その晩は珍しく、涼しさを感じられる夜だった。アスファルトが日中必死になって溜め込んでいた太陽の熱はもう冷めたみたいで、昼間との気温差で夜風を少し寒く感じるぐらいだ。

 夏休みも終盤に差し掛かろうとしている、そんな夜に、僕は学校に忍び込んでいた。

 誰もいない校舎を、宿直の先生に見つからないように、裸足で歩く。靴下がすぐに冷たくなって、僕は身震いをしながら、理科室の前までやってきた。

 そして僕は、懐から紗夜にもらった理科室の合鍵を使い、中に入る。そして僕は、部屋の電気をつけた。

 ……理科室は、紗夜が黒幕を貼っているから、光が漏れないからね。

 そう思いながらも、僕は理科室の中央、その実験台へと視線を向ける。

 そこには、眠ったような、生きているときそっくりの、娃の姿があった。

 ……イズニさんの話だと、外見だけで、まだ中身は出来てないって話だったけど。

 それでも、この、布団の圧縮シートみたいなものの中にいる存在は、かなり生きていた時の娃に近づいていると思う。なにかの間違いで、ぱっちりと目を覚まして、何故自分は今裸なのかと、問いただされそうにも感じた。

 目を開けぬ娃の体に、僕は手を伸ば――

「何だ? ネクロフィリアにでも目覚めたのか?」

 振り返ると、そこには紗夜とイズニさんの姿があった。僕は、そんな二人に問いかける。

「どうして、ここに?」

「そりゃこっちのセリフだぜ? 漣」

「夜中に外出しないといけないの、だるー」

 イズニさんが理科室の扉を閉めるのを横目に、紗夜がこちらに向かって口を開く。

「部屋の鍵は掛けてあるし、外から中は覗けないように幕を張ってあるが、万が一、肝試しに学校に忍び込んだ生徒が、この理科室に入り込む、ってこともあるからな。入り口にカメラを用意しておいて、不審者が来たらボクに通報が来るようにしてるんだよ」

「僕が、不審者?」

「実の姉に欲情してるやつが何いってんだよ」

 鼻で笑いながら、紗夜は僕のそばまでやって来る。

「で? どっちを入れるんだ?」

 その問の、主語はない。しかし、それがなんの選択を僕に迫っているのかは、明白だった。

 僕は力なく、首を振る。

「……まだ、決めれてないんだ」

 そう言った僕を、呆れたようにため息を吐きながら、紗夜は口を歪めた。

「お前は、どちらを残すのか? っていうよりも、どっちを消すのか? を決めきれないって感じだな」

「……なら、お前は朝羅さんが二人蘇ったとするなら――」

「ありもしない仮定で、自分の優柔不断さを逆ギレするの、だるー」

 イズニさんのその言葉に、僕は思わず顔を伏せた。彼女の言う通りだ。僕は今、自分の決めれない不甲斐なさを、紗夜にぶつけようとしてしまったのだ。

 ……紗夜は、朝羅さんを蘇らせるっていう選択が、そもそもないのに。

 あまりの自分の身勝手さに歯噛みしていると、まぁまぁ、と言って、紗夜が苦笑いを浮かべる。

「一見、解決策に見えそうな、娃の体を増やすって方法は、ボクたちが真っ先に消してるからな」

「修羅場になるだけだしねー。だるー」

「……でも、一応の解決策は、用意してるんだろ? 漣」

 その言葉に、僕は僅かにうなずいた。

「……うん。まぁ」

 そうだ。実は、娃の体と『デバイス』を紐づける方法を、僕は思いついている。

 ……でも、肝心の体と紐づける娃を選べないんじゃ、どうしようもないんだけどね。

 何も口にしない僕僕に向かって、イズニさんは気怠げに髪をかき上げた。

「なーんだ。それだったら、別に悩む必要もないじゃん。無駄なことするのってだるー」

 その言葉を聞きながら、けれども僕はまだ深い悩みの中にいた。

 紗夜に答えた通り、確かに僕は、解決策は用意している。

 ……でも、その方法は、本当に最終手段で、それでいて本末転倒な、どうしようもなく、愚かな僕に相応しい、解決方法だ。

 それでもきっと、僕と倫理観の違う大國さんや、ナミネさんは、賛同してくれるだろう。

 ……でも、娃は、このやり方を許してくれるんだろうか?

 その疑問があるため、僕は中々その決断を下せないでいた。

 ……娃の顔を、もう一度見たら、その決意が固まるんじゃないか? って、期待してたんだけど。

「まぁ、今日のところは、もう帰れよ、漣」

 そう言って、紗夜が僕の背中を叩く。

「幸い、まだ夏休みの期間は残ってるんだ。もう少し考えてもいいんじゃないか?」

「……うん。そうだね」

「娃の体が出来上がったら、持ってってやるからよ」

 そう言ったイズニさんを、紗夜が睨む。

「頑張ってねー」

「馬鹿! お前も手伝うんだよっ!」

「だるー」

 そのやり取りに少しだけ笑って、僕は学校を後にした。

 そして、あっという間に時間が経過した。

 

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