午後三時頃に家に戻ると、大國さんとナミネさんの姿が見えなかった。その代わりに、スマホみたいな金属板が、僕を出迎えてくれる。

「おかえり、漣」

「ただいま、娃。大國さんとナミネさんは?」

「二人で、TSUTAYAにDVD借りにいったよ」

「二人で?」

 そう言いながら、同じ映画を三周したら、流石にナミネさんも違う映画を見たいと感じるのだろうと、僕はそう思うことにした。

 鞄を自分の部屋に置いて、そのまま娃の部屋へ向かう。

「学校、どうだった? 漣」

「いつも通りだよ。紗夜も、元気そうだった」

「……そっか」

「会いたい? 紗夜に」

「うーん、どうだろう?」

 そういった後、娃は少しだけ黙り込む。そして僅かな沈黙の後に発せられた答えは、こんなものだった。

「会うの、怖い、かな」

「怖い?」

「うん、怖い」

 その真意がわからず首を傾げる僕へ、娃は言葉とは裏腹に、少し楽しげに言葉を紡ぐ。

「怖いんだ。紗夜ちゃんと、この体で会うのが。私の体が変わったぐらいで、私に対しての付き合い方を変えるような子じゃないって、私の、私たちの幼馴染は、そんなやつじゃないって、わかってる。わかってるんだけど、実際に会った時に、どんな反応をされるのか、怖いんだよ」

「なら、僕と会うのも、怖かったの?」

「うん、そうだよ。だって、なんだか、ずっと電話してるみたいな感じ。座ったまま、他のことをするのでもなく、ただ、ずーっと電話だけしてる、みたいな」

 だから、受話器を持ったまま、色んなことを考えちゃうんだよね、と、娃は、声だけしかしない僕の姉は、そう言った。

 僕はそう答えた娃の真意をもっと知りたくって、口を開く。

「そっか。娃は、何を考えてたの?」

「色々」

「……その詳細を、聞いてるんだけど」

「うーん、本当に、色々だよ? 体もないから、自分で行きたいところも行けないし、目もないから、何も見えない」

 そう言われて、僕は改めてスマートフォンのような『デバイス』に目を向ける。

「そっか。娃は、今音だけしか聞こえないんだもんね」

「うん、そう。本当に、音だけ。今の私の体を触られても、何も感じない。触られているっていう、感覚もないんだ」

 そう言われながらも、僕は娃が表現されている『デバイス』を手に取った。

 先程姉が口にした言葉が嘘ではないとでも言うように、娃は自分の体が触られていようが、位置を変えられていようが、気にした様子もなく、言葉を紡ぎ出していく。

「もちろん、ご飯も食べれないし、その匂いも、味も感じれない。知ってる? 漣。人間の感じる五感の割合って、視覚が八割とか、場合によっては九割いかないぐらいで、聴覚は一割とか、それぐらいなんだって」

「だったら娃の世界は、今一割しかないってこと?」

 その言葉に、娃は少しだけ笑った。

「……どうだろう? 死んじゃってたから、元をゼロだと考えると、その一割って数字も、かなり大きいものになるよね」

「娃は、なんで――」

 そう口にして、僕は次の言葉を紡ぐことが出来なかった。でも、その一言だけで、生前の世界の九割を失っている娃には、僕が言おうとした言葉の続きを、正確に予測出来たみたいだ。

「本当に、なんで死んじゃったんだろうね、私」

「……」

「それも、絶対漣が最初に見つけるって、わかってたのに。この家にはもう、漣しか帰ってこないのに。ごめんね、漣」

「……ごめんね、じゃねぇだろ!」

 気づくと僕は、手から血が滲んでしまいそうなぐらい、自分の両手で、『デバイス』を握りしめていた。

「本当に、なんでだよ! なんで、あんな、娃は、わかってただろ? 両親が飛行機事故で死んで、失う辛さを! それなのに、なんで自分から自分を消してしまうような、自分の命を失くすようなこと、したんだよ! なんで、なんで僕を残していこうとしたんだよ! 相談してくれたら、一言、娃から一緒に死のう(いなくなろう)って言われてたら、僕はっ!」

「それだと、一人残すことになる、紗夜に悪いよ」

 その娃の言葉は、より僕の神経を逆なでし、激高した感情を口から吐き出すように、言葉を叩きつけた。

「僕は残していくのはいいのかよ!」

「……だから、ごめん。私も、怖かったの」

 このまま恋人の関係を続けていて、二人とも、なくなってしまうのが、怖かったの、と、娃は小声で、そう言った。

 僕は、その姉の言葉がわからずに、小声でつぶやく。

「わからないよ。僕には。娃が何を考えているのか。二人ともなくなってしまうって、どういうこと?」

 それとも、二人ともなくなってしまうのなら、娃がいなくなれば、僕はずっと、この世界にいつづけるとでも、言うのだろうか?

 ……そんなわけ、ないじゃないか。

 人は、いずれ死ぬ。いなくなる。消える。この世から、消え去ってしまう。亡くなってしまう。

 だから、それまでの時間を惜しんで、もう大切な人と死ぬまで離れたくなくって、僕と娃は、姉弟でありながら、恋人という歪な関係になったんじゃないの? 歪んでいても、その互いの歪みを組み合わせて、二人で生きていこうとしたんじゃないのだろうか?

 そうした疑問が渦巻く僕に向かって、スマートフォンで電話をしているように、『デバイス』から娃の声が聞こえてくる。

「だって、私たち、セックス出来ないでしょ?」

「な!」

 突然言われたその言葉に、僕は狼狽して顔を赤くした。

「せ、セックスって。な、何でそんなこと、急にいうんだよ! 今はそんな話――」

「急じゃないし、話は変わってないよ、漣」

 あくまで冷静な娃の声色に、僕も冷静さを取り戻す。

 そしてそのまま、僕は娃の言葉に耳を傾けた。

「漣は、言ったよね? 『二人ともなくなってしまうって、どういうこと?』って。その答えは、そのままだよ。このまま二人でいたって、生きていたって、恋人を続けていたって、二人とも、死ぬだけ。何も残さずに、死んでいくだけだよ」

 そこまで聞いて、僕は娃が何を言いたいのか、理解した。

「娃は、こう言いたいの? 普通の恋人同士なら、血がつながっていなかったら、姉弟じゃなかったら、いずれ結婚して、子供も生まれて、二人が死んでも、二人で生きた証が残っていくって、生きていくって、続いていくって、そういうこと?」

「うん、そう。あ、でも、子供をつくるだけが二人が生きた証じゃないって、それはわかってるんだよ」

「だったら――」

「だから、怖かったんだよ。やめようって、思ったんだよ。だってもし、二人でこのまま生きて、生き続けたら」

 

 私と漣、どちらかが先に死ぬでしょ? と、娃はそういった。

 

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