⑪
別の日。
娃たちには紗夜に会いに行くからと言伝をして、運動部が朝練をしているような、早い時間帯に家を出た。
……まだ日がそんなに登ってないのに、こんなに暑いものなの?
茹だるような熱さと言うけれど、本当に茹でられたら僕らは生きていけないわけで、その言葉が生まれている時点で、そんな熱さは存在しないという証明になっていそうな気がしている。
……でも、これは、本当に煮えちゃいそうなほど、暑いな。
そんな暑い最中、汗を拭いながら、僕が早朝から学校に続く道を歩いている理由は、一つしかない。
「遅いぞ、漣」
顔をあげると、校門の前に腕組をした紗夜が立っていた。スマホの時間を確認すると、待ち合わせ時間には、まだ二分ほど猶予がある。
僕は抗議の声を上げた。
「待ち合わせ時間には、間に合ってると思うけど?」
「お前が早くボクのもとにくれば、その分こいつを他の奴らに目撃される確率を下げられるんだ。だったら、五分前どころか十分前集合でもいいぐらいだと思うが?」
そう言って紗夜は、親指で隣に立つイズニさんを指さした。地球人の僕ですら参ってしまいそうな暑さの中、異世界人の彼女はその耳を隠すためか、うさみみが付いたニット帽をかぶらさせられている。その顔はこの世の終わりを五回ほど経験してきたかのようにげんなりとしており、白い素肌には玉のような汗が無数に浮かんでいた。
「あっつぅー。しっぬー」
その発言を無視するように、紗夜は校舎に向かって歩き始めた。
「漣も来たことだし、早く入るぞ」
「……イズニさんって部外者だよな? 学校にそんな堂々と入れて問題ないのか?」
僕の疑問に、紗夜は振り返りもせず答える。
「連れ出すときだって、堂々と出ていったぞ。言っただろ? 夏休みの間は、教師どもはボクのやることに口を挟むような事はないって。夏休みの部活動に勤しむ生徒たちの間で過剰な噂にならなければ、何ら問題ないよ」
「……さいですか」
まるで学校の支配者が自分だとでも言い切るようなその口っぷりに、僕はただただ肩をすくめる事しかできなかった。
そして僕らは、いくぞ、と歩き出す紗夜の背中を追うように、校舎の中へと入っていく。
「あっつぅー」
僕と紗夜は上履きを、イズニさんには紗夜がパクってきた来客用のスリッパを履かせて、理科室へと向かっていく。
「そういえば、イズニさんは、もうこっちの世界での生活は馴れましたか?」
僕のその問いに答えたのは、異世界人ではなく、僕の幼馴染だった。
「こいつ、ボクの家で勝手にポップコーン食いながら映画見てんだぞ? 馴染むどころか、今じゃ立派な引きこもりだ」
「早くクーラーの効いてる部屋でネトフリみてぇー」
こっちの世界に召喚されて、まだ三日ほどしか経っていないというのに、順応っぷりが凄まじい。
……これを、順応というのか、全てを諦めた結果と思うのかで、イズニさんへの印象がだいぶ変わってくるなぁ。
そう思いながら歩いていると、やがて理科室に到着する。と、イズニさんはすぐさまリモコンでクーラーを起動させ、懐からポータブルプレイヤーを取り出し、映画を見始めた。
その様子を見て、僕は紗夜に問いかける。
「紗夜、あれ、イズニさんに買ってあげたの?」
「違う。あいつが魔法で錬成したんだよ」
「魔法じゃなくて、魔術だって言ってんでしょーが。あーあ、何度も同じこというのだるー」
クーラーの風が直接当たる場所にどっかりと座ったイズニさんは、プレイヤーで映画を見ながら宙に指を走らせる。すると異世界人の指が光り、指が動く方向へ幾何学模様が刻まれた。
直後、イズニさんの手には水の塊が握られている。その姿はセブンイレブンで売っているような、ストロー付きのコーヒーカップみたいな形になっていた。そのストロー部分に、イズニさんは口をつける。異世界人がそれを吸うと、水は彼女の口へ飲み込まれていき、手にしていた水の塊の大きさが僅かに縮んだ。
……あれも、イズニさんの言っていた魔法、いや、魔術なのかな?
そう思っていると、紗夜はため息を吐きながら口を開く。
「あいつ、魔術を使うのに必要な手続きをああやって簡略化してるんだってよ」
「それが、あの指が光るやつ?」
「そうだ。ま、あの引きこもりが映画を見ている間に、ボクらはその、魔術についての本題を話そう」
その言葉に、僕は小さくうなずく。
「……そうだね。うん、ぜひ、僕も聞かせて欲しい。イズニさんたちの世界で使われる、魔術の供物と、生贄について」
そう、今日僕が紗夜たちの元へ訪れたのは、それが理由だ。
イズニさんをこの世界に呼び出す際、紗夜が言っていた、魔術の供物と生贄というキーワード。何かを捧げることで、別の何かを引き起こすという、魔術の存在。
今日はその、魔術ではなく、それを引き起こす供物と生贄について話をすると紗夜から連絡をもらったのだ。
「おさらいだけど、イズニさんたちの世界でも、魔術では供物や生贄を捧げる、ってことで、いいんだよね?」
「そうみたいだな。あいつの話じゃ、こっちの世界の等価交換や質量保存の法則に近い考え方っぽいな」
正確には、質量というより、捧げたものにどういった効果があるのか? という意味合いが交換されるということらしい。
「魔術は、その交換する捧げ物によって、その効果を変えたり、威力を調整したりするみたいだな」
「なら、今イズニさんが飲んでいる、アレは?」
そう言って僕は、先程魔術で生み出した水の塊を指さす。あれは十中八九、魔術によって生み出されたものであることは間違いない。でも、アレを生み出す際、イズニさんが何かを捧げたような気配はなかった。
「確か、宙に幾何学模様を刻んでいたのは見えたけど。さっき紗夜は、手続きを簡略化している、って言っていたよね?」
「アレ自体が、供物なのさー」
紗夜よりも早く、イズニさんが回答を口にする。そしてその異世界人は、ポータブルプレーヤーから一瞬目を外して、こちらを一瞥した後、話を続けた。
「魔術を使うのに、供物や生贄を毎回持っていくのって、けっこう大変じゃねー? だから、その捧げ物をいつ、どこでも取り出せるように、供物や生贄とパスを通しとくのが、一般的だけどねー」
つまり、イズニさんはどこか僕らの知らない場所に、その供物や生贄のストックを用意している、ということなのだろう。
それを意識しながら、僕はためらいがちに、口を開いた。
「その、生贄ですが」
イズニさんの言葉を聞いて、僕は口から言葉を紡ごうとして、一瞬黙る。でもそれも一瞬で、僕は意を決したように口を開いた。
「人間も、生贄の対象になるのだとか」
「うん。そりゃそーでしょ。捧げられるものは、何でも捧げられるんだからさー」
その言葉に、紗夜が苛立たしげに反応する。
「おい、引きこもり。漣が聞いてんのは、そういうことじゃねぇんだよ。生贄にする人間を、毎回毎回生きたまま用意してるのか? って、そういう事が聞きてぇんだよ」
「あー、そーゆーことねぇ」
もっとはっきり言ってくれないとわからないよ、と言って、イズニさんはポータブルプレーヤーの蓋を閉じる。それを見て、紗夜は眉をひそめた。
「なんだ? もう映画はいいのか?」
「んー、なんか、ハズレっぽい感じかなー」
「何見てるんだっけっか? 確か、B級映画で面白そうだ、って楽しみにしてただろ?」
「なーんか、違うんだよなー。異世界のゾンビを召喚するんだけど、こう、もっと、ゾンビ映画って、突き抜けて欲しーっつーか、なに? パンチが足りないのかなー?」
「異世界人が通ぶって、ゾンビ映画語んな」
「そっちこそ、現代人の癖に、ゾンビ映画の一つも語れないってどーゆーこと?」
「あの、話をもとに戻してもいい?」
何故だか話の主題がゾンビ映画に持っていかれそうになったため、慌てて僕は幼馴染と異世界人の間に入る。
「そもそも、なんで魔術を使う時、人間を生贄にするの? 意味合いの交換をするのであれば、人間をわざわざ生贄に選ばなくてもいいんじゃない?」
純粋に、人間の生贄を用意するための労力と得られる効果が見合わないのでは? という僕の疑問に、イズニさんは気怠げに口を開いた。
「逆だよ逆。簡単に言ってしまえば、その意味合いの交換をするための、コスパがいいのさー。もちろん、動物や魔物、エルフとかも捧げるけど、わたしのいた世界では、人間が一番都合が良かったんだよー。なにせ、簡単に増やせるからさー」
ああ、説明するのだるー、と言って、イズニさんは水の塊をごくごくと飲み干していく。
そんな異世界人に向かって、紗夜が口を開いた。
「その増やせる、っていうのは、出産させる方か? それとも、別の方法で増やすのか?」
「そりゃー、別の方法に決まってるでしょー。無理やり出産させるだなんて、家畜や奴隷じゃないんだからさー」
そう言った後、イズニさんはこう言った。
「魔術の生贄に使う人間の体を、別の魔術で錬成するんだよ」
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