⑩
その質問を、僕は口にすることが出来なかった。
大國さんとナミネさんが、帰ってきたのだ。
「漣くん、たっだいまー!」
「帰還した。成果は上々」
玄関から、未来人と宇宙人の声が聞こえてくる。
「あ、たこ焼き買ってきたよ? 漣くんも食べるでしょ?」
「刺激緑色白濁ソースを付与してる」
そのやり取りを聞いていた娃が、少しだけ笑う。
「……わさびマヨネーズのことかな? 漣」
「多分、そうだと思う」
あの宇宙人の単語のチョイスは、微妙に分かりづらい所がある。そう思っていると、娃が更にクスクスと笑っていた。
「食べてきたら? 漣。私のことは、気にしないで」
「……うん。食べてくるよ」
そう言われて、僕は娃の部屋を出る。ただし、娃が表現されている、『デバイス』を手にしたままだ。
僕に触れられている感触はわからないものの、大國さんとナミネさんの声が大きくなるのに気づいたのか、娃が訝しげに声をかけてくる。
「漣?」
「やっぱり、一緒に食べよう。いつも通りに」
体があろうがなかろうが、娃は娃だ。僕の残された唯一の血縁で、血の繋がった姉で、愛した恋人だ。
だからこそ、どうにかして娃の体を取り戻そうと、改めてそう誓う。
未来人を騙し、宇宙人を偽り、惨めに幼馴染に追いすがって協力を仰いで、異世界人を操って、最愛の人を、取り戻そう。
……でも今は、娃と一緒に、たこ焼きが食べたいかな。
思えば、朝食以外今日は口にしていない。時計を見れば、三時のおやつという時間も通り過ぎて、かなりのアディショナルタイムに突入していた。たこ焼きの匂いがリビングから漂ってきて、僕の腹の虫が騒ぎ出す。
リビングに行くと、すでに大國さんとナミネさんは席に着いており、テーブルの上にたこ焼きの包が四つ、用意されていた。
……ん? 四つ?
「刺激緑色白濁ソースは、溶き小麦粉焼き頭足類入りに、非常にマッチする」
「ナミネさん、たこ焼き気に入ったみたいで、二つ食べるんだってさ!」
「……この夏を今のところ一番満喫しているのは、ナミネさんな気がするなぁ」
そう言いながら、僕はたこ焼きの包を一つ手に取り、自分の席に着いて、脇に娃が入っている『デバイス』を置いた。
大國さんはもぐもぐと、ナミネさんはばぐばくと、それぞれの速度でたこ焼きを食べている。彼女たちを横目に包を開けると、中からソースと鰹節、そして青のりの芳しい匂いが、僕の鼻腔をくすぐる。
僕は早速爪楊枝を手にして、たこ焼きに突き刺した。突き刺したときに指先に伝わる、あ、今、確実にタコを刺したぞ! という感覚に、わずかばかりの達成感を、僕は感じた。
湯気を立てるそれを、ふー、ふー、と息を吹きかけて冷まし、口に含む。すると、口いっぱいに先程感じていた匂いが味として舌に伝わり、そこにこれでもかとかけられた刺激緑色白濁ソースが、これでもかとその存在を口の中で主張してくる。齧った時に出てくるタコと紅生姜にネギ、溶き小麦粉焼きが溢れてきて、その熱さにあふあふ言いながら、口の中のそれらを噛み砕き、嚥下する。
そしてわずかばかりの時間も開けずに、僕は爪楊枝で次のたこ焼きを突き刺し、口の中へと運んだ。テイクアウトで持ち歩いたためか、わさびマヨネーズとソースが大雑把に混ざった感じも、味が変わっていて嬉しい。口の中が火傷してしまうかもしれない、という危険性を完全に思考の外に追い出して、僕は空腹だったというのも手伝って、一心不乱に爪楊枝でたこ焼きを頬張っていく。
少し汗をかきながらたこ焼きを食べている僕の脇で、娃が鈴の音を転がしたように笑っていた。
「漣、たこ焼き、美味しそうで良かったね」
その言葉に反応したのは、宇宙人だった。
「疑問。榧木娃の思考は大國一夏が付与した『デバイス』の性能を十全に扱えるが、インプット情報は人体の蝸牛神経が伝える電子信号以外の情報はないはずだが?」
せわしなくたこ焼きを口にしていたナミネさんは、口元にソースと青のりをつけたまま、無表情でそう告げた。
そんな宇宙人に対して、娃はさも当然のように答える。
「ええ、その理解であってますよ、ナミネさん。今の私は、耳が聞こえるだけですから」
「……疑問。その前提がある中で、何故榧木娃は、榧木漣の味細胞に関して言及できるのか?」
「え? だって、漣が美味しそうに食べてる音がするじゃないですか」
娃にそう言われ、たこ焼きを食べるナミネさんの手が止まった。そして宇宙人は僕を見て、その後、未来人を一瞥する。じっと見つめられた未来人は、苦笑いを浮かべた。
「まぁ、そういうこともあるんじゃないですか? 口癖とか、口調とか、声色でも感情は十分に伝わると思いますよ?」
「……やはり、理解できない。故に、こうしてアナログ情報を授受する意味合いが、自分らには生じる」
大國さんの言葉を受けてナミネさんはそうつぶやくと、またたこ焼きを食べ始めた。だがそのスピードは先程よりも遅く、その代わりに彼女の口から言葉が紡がれる。
「人体を持つ存在は、必ず制約が存在する。地球に生存する人類は、自らが備える感覚器官を通した脳内信号の範囲でしか体外の事象を認識できない。それを人類は、世界と呼んでいる」
それは奇しくも、先程僕が娃と話していたことと一致する内容だった。聴覚しかない今の娃の世界は、生前の一割に減ってしまっている。
「だがその感覚器官で捉えられる範囲も、限界が存在する。この時間軸上の人類であれば、可視光線は三百八十から七百八十ナノメートルで、可聴領域は二十から二万ヘルツしかない。脳細胞で処理できない範囲でしか世界を認識できないのに、何故現在の榧木娃は、可聴領域内の情報だけで榧木漣という存在を、その内面まで理解できると断言できるのか? 自分らと同じく、エントロピーだけの存在となっているのに」
「それは、演算うんぬんと言うより、生まれてきてからずっと一緒に生活してきたから、っていうのも大きいと思いますよ? ナミネさん」
娃の言葉を聞いた宇宙人は、今度は真顔で僕の方を見つめてくる。
「……榧木娃はそう回答しているが、榧木漣は、どうか?」
「え、僕?」
「今朝の段階では、榧木娃と榧木漣の間で、コミュニケーション不全が発生していると、自分は判断した。そのため自分は過去十二分に両者の間で情報の相互授受が行えていないのでは? と仮定したのだが、真偽は如何に?」
「如何に、って言われても……」
そう言われて、僕は思わず娃が表現されている『デバイス』の方へと視線を向ける。姉は、まるで弟がそうするのをわかっていたとでもいうかのように、くすりと笑った。
「いいよ、漣。私に気にせずに、思ったことを口にしても」
その言葉に背中を押されながら、それでも迷いながら、僕はたどたどしく言葉を紡いでいく。
「……僕の方は、娃のことを全部わかっていなかったのかもしれない。だって、娃がなんで自殺なんかしたのか、わからなかったから」
その答えは、さっき聞いた。聞いたけど、だからそれで、ああ、そうだったんですね、わかりますわかります、とは全くなっていない。
なっていないが、もう起きてしまった事象をどうこう言っても、仕方がないんだな、と思える所まで来てしまっている。
……だってもう、娃は生き返ったから。
一割しか世界を認知出来なくても、ゼロではない。ゼロ出ないのなら、そこに一以上の何かを掛ければ、増えていくのだ。あるいは、加算すれば、マイナスの何かを交わらせない限り、確実に増えていく。
問題は、何を交わらせるのか? ということだが――
「でも、その答えがわからないからって、十全じゃなく、十二分でないからって、限界があるからって、制約があるからって、そこでやめちゃったら、それ以上何も生まれないと、僕は思うんです。塵は、どれだけ集めても塵でしかないけど、少しずつ理解して、理解し合って、価値のあるものを積んでいけば、そこに積んだ分だけの価値が生まれる、はず、だから」
だから、限界があろうとも、制約があろうが、契約があろうが、僕は動くし、足掻き続ける。人間が認知出来る視覚情報も、聴覚情報も、嗅覚も味覚も、触覚も痛覚も、脳で感じられる世界そのものに限界があるのだとしても、更にその先を求め続ける。
未来人だろうが、宇宙人だろうが、異世界人だろうが、科学だろうが魔法だろうが、全て綯い交ぜにして。
僕は、娃を、彼女の全てを、必ず取り戻す。
「了承した。理解出来ないということを理解出来たことを、自分の収穫とする」
僕の言葉に満足したのか、そう言ってナミネさんは、二つ目のたこ焼きの包を開けた。それを見て、大國さんが嬉しそうに笑っている。
そんな未来人と宇宙人を横目に、僕は娃に向かって問いかけた。
「そういえば、この夏、娃はどう過ごしたかったの?」
その問は、先程ナミネさんとのやり取りで思い出したものだった。
……この夏、どうやって過ごそうか相談する前に、娃は死ぬことを選んでしまったから。
話したかったことを娃と話せていなかったという点で言えば、僕と娃はナミネさんの言う通り、過去十二分に両者の間で情報の相互授受が行えていなかったのかもしれない。
でも、今は出来る。出来るのだ。
だから僕は、再度問いかけた。
「娃はこの夏、海と山だったら、どっちに行きたかったの?」
その問を聞いた娃は、少し悩むように声を発する。
「うーん、そうだなぁ。どっちでもいいんだけど、今の気分は、海かなぁ」
「……そっ、か」
なんてことのない、問だった。だからこそ、聞けなかった問だった。
でも、その答えを聞けて――
「あ、れ?」
僕の変化に、最初に気づいたのは、大國さんだった。
「漣くん、大丈夫?」
その言葉に最初に反応したのは、娃だった。
「どうしたの、漣?」
戸惑う僕の様子を、無表情に、ナミネさんは見つめてくる。
「……理解不能」
「え、あ、いや、だ、大丈夫、大丈夫だから!」
何故だか、涙が溢れ出てきて、止まらない。皆の前で突然泣き出してしまったため、気恥ずかしくなって、僕は慌てて自分の部屋へと避難する。
扉を閉めても止まらない涙を拭いながらも、僕は何故こんなにも自分が泣き出してしまったのかを理解していた。
……ああ、そうか。安心、したんだな、僕。
本当に、娃が蘇ったって。
失った存在が、戻ってきたんだって。
心の底から、今ようやく、信じることが出来たのだ。
だから僕は、誰もいない自分の部屋で、ひとしきり泣き続けることにした。そして、この場にいない、今朝学校で会った幼馴染のことを思い出していた。
……これじゃ、紗夜のこと、笑えないな。
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