こうか?」

「うん、それはいいね、そうしょう……」

 叶芽の顔がパッと明るくなって、はしゃぐようにぐるりと回った。そして着ていたTシャツをパッと脱ぎ捨てて水着になると、そのまま走り出した。

「なにしとうと……早よう、こんね」

「あぁ……」

 

 叶芽は胸がとても大きく、スタイルがよく水着姿は、とても煌めいて見えた。俺もTシャツを脱ぎ捨て叶芽を追って海へと向かって行った。


 さざ波の流れる音と打ち寄せる波が足に触れる。舞い散る水しぶきがとても冷たくて気持ちよく、俺達は浅瀬の海で水遊びを楽しんだ。

 ひとしきり遊んだあと、堤防の木陰で休憩することになった。


 俺は自販機で買った冷たい缶ジュースを、叶芽の火照った頬にピタりと押し当てた。その冷たさで、ちょっぴりむくれた顔をする叶芽が愛おしいかった。

 

 缶ジュースを飲みながら、俺は昔話を始めた。どうしてこんな話をしたのかはよく分からなかった。ただ彼女なら信じてくれる。そんな気がしていた。

 

「俺は九歳になるまで、宮城県に住んでたんだ。そこで恐ろしい地震と津波に遭遇したんだ。その時、俺の父さんも津波に飲まれて亡くなった」

 

「それって東日本大震災よね?」

堤防に座り、片膝を抱えた叶芽は悲しげな表情で俺を見ていた。

 

「あぁ、その時見たんだ。三陸沖の水平線に黒い龍のようなものを……」

 こんなこと言って信じてもらえるのかどうか、分からなかった。それでも叶芽には知っておいてほしかった。

 

「そう……」

 叶芽が『陸も見たんだ……あいつを……』と、ささやく声が聞こえてきた。

 

 物悲しげな感情を押し殺すような顔をして、手渡した缶ジュースの縁を指でなどり、じっと見つめて物思いにふけっていた。

 

「その龍なら……私も見たよ!真っ黒な龍でしょう。ギロッとした目で私を見てた……」

 

 マジかぁ……俺は冷や汗をたらりと流した。そういえば、宮司の代々木さんも言っていた……


『……別名、死神の龍と呼ばれて恐れらている存在です』っと……さらに、目が合ったものはみんな死んでしまうという言い伝えもあるらしい。

 

 

「叶芽と言う女の子が阪神淡路大震災の犠牲となって死んだことは美和母さんから聞いたよ」

 俺は境遇が似ていた叶芽に惹かれていたのかもしれない。できることなら助けてあげたい。そう思うようになっていた。


「そう。あの時は、まだ朝も早かったから、二階の寝室で一人寝ていたんよ。そしたら大きな地震が来よってん。潰れた窓の隙間から外を見ると、黒くて大きな龍がこちらを覗いていたわ……いま考えても震えてしまうくらいの恐怖だった……」

 

 叶芽は過去の記憶を思い出すと、持っていた缶がガタガタと震えていた。叶芽はその龍によって殺されたのだろう。 

「叶芽もその龍に殺されたのか?」

 

 叶芽は、にっこりと微笑むと不思議なことを言い出した。あるはずもない出来事を、あたかもごく自然であるかのように……

 

「そう……かもしれへんし、違うかもしれへん……今もこうして、呼詠の身体を借りて話しとんのやから、不思議なこともあるんやね」

 

 大切な借り物である呼詠さんの身体をいたわるかのように、膝をギュッと抱えていた。

「うちがあの龍に飲まれた時、必死にもがき苦しんでん、そしてあいつの喉に噛み付いてやってん!そしたらあいつ、うちをペッて吐き出しおってんよ」


 そういう叶芽の手に持っていた白いなにかを俺に見せてくれた。それは直径約五センチほどの真っ白い扇状の鱗であった。

 

「その時うちの手の中に、この白い鱗が握り締めてあってんよ。ウケるわぁ」


 俺の頭では叶芽を助ける方法は分からなかった。

思いついたことといえば……

 

「それじゃ、その龍を倒せば叶芽は生き返れるのか?」

 叶芽は怪訝そうな顔で俺を見て、軽く背中をバンと叩かれた。日焼けした背中に入った一発がヒリヒリと痛み泣きそうになるほど効いていた。

 

「ハア……?なにダホなこと言っとんの……あんなもの倒せるわけなかとぅ………それにうちの身体は亡くなって焼かれとんのよ、生き返れるわけはなかよ」


 またダホって言われてしまった。確かに、あんな化け物相手に勝てるはずはないし、戻すための身体もなければ戻しようがない。それでも俺は……


 あれだけ賑わっていた観光客達も遊び疲れたて帰り支度を始めている。楽しげだった浜辺が閑散として寂しげな雰囲気へと変わってゆく。

 

「でも……うちのことそこまで心配してくれとんのやろ?それが嬉しいねん、おおきになぁ……」

 

「あぁ……」

 俺はそれ以上なにも言ってあげられることはなかった。でも、まだ諦めたわけじゃない。必ず叶芽を救い出す方法を捜し出してやる。そう俺は心に誓うのだった。

 

 白い入道雲が出始め、今年も夏の終わりを告げる。この夏の叶芽と過ごした時間が心に残り、大切な思い出になってゆく。

 いつまでもこの時間が続けば、いいのに……と思っていた。


「それじゃ、そろそろ戻ろうか。みんなも待っとぅし……」

 叶芽は座っていた堤防からバッと立ち上がり、店へと向かって帰き出した。俺もその後を追って帰ることにした。


 

「そういえばさぁ、陸の誕生日っていつとぅ?」

 帰る途中、不意に叶芽が聞いてきた。俺はキョトンとした顔で、お返しなど気にしていないよ……っという素振りで答えた。

 

「あぁ、俺は八月十一日だよ」

「そうなんだ……」 

 叶芽はふと歩くのを辞めて、俺の誕生日の日付けのことを考え始めた。

「……って、もうすぎとぅよ。なんで言ってくれなかったとぅ?」 

 過ぎていることを知ってキョトンとした顔をしていた。


「いやぁ、別に聞かれなかったから……」

 俺は振り向きもせずに歩いていた。なぜか、誕生日を聞かれたことが恥ずかしいかったのだ!

 

「絶対なにかプレゼントするとぅ……楽しみに待っとぅてなぁ」

 なぜかムクれた顔をして駆け出した叶芽が、俺の背中をペンッと叩いて、店へと帰って行った。

 

「痛ってぇぇぇ……」

――日焼けが痛いんだから、叩くのは辞めてくれ!

俺は涙を堪えながら、叩かれてヒリヒリとする背中を抑えて叶芽のあとを追って歩き出した。

 

 

 その夜、家に帰った俺は大変なことになっていた。

「痛ってぇぇ……」

「お母さん、お兄ちゃんがお風呂場で騒いでいるのどうにかして……」


 俺はお風呂を大騒ぎしながら、入ったことはいうまでもなかった。




 




 

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